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ありえない写真【短編小説】

1.「単身赴任とマッチングアプリ」

 「ただいま…っと」

 軽くつぶやいて、真っ暗な部屋に足を踏み入れる。当然、返事をするものはない。妻と子供を残して単身赴任している俺にとって、これが一日のうちで最も辛い瞬間だといえるかもしれない。
 俺は手探りで壁のスイッチを押して部屋の電気をつけると、すぐに机の上のノートパソコンを立ち上げる。それが毎日の日課だ。
 このパソコンは一年前、東京から400キロ離れたこの地方都市に異動が決まったとき、NetflixやPrime Videoといった定額制動画配信サービスを利用するために買ったものである。
 なにしろ400キロである。家に帰るにしても毎週末では高くつくし、会社の補助があると言っても微々たるものだ。趣味らしい趣味のない俺だったが映画を観るのは人並みに好きだったので、さして金のかからない動画サービスは、持て余した土日を埋めるのに最適な手段と言えた。
 また物理的に離れたこともあってか、単身赴任後は妻とのLINEのやり取りが自然と増えたのだが、週末に観た古い映画やドラマの感想などを送りあうのは、なんだか新鮮な気分を俺に味あわせてくれた。そういえば、結婚する前はこうして映画の感想を交換していたっけ。もっとも当時はLINEではなく、メールだったが。
 ともあれ、この単身赴任はまるで恋人時代に戻ったような、まだ情熱的だったころの自分を思い出させてくれたのだ。妻もどうやら同じことを感じていたようで、月に一、二度家に帰ると、俺たちはまるで新婚時代のように睦まじかった。

 ―― 最初の三ヵ月は。

 シューンという回転音をさせて、パソコンの電源が入る。画面が明滅し、OSが立ち上がる。マウスを操作し、デスクトップ右下にあるピンクのアイコンをダブルクリックしてアプリを立ち上げる。
 一連の動作を、俺はなにも考えずに行っていた。もはや習慣だ。
 立ち上がったアプリは、「ミートゥ」という。ページの上部「メッセージ」と書かれたボタンの横にフキダシのデザインで「6」という数字が表示されている。クリックするとページが切り替わり、俺宛に送られてきたメッセージのリストが表示される。
 リストは一つひとつが左端に四角いアイコン画像、その右側に差出人の名前とメッセージの一部が配置された、要するにLINEのトーク一覧と同じ構成になっていて、先ほどのフキダシの数字が示したように、上から6つが太字―つまり未読メッセージとして表示されていた。

 その中、上から三番目に、MIHOと書かれたメッセージがあった。俺は他には目もくれず、そのMIHOからのメッセージを最初に開いた。

 こんばんは。
 今日は暑かったですね。
 最高気温は37度もあったんだって!
 
 今日、会社で嫌なことがあって、思わず泣いちゃったんです。
 一人でこっそり。
 あーあ、慰めてくれる人がいればなぁ…。
 ごめんなさい、こんなことタカさんに言っても仕方ないですよね。
 次からはもっと楽しいメッセージ送りますね。
 それではおやすみなさい。

 俺は自分の顔がニヤけているのを自覚していた。
 MIHOとは、かれこれ2ヵ月ほど、このアプリでメッセージのやりとりを続けている。

 そう、このミートゥとは、いわゆる「マッチングアプリ」というやつだ。
 妻とのLINEにも次第に飽きはじめ、もはや惰性になって頃だ。何気なく見ていたニュースサイトにミートゥの広告が表示された。
 広告には、いかに多くの会員がこのアプリでメッセージのやりとりを楽しんでいるかといった宣伝文句と共に、QRコードと「PC版はこちら」というボタンが示されていた。
 妻とのLINEに飽き、それでいてメッセージをやりとりする楽しさに味をしめていた俺は、迷わずそのボタンをクリックしたのだった。

