秋の鳴子温泉湯治⑤【自炊飯・湯治飯・高東飯】
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湯治生活で心掛けることは、炊事場がある場合はなるべく自炊をすることだ(たまにサボる)。私が抱える原因不明の激痛は、安静にしていても治ることはない。
湯治に出たからこそ、いつも以上に規律を守り、起きる時間や散歩の時間、食事の時間を意識する。痛いからと言って部屋に籠ってしまうと、余計に厭世的な思想に支配され、食欲もなくなりやがて寝たきりになってしまうのだ。
泥縄の状態で病院に運ばれても時既に遅し、結局原因は分からぬまま、点滴でビタミンを入れ結局は退院を命ぜられることになる。
高東旅館での生活は、早朝5時台の散歩から始まり、宿に戻って一度目の風呂へ入る。ご厚意でご飯と味噌汁を出してくれるが、今回はお気持ちだけ拝受。米をいただき、自分で米を研いで土鍋で炊くことにした。生活リズムを整えるためだ。
高東旅館の田んぼで育った一等米は本当に旨い。
旅館の裏に広がる田圃、里山からキジやイノシシ、春には鹿も出たほどの自然な環境で育てられる。10月頭には稲刈りが始まり、来月からは新米がいただけるだろう。
洗練された米を、途中給水した風早峠の水で仕立てる。生水なので出し惜しみせず、洗米し土鍋で炊き込む。光沢を放つような見事な米が炊きあがった。朝7時、納豆や卵、オクラなど食べたいものを丼にオン。
味噌汁も毎日仕込む。信州青木村の道の駅で購入した味噌、具材は仙台朝一で仕入れたキノコ類と三陸ワカメなどでいただいた。この朝食は、下手な旅館の飯よりもウマい気がする。
滞在中、太極拳をやったNさんや隣室の東京からお越しのOさんと夕食をいただくことも。その様子を温かく見守る御主人。
「今の人達は、ちょっとびっくりすることがある。台所に3人いて、誰一人喋らないんだよ。挨拶しても減る物でもないのにね」
「昔の湯治場はね、お国自慢の料理をみんなで食べて、旅立ちの日には別盃を交わしたものだよ。健康と再会を願ってね」
「湯治場は情報の交流の場所でもあるんです。その様子を静かに見守るのも、館主としての務めだから」
このご時世とあり、湯治場の役割も変わりつつあるだろうか。
来る人も様々、廊下ですれ違っても会釈すらしない人もいたりする。一人になりたいというニーズもあるのかもしれない。
だが疫病の蔓延は確実にピークアウトに向かっていると言えるだろう。御主人の口振りから、また湯治場に以前の様な活気が戻ってほしいような、そんな雰囲気を感じた。
そう言えば今年の夏、一度だけ温泉に明るい友人と温泉旅行に出かけたことがあった。日本を代表する群馬県の温泉地、料理自慢のお宿だった。
素晴らしいお湯に浸かった後、食事処に座って、テーブルに並んだ食事を見て私は息を飲んだ。焼き物に煮物に刺物、最後に揚げ物にお櫃一杯のご飯。スイーツまで。。所謂、普通の旅館の料理だ。
「旨そう、、でも、食えない。。」
案の定、半分以上を残してしまった。こちらが客という立場だが、何ともいたたまれない気持ちになった。作ってくれた女将さんに申し訳ない。
病が悪化してから明らかに落ちた食欲。豪華なご飯が食べれない。だったら、自分で作ろう。良い水と米と味噌汁と漬物、これがあれば私は満たされる。
自炊飯、湯治飯、これからも旨くて安いものを求め、湯治は続ける。
そういえば鳴子の北、道の駅「路田里はなやま」で、そろそろ自然薯が出るころだ。次回はすり鉢とすりこ木を持って行こうかな。
高東さんのお米に、とろろ飯。最高ではないか。
つづく
令和4年9月23日
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