社会人1社目
転居して関東で仕事を始めました。
新人研修
会社は製薬会社でした。周りも理系ばかりで話も合い、同期ガチャは当たりだと思っていました。4月1日に入社式を終え、2週間の合同研修がありました。入社して3日目、慣れない環境で疲れていたところに、社長から会食の指示が来ました。初めての社長会食です。仕事のあと、同期たちと会食場所へ向かいました。席は社長と同じ卓。社長は話好きで、でもただ話を聞いていればいいというわけではなく、気を使いながら返答、相槌をしなければいけません。社長の機嫌を損ねてはいけない。とても緊張しました。そんな中の食事は美味しいものとは言えませんでした。食事のペースも考えなければいけません。私はすぐにでも帰りたかった。しかし気分が上がった社長がカラオケに行こうと言い出し、接待は続きました。これが社会人か…と思っている私を他所に、同期たちは楽しんでいる様子でした。私だけが楽しめない、常に気を張って食事もうまく食べられない。とてもしんどかったのを覚えています。
3週目からは新人研修に向かいました。私が入った部署はスタートアップのまだ人数も少ない部署で、新人も私1人でした。そのため、他部署と同じ研修を受けることになりました。私たちは5人で田舎の寮で暮らしながら、3ヶ月勉強をしました。
しかし、私にとっては他部署の研修、つまり自分の仕事には関係のない勉強でした。自分の仕事の勉強をしたい。そう思っても時間がありませんでした。毎日朝から夕方まで勉強して、帰ってからも自主勉、買い物と家事を終えたら今度はレポート。寝るまで机に向かっていました。そうしないと提出期限やテストに間に合わないのです。土日は同期と出かけたりもしていたけれど、やっぱり帰ってから勉強しなきゃいけないし、暇さえあれば机に向かうことを強いられていました。しかも必要のない内容。これが社会人なのか?私は何をやっているのだろうか。他部署の製品を覚えながら、そんなことを考えていました。
同期
5人のうちの1人はADHDでした。それを本人も公言していたので理解はできたのですが、同期として一緒に3ヶ月も過ごすのは限界がありました。授業中の居眠りは毎日、そのくせ起きている時は座りながら足踏みをしカタカタカタカタ、体は常にユラユラ動き、課題は忘れてくる、発表ができない、毎日5人で車出勤なのに朝は寝坊する、鍵をなくしたと大騒動かと思えばバッグに入っている、人の気持ちはわからない。特に居眠りと足踏み、体の揺れが気になって仕方ありませんでした。日ごとに席を回していたので、視界に入る席の時は地獄。気にしたくなくても視界に入らなくても音は聞こえる。それは他の3人も同じでした。何度注意しても治らない。上司に相談しても、上司はその人を特別扱い。仕方ない、我慢しろ。仕方ないのは私たちもわかっていました。席を後ろで固定するなどの対処法を考え実践しました。私たち4人は勉強の過酷さと社長会食、田舎への幽閉、同期問題にぶつかって次第にノイローゼになっていきました。ある人は帰宅して倒れるように寝て、夜になっても電気がつかず物音もしない、土日も外に出てこない。ある人は毎晩泣きながら同期に助けを求める。そんな日々をなんとか耐え忍びました。
部署配属
地獄の新人研修を終え、無事皆それぞれの部署に配属されました。私の部署は先輩たちがとても優しく、仕事をしていて心地よかったのを覚えています。しかし、問題がありました。社長会食です。あの地獄の会食が月に2.3回もあったのです。私の部署は社長のお気に入りの寄せ集めでした。会食では飲めないビールに食べられないお寿司を強要される時もありました。休みの土曜日も会食がありました。これが社外会食なら、もっと頑張れるのにな…社内で何をやっているのだろう。私は社長のお気に入りに新人加算が加わった立場で、同期の中で同じ立場の女の子がもうひとりいたので、その子とよく話すようになりました。私たちは同期との社長会食に仕事で遅れていっても、なぜか社長の隣があけられていて、そこに通されるのでした。社長の両隣と正面は女の子で固めなければならず、ウザ絡みをしてくるのをうまくかわしながら社長の機嫌を取り、ひたすらヨイショする。端の同期は楽しそうにご飯を食べていて、毎回羨ましかった。ずるいとさえ思いました。社員旅行に行っても私たちの役目は社長を追いかけ機嫌を取ること。そんな旅行行きたくなかった、純粋にただ仕事をしていたかった。
それだけ会食を頑張っても、部署として仕事を中々もらえませんでした。社長ストップがかかるのです。あれはだめ、これもだめ、提案を却下されては社長に従う。とても窮屈でした。
給料は良かったので、私は毎週末飲み歩くようになりました。朝まで飲んで家で潰れる。そんな日々に疲れ、メンタルの調子を崩して、心療内科に通い始めました。1年目の夏でした。
心療内科とOD
初めての心療内科でしたが、しっかり話を聞いてくれて、心が落ち着き居心地のよい空間でした。私は適応障害と診断され、服薬を始めました。抗うつ薬と睡眠薬を処方され、カウンセリングにも通いました。仕事は休みませんでした。それがいけなかったのでしょうか、ある週末、飲み歩くだけでは足りなくなった私は睡眠薬を過剰摂取しました。初めてのOD(オーバードーズ)。金曜の夜に過剰服薬すれば、日曜の午後に起きる。ひとりの時間がある土日は嫌なことを考えてしまうので、そうやって薬で時間を飛ばすようになりました。仕事だけする生活。調子が良くなるわけもなく、死ぬことを考え、行動化した時もありました。
2社目に続きます
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