***

 「近所でトモダチさがしちゃお!」

 ページの最上部に記されたタイトルを見て、俺は思わず苦笑いした。四十路手前の男には、その文体とパステルカラーの画像は耐えがたいものがあったのだ。
 気を取り直して画面に目をやる。
 どこまで本当かは分からないが、会員数は20万超。
 無料のアカウント登録をすれば、GPSで近くにいる相手を見つけ、プロフィールを表示してくれる仕組みらしい。
 俺はさっそく「新規登録」と書かれたボタンをクリックし、アカウント名を決め、メールアドレスを記入してパスワードを設定する。
 あとは公開する自己プロフィール。簡単に、趣味や仕事、似ている芸能人など当たり障りのない情報を記入。俺は年齢を3つほどサバを読み、34歳とした。

 「どこで誰が見てるかわからないからな…」

 後ろめたさも手伝ってか、つぶやく声が大きくなる。誕生日、血液型なども事実とは異なるものを選んで設定する。そもそもスマホではなくパソコンで登録するのも、何かの拍子に妻や周囲にバレるのを防ぐためだ。
 これでよし。
 俺は「登録」と書かれたボタンをクリックし、自分の情報をサーバーに送った。

 アカウントを登録するのになかなかの時間がかかったが、ここまでは単なる手続きでしかない。本番はここからである。
 登録が済むと、画面には「いま近くに居る」とされるアカウントがズラリと並ぶ。そのプロフィールを画面の右側に付いた矢印マークで送っていくと、次々と情報が切り替わっていくという寸法だ。
 自己紹介はもちろん、顔写真を公開している人も普通にいる。中には性癖を暴露している前のめりな人物も。
 それらを見て気に入ればメッセージを送り、相手からも返信が届けば、以後はLINEのようにやりとりが可能になるというわけだ。
 俺は軽い高揚感を覚えながら、画面上でひときわ目立つ「ともだちを探す」ボタンをクリックした。

***

 俺の赴任している地方には、このアプリの利用者は多くないらしい。
 半ばがっかりした気持ちで、俺はモニターに浮かぶ「13件のともだち候補が見つかりました」という文字を眺めていた。

 とりあえず、全部見てみるか。

 13件ならばさほど時間はかからないだろう。俺は先頭から見ていった。

 『いろいろお話しましょ♪』
 ふむふむ、26歳OLか。でもサクラもいるって話だからな。

 『お金持ちの人限定で!』
 おいおい18歳って…これパパ活ってやつじゃないのか!?

 『JCだよ☆ぼしゅうぅぅ~!』
 中学生はそもそも登録しちゃダメだろう。俺は東京に残した4歳になる娘を思い浮かべ、自分のことは棚に上げて嘆かわしい気持ちになった。

 『バツイチ、子持ちですが…』
 本気すぎるのもなぁ…。

 「ふぅ~」

 俺は7、8件ほど見終わったところで深いため息をついた。
 さほど期待していたわけではないが、それなりに胸を躍らせていたのも事実だ。思った以上に、ダメージは大きかった。

 「よしっ」

 わざわざ声に出して気合いを入れると、俺はまた矢印ボタンをクリックした。

 『31歳のOLです。』

 おっ。
 俺はその普通っぽい見出しに、妙に救われたような気持ちになった。
 そしてプロフィールを読み込んだ。

 31歳のOLです。 MIHO/31/会社員

 毎日なんとなく退屈しているので、思いきって登録してみました。
 仕事は普通の事務員をしています。
 一日の終わりにホッとできるメッセのやりとりができたらいいかなぁ。
 あと、映画に興味があるので、オススメを教えてくれたら嬉しいです。

 気がつくと俺は、メッセージの送信ボタンを押していた。
 ここから、俺とMIHOとの関係がはじまったのだった。

***

 さてと。
 と、俺は座イスの上に座り直すと、ノートパソコンの画面を自分の正面に向け直した。

 どう返信しようかな。
 会社でイヤなことがあった…か。
 ここで慰めるのか、励ますのか、あえて触れないのか、はたまた気にしすぎだと叱るのか。
 俺は昔プレーした恋愛シミュレーションゲームのような感覚で、MIHOとのやりとりを楽しんでいた。

 …そうだ! 俺は返信のメッセージを書きはじめた。

 こんばんは。
 今日はホントに暑かったね。
 最高気温37度?そりゃ汗かくわけだ。
 ワイシャツが汗でベタベタになっちゃったよ。 
 ところでなにか落ち込んでるようだけど、コレでも見て元気出して。
 前に「送って」って言われてた俺の写真だよ。

