増富温泉 湯治日記④【増富の朝散歩~湧水処を追って】
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毎朝4時台に目が覚める私は、温泉地に逗留すると毎朝近くの神社に平癒祈願する。発作が出て動けない時を除き、どれだけ痛くてもこれは欠かさない。
増富には転々と地蔵菩薩があり、それを横目に川上にある三英荘から下へ、まだ黎明の中をゆっくりと歩く。今回は街の南端にある「浅間神社」を目標とした。昨年はこのちょうど中間にある「増富佼成寮」の辺りをゴールのポイントにしていたのだった。
朝方の増富は肌寒いほどで、涼しい風と鳥の鳴き声に抱擁されるように山峡の中へと下って行く。痛みはあるものの、心地良い散歩であった。
浅間神社までは健常者で20分、私はまだ30分かかったが、この病臥してからの回復を実感するには十分な歩行だ。
それにしても、増富温泉の廃れ方も御多分に漏れず。
かつては毎年無病息災を祈願した火祭りが実施され、ジビエ料理や郷土料理が提供されるなど賑いを見せたようだが、疫病拡大の影響でここ数年は行われていないらしい。
街の中には某旅館の自炊棟がもぬけの殻の状態でそのまま、菩薩の周りも神社の境内も野ざらしで放置されていた。足場の悪い神社の中を草を掻き分けて入って行き、合掌瞑目してから宿に戻る。
ちょうど往復で1時間。部屋に戻り今度はストレッチポールで背中を伸ばす。全身痛の中でも最も厄介なのは背中の痛みで、ここの凝りが残っていると眠りにつくことが出来ない。
因みにこのストレッチポールに寄る体操を教えてくれたのも、実は温泉関係者。群馬県湯宿温泉の大滝屋旅館の館主だ。
温泉ファンにはお馴染み、つげ義春氏の「ゲンセンカン主人」のモデルとなった宿。今は建て替えられてしまい、当時の見る影もない建物になっているが、今も尚ファンはこちらを訪れる。
こちらの宿は整骨院を兼業しており、以前湯治滞在中にどうも痛みが抜け切らず、一度施術をお願いした。指圧が始まると予期していたが、最初の30分はポールの上に乗るだけだった。
「細かい奥の筋肉には指が入らないんです」
「だから、自重で解せるようになっておいた方が良いですよ」
帰宅後アマゾンでストレッチポールの正規品を購入し、現在は温泉と組み合わせて背中の凝りをほぐしている。今も湯宿整骨院に行けば、同じ施術をしてくれると思う。
今でも湯治に出る時はこのポールを車に積み、風呂上りや身体が温まった後にゴロゴロやることを日課としている。
私 「女将さん、この辺に湧水ないですかね?」
女将 「山の方へ行って、リーゼンヒュッテの前の沢に行けばあるよ」
私 「それじゃあ、明日の朝はそっちまで歩いてみます」
私は温泉地に来た際は湧水の採水も必ず行う。
増富周辺で湧水情報を調べたがヒットせず、女将さんに伺うと瑞牆山方面に川沿いを行くと右手に見えてくるという。
好転反応による激痛を乗り越えた5日目。
早朝5時。温泉街を流れる本谷川沿いを山へ上って行く。水の透明度が徐々に増していき、釣り人の姿がちらほら見え始めた。渓流に目をやれば簡単に魚影が見えるほど、この沢は美しい。
女将さんから渡されたマップでは大した距離ではなさそうだったが、いつまで歩いても目的の施設が見えて来ない。温泉街を抜けるとすぐに圏外になるため、現在地も不明瞭になってしまった。
10分間の休憩を2度挟みながら50分近く、やっと見えてきたリーゼンヒュッテ手前の沢。だがそこにはただの滝があるだけで、水の給水口はなかった。流石にこの水は飲めなかった。
私 「女将さん。なかったよ」
女将 「あれっ、昔はよく汲みに行ったよ。嘘じゃないさ。もう切っちゃったのかな」
翌日
女将 「さっき娘に聞いたら、もう保健所が栓を切っちゃったらしい」
私 「そうなんですか」
女将 「悪かったね」
私 「大丈夫。俺ちゃんとリーゼンまで歩いたよ。来年はもっと歩けるかな」
去年リハビリで五色沼(福島)を往路のみ歩いたが、その時は補佐を伴っていた。一杯の湧水を求めた孤独な戦い。勿論アスファルトだが結構な急坂だった。
勝利無き戦いに挑んでいたというオチは付いたが、一人で片道50分の道を完歩した達成感は残った。
つづく
令和4年8月14日
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