とうふぱんだ

とうふぱんだ

最近の記事

社会人2社目

診断が双極性障害になった冬、お気に入り仲間の女の子は同じ時期に休職に入りました。私はこれ以上会社と繋がりを持っているのが嫌だったので、転居と転職を決意しました。 転居翌1月、関東から1300km離れたところへ転居しました。とにかく遠くへ行きたかった。実家も仕事も捨てて、なにもかもやめたかった。多額のボーナスをもらっていたのでお金には余裕がありました。転居してからの暮らしには心の余裕が生まれ、快適な生活を堪能していました。2月からアルバイトを始め、3月から職業訓練校に通いまし

    • 社会人1社目

      転居して関東で仕事を始めました。 新人研修会社は製薬会社でした。周りも理系ばかりで話も合い、同期ガチャは当たりだと思っていました。4月1日に入社式を終え、2週間の合同研修がありました。入社して3日目、慣れない環境で疲れていたところに、社長から会食の指示が来ました。初めての社長会食です。仕事のあと、同期たちと会食場所へ向かいました。席は社長と同じ卓。社長は話好きで、でもただ話を聞いていればいいというわけではなく、気を使いながら返答、相槌をしなければいけません。社長の機嫌を損ね

      • 大学

        無事希望だった私立の大学に入学しました。 大学では勉強、バイト、部活、友達、恋愛、と忙しくも充実した毎日を送りました。なんせ家を出てのひとり暮らし、楽しくて仕方ない。今までの抑圧された環境からやっと自由になれた気がしました。18歳で感じた自由でした。 奨学金皆さんは大学や大学院に通う時、奨学金を借りましたか?私は第二種という利子付きの奨学金を借りました。借りる時に驚いたことがあります。 それは、借りる人が意外と少なく、第二種はほとんどいないこと。私の学科では大体3分の1が

        • 病識振り返り(中学~高校)

          今思えば、というのもあるので、振り返っていきます。 中高はしんどかった思い出が多いですが、当時はそこまでとは思っていませんでした。病識は全くありません。 おそらく母の鬱、部活や勉強での落ちこぼれ、無力感などから、鬱は発症していたと思います。 当時から死にたい気持ちはあり、部活をサボって川に行って、川で「今ここに入っていったらどうなるんだろう」と考えたりしていました。川は私の安らぐ場所のひとつでした。あの時死んでいたら、あの時川に飛び込んでいたら。もっと治療が早く進んでいた

          中学~高校

          私の生い立ち。 両親は仲が悪く、小さい頃から喧嘩ばかりしていました。 始まりは中学生中学時代。友達に恵まれ、勉強もでき、部活にも馴染んで楽しい生活を送っていました。部活はバスケ部に入っていました。 中学2年の担任 中学2年生の時、所謂熱血系の担任に当たり、私は究極ののほほん平和主義(意思はしっかりありすぎる)のためぶつかってしまいました。熱血系がどうにも受け入れられないのです、未だに。なにに熱くなっているのかわからないし、それを周りにまで波及させないでほしいと思っていま

          note はじめてのnote

          自己紹介はじめまして。私はとうふといいます。Xで闘病垢をやっています。そうです、病気持ちです。私の病気は「双極性障害」そして「情緒不安定性パーソナリティ障害」です。今や、鬱や統合失調症などの精神疾患は他人事ではありません。身近に精神科に通ってる方もいるはずです。どんな方にも見て欲しい闘病記を書いていきます。精神疾患を身近に感じられますように。 私の病気について双極性障害 双極性障害は躁鬱病とも呼ばれている病気です。1型と2型があり、躁状態の程度によって分けられます。どち

          note はじめてのnote