 実は少し前のメッセージで「タカさんの顔が見てみたい」とせがまれていたのだ(余談だがアプリ上の俺のアイコン画像は、アカウント名に引っ掛けてりりしい鷹の画像だ)。
 しかしさすがに抵抗があったのと、スマホの写真をパソコンに取り込むのが面倒で、結局送らず仕舞いにしていたのである。
 ところが先日、送別の寄せ書きに顔写真を使いたいとかで写真を撮られる機会があり、それをご丁寧にも部下がメール添付で送ってくれたのだ。
 それはなかなか男前に写っており、MIHOにいつ送ってやろうかと考えていたところだった。

 俺は自分のアイディアに拍手を送りつつ、満足感とともに添付ファイル付きのメッセージを送ったのだった。

2.「ある添付画像」

 こんばんは。MIHOです。
 写真、すごく嬉しかった!
 おかげでイヤなことも忘れちゃいました。
 ありがとう。
 でもこんなにかっこいい人だなんて思ってなかったから、なんだか緊張しちゃいます。。。
 
 こっちだけ顔を知ってるのはアンフェアだから、私も写真送りますね。
 恥ずかしいけど…。
 あ、キライにならないで下さいよ!

 あまりに狙い通り事が運んだため、俺はモニターの前で思わず笑ってしまった。
 送った写真つきメッセージの返事がコレだ。俺はゲームのステージを一つクリアしたような満足感を味わっていた。

 MIHOからのメッセージには一つの画像が添付されていた。文面にあるように、顔写真を送ってきたのだ。
 ミートゥの仕様では、添付画像付きのメッセージには画像マークが表示される。それをクリックすると、添付された画像が開くという仕組みになっている。
 俺は期待3.5、不安6.5といった複雑な気持ちで、そのファイルを開いた。

 チカチカッ。

 アイコンが数度明滅し、画像ソフトが立ち上がる。ファイルが開き、ディスプレイにMIHOの顔が映し出される。

 「ホントかぁ~?」

 そう声をあげたのは、そこに現れたのが思いがけず「いい女」だったからだ。
 派手さはないが、清楚な美人といった感じの女だ。芸能人に例えれば少しおとなしめの松嶋奈々子といったところか。
 マッチングアプリの女なんて大したことないに決まっている、という先入観を少なからず持っていた俺には、これは嬉しい誤算だった。
 俺はすっかり盛り上がり、さっそく返信のメッセージを書き始めた。
 こんな「いい女」がなぜマッチングアプリなんて…という疑問も、舞い上がった俺には浮かんでくることはなかった。

 お互いの顔写真を交換してから、俺たちのメッセージ熱は加速度的に高まっていった。
 メール添付でスマホからパソコンに画像を転送する、という面倒な作業も、顔写真を見てからは苦にならないのだから現金なものだ。俺は慣れない自撮りをしては、ちょくちょくMIHOに写真付きメッセージを送った。
 MIHOはさまざまな画像アプリを駆使して、その写真にフレームを付けたり、メッセージを入れたりして送り返してくれた。
 歳をごまかしていることに心苦しさを覚えた俺は、アプリに登録したときの年齢や血液型がウソであることも明かし、本当のことを話した(無論、嫁と子供がいることは黙っていたが)。
 MIHOは「そんなの普通ですよ」と言って俺を責めることはなかった。

 俺がスマホへの「ミートゥ」のインストールを決意するのに、さほどの時間は要さなかった。なにしろ画像を送る手間がまったく違う。
 画像加工アプリの使い方も覚え、様々に加工した自撮りや、仕事先で見つけた変わった風景などを折に触れ送った。
 いま嫁にスマホを見られたら、なんでこんなに画像加工アプリが入ってるのか不審がられるだろうなぁ、などと少し考えたが、まぁ見られることはないだろう。
 それどころか東京の家に帰ったときもMIHOに送る被写体を探す始末で、大胆にも近所の公園に娘を連れていった際に、咲いていた花をいくつか撮影して送ったりもした。
 また、たまたま同じ日に有給を取ったときなどは、昼間からチャット状態で何通ものメッセージを送り合い、その日のやりとりの総数はなんと119通を数えた。

 俺はアプリによる疑似恋愛を心から楽しんでいた。

***

 MIHOからのメッセージに変化が現れたのは、そんな状態で二週間ほどが過ぎた頃だろうか。

 タカさん、今度の週末は何してますか?
 いま公開されてるマーベルの新作、興味があるんですけど、一人で行く勇気がなくて。
 よかったら一緒に観にいきませんか?

 こんな感じで、MIHOから「直接会いたい」という旨のメッセージが入るようになっていた。
 思えば顔写真をせがまれたときもそうだったが、MIHOは要求をストレートに伝えてくるタイプらしい。
 そもそもマッチングアプリで出会ったのだから、仲良くなって感情が盛り上がれば、次のステップは直接会ってデートするというのが普通の流れではあるだろう。
 しかし、俺は彼女に会うつもりは一切なかった。
 勝手な話だが、俺には初めから家庭を壊すようなことをする気はなかったし、アプリでの擬似恋愛と直接会うのでは重みが違う。そこは自分の中で一線を引いていた。
 それに会うことによって、これまでメッセージで築いてきた関係が変化することが嫌だったのだ。
 俺は疑似恋愛はアプリの中だけでいいと、割り切っていた。

 しかしMIHOは違ったようだ。
 のらりくらりと会うことを避ける俺に、次第に非難めいたメールを寄越すようになっていった。
 俺はMIHOとのメッセージのやり取りを楽しめなくなってきていた。俺からの返信の回数は、日を追うごとに確実に減っていき、LINEで言うところの既読無視をすることも多くなっていった。

 このメッセージが届いたのは、そんなときだ。

 こんばんは。
 昨日はありがとう。
 やっと会えて、すごくすごく嬉しかった。
 最近、既読無視が多いから、
 嫌われてるのかと思って不安だったの。
 でも安心した。
 また食事に誘ってね。

 え? え? どういうことだ?
 俺は混乱し、うろたえた。

 昨日? やっと会えた? また誘って? …また?

 なにしろさっぱり身に覚えが無いのだ。
 昨日の俺は、残業終わりに営業所の連中と飲みに行って、深夜タクシーで帰宅したはずだ。MIHOと会う暇などあるはずもない。
 まさか酔っぱらって…?
 いや、しかし俺はアプリ以外にMIHOの連絡先すら知らない。アプリに待ち合わせ場所を指定するようなやりとりが残っているわけでもないし、住んでいる場所を知らないのだからいきなり会いになど行けるはずがない。

 俺は念のため、昨日一緒だった部下に電話をかけ、裏を取った。やはり深夜まで部下連中と飲み、タクシーに乗せられて家路についたことは間違いなかった。
 そうすると…?

 俺はもう一度、そのメッセージを確認した。
 と、そこには画像ファイルが添付されている旨を表すアイコンが付いていた。

 俺はそいつを恐るおそるタップした。

 画像が立ち上がり、一枚の画像をスマホのディスプレイに映し出す。
 俺はそれを見て唖然とした。

 そこには、レストランで楽しそうに食事をする、俺とMIHOの姿があった。

3.「ありえない写真」

 画面に表示された「俺とMIHOが楽しそうに食事する」写真。
 それを見たとき、俺は自分の目を疑った。
 震える手でスマホを操作し、一旦その画像を閉じ、また開いてみる。しかし、そこに映し出されるのは同じ「写真」だった。
 俺は混乱を抑えるため上を向き、大きく息を吸い込んで吐き出し、もう一度スマホ画面に目をやった。

 相変わらず、そこにはレストランで楽しそうに食事する俺とMIHOの姿があった。だが、俺はその写真から微妙な違和感を感じていた。

 なにか変だ。

 俺は二本の指でピンチし、写真を拡大してみた。そして、違和感の正体に気付くと、声を出して毒づいた。

 「くそっ! 脅かしやがって」

 拡大して見ると、写真は明らかに合成だった。いつだか俺が送った自撮り画像から顔の部分を切り抜き、別の画像に貼り付けているだけだ。
 その証拠にその写真は、俺の「顔」部分だけが妙に浮いたようになっており、大きさも微妙に合ってない。よくよく見ると、顔と首の境目も明らかにズレている。
 ひと昔前、ヌード写真にアイドルの顔を貼り付けた“アイコラ”が話題になっていたが、要はその要領だ。この場合、MIHOは自分と誰かが食事している画像を加工し、その誰かさんの顔の上に、輪郭を切り抜いた俺の顔を貼り付けのだ。
 ただし、その技術はネットに氾濫していた“アイコラ”たちとは比べ物にならないほど稚拙なものだったが…。

 「…勘弁してくれよ」

 今までもMIHOは、インストールした画像編集アプリで自撮りにフレームをつけたり、セリフを入れたりといった加工を施してくれていた。今回の写真も、アプリを使えば誰でも簡単に作れてしまうだろう。今は「ありえない写真」でも簡単に作れてしまう時代なのだ。
 とはいえ、メッセージを返さないことへの当てつけにしては手が込んでいる。

 こんな気味の悪い女だったのか…。

 恐ろしくなった俺はそのまま「ミートゥ」を落とし、スマホを放り出してベッドへ潜り込んだ。

***

 その日から、俺はMIHOからのいっさいのメッセージを既読無視した。
 いや、無視せざるを得なかった。
 なぜならMIHOからの“合成写真付きメッセージ”は、日を追うごとにエスカレートしていったからだ。

 MIHOです。
 昨日の夜景はキレイでしたね。
 あんな所に連れていってもらったの、初めてかも。
 感動しちゃった。
 今度、お礼に手料理をご馳走しますね。
 好きなもの、教えて。
 こう見えても料理は得意なんだから。 

 メッセージに添付された画像を開くと、夜景をバックに微笑む俺とMIHOの姿があった。

 こんばんは。MIHOです。
 男の人と手をつないだのなんて、もう何年ぶりだろ?
 思い出すと、いまだにドキドキしてしまいます。
 こんなのっておかしいですか?
 キライにならないでくださいね…。

 このメッセージには、手をつなぐ俺とMIHOの写真が貼付されていた。

 こんばんは。MIHOです。
 昨日はごめんなさい。
 急なことだったので、びっくりしちゃって…。
 でもイヤだったわけじゃないんです。
 むしろ…嬉しかった。
 それだけはわかってください。

 また、会ってもらえますよね?

 添付画像は、俺とMIHOがキスをする写真だった。もっとも、かなり強引に合成されていたので、これは一目でそれと分かるクオリティだったが。
 こんなまったく身に覚えのないことばかりを送られてきて、どんな返事をしろというのだろうか。

 冗談じゃない! 俺はお前と会ったこともなければ、電話で話したこともない。なのになんでこんな写真を送ってくるんだ? お前はなんなんだ! だいたいこんな写真、嫁に見られたらどうするんだ!

 俺は叫び出したい気持ちだった。MIHOの妄想デートはどんどんエスカレートしていき、ついにはこんなメッセージがやってきた。

 …ありがとう。
 好きです。
 大切にしてくださいね。

 添付されていたのは、ホテルと思しき部屋でシーツにくるまった、俺とMIHOの写真だった。

 その画像を見た瞬間、俺の中で何かがはじけた。俺はそのメッセージに、返信を書き始めていた。

 いいかげんにしてくれ!
 お前はいったい何者だ?
 俺はお前と会ったこともなければ話したこともない。ただメッセージをやり取りしていただけだ。
 第一、俺には妻も子供もいる。気持ち悪いことはやめてくれ。
 自分がしてることがおかしいとは思わないのか? これ以上、お前の妄想に付きあっていられない。

 もう二度とメッセージを送ってこないでくれ!

 そこまで一気に書くと、送信ボタンをタップする。

 「メッセージを送信しました」

 ディスプレイに浮かんだ表示を眺めながら、俺は大きく息を吐きだしていた。

***

 あれから二週間。

 俺は高速道路を猛スピードで飛ばし、東京に向かっていた。
 向こうに残してきた妻と娘のことを思い、後悔の涙を拭うこともできないまま。

 怒りの返信を送って以来、MIHOからの妄想メッセージはパタリと届かなくなった。
 俺は数週間ぶりに平穏な日々を送っていた。

 今回のことで懲りた俺は、スマホから「ミートゥ」や画像加工アプリをアンインストールし、MIHOと送り合った画像たちもすべて削除した。

 “そのメッセージ”を今日になって発見したのは、「ミートゥ」をスマホ版に移行して以来テーブルで埃を被っていたノートパソコンを立ち上げたからだった。
 平穏な週末の夜、俺は久しぶりにNetflixで映画でも観ようと思い立ったのだ。
 OSが立ち上がると、聞き慣れた電子音とともにデスクトップ画面の右下にポップアップが滑り出てくる。見るとPC版「ミートゥ」のメッセージ通知だった。

 そうか、パソコンの方もアンインストールしなきゃな。ていうかアカウントを消した方がいいのか。危ない危ない、忘れてた。
 そんなことを考えながら、不用意に通知をクリックする。そのままアプリが立ち上がり、見慣れたメッセージの受信一覧画面が表示される。
 リストの一番上に表示されているのは、案の定MIHOからのメッセージだ。太字になっていることが未読であることを示している。

 変な写真を送ってくる前はいい子だと思ったんだけどなぁ。
 アカウントを削除する前に少しだけ感傷的な気分になっていたのか、ついMIHOとのメッセージ画面を開いてしまった。
 届いていたメッセージは1件だけで、日付は昨日の夜10時46分となっていた。
 うわ、まだ諦めてないのかよ…。
 俺は不気味に思いながらも、そのメッセージをクリックして開いてみた。

 裏切ったのね…。
 許さない…。
 絶対に許さない…。
 
 

 簡単な文面に、俺は少しホッとしていた。許さないったって、どうしようもないだろう。こんな言葉で済むなら、まぁ助かった。

 しかし、なんだって二週間も経ってからわざわざこんなメッセージを?
 その点に少し違和感を覚えながら、もう一度モニターに目をやると、画面の右下に向かってスクロールバーが延びていた。これはつまり、メッセージに続きがある、ということを表している。

 ゴクリ。

 唾を飲みこむ音が頭の中にやけに響く。俺はマウスホイールを操作して、画面をスクロールした。

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 東京都足立区梅島…
 サンハイツ梅島302

 「うわぁ!」

 思わず声をあげ、パソコンの前から飛びすさった。
 長い改行の果てに表示されたそれは、俺の家の住所だった。妻と娘の住む、東京の家の。

 なぜ、なぜあの女が、この住所を?

 そう考えながらも、見開かれた俺の目は、もう一つの事実に気付いていた。
 そのメッセージには、画像ファイルが添付されていることを示すボタンが付いていたのである。
 心の奥で、イヤな感じがした。心臓をざらざらした手で直接なでられたような、そんな感覚。正直、見たくなかった。しかし頭のどこかで「見ろ! 見ろ!」という声がする。

 俺はマウスに齧り付くようにして、震える指でそのファイルを開いた…。

***

 深夜の高速を走る俺のアタマには、一つの場面が焼き付いていた。

 真っ赤に染まった見慣れたダイニング。血溜まりに倒れた妻の、おかしな風に折れ曲がった体。首のない子供を抱え、写真の真ん中で微笑む女…MIHO。
 モニター上に浮かんだ、合成や加工というにはあまりに鮮明で、現実感のある写真。

 ありえない! ありえない! ありえない! あんな写真はありえない!

 そう自分に言い聞かせても、とめどなく溢れてくる悔恨の涙が前方の景色を滲ませる。

 あのとき、マッチングアプリなんかに登録しなければ。
 あのとき、あの女にメッセージさえ出していなければ。
 あのとき…あのとき…あのとき…。

 俺は狂いそうになりながら、東京を目指して、車を走らせるしかなかった。
 「ありえない写真」のあの情景が「現実」であることをわかっていながら…。

(了)

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