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未経験から始めた読み聞かせのボランティアが最高だから知ってほしい
2023年4月、長男が小学生になったことをきっかけに、近所の公立小学校で読み聞かせのボランティアを始めました。
まったくの未経験、絵本なんてほとんど触れたことのないところからのスタートでしたが、始めてみて本当によかった。子供たちを前に実際に読んでいるときはもちろん、そこに至るまでの本選びや、どんなふうに読もうかとあれこれ考えているときも含めて、ずーっと楽しいんです。なおかつ、毎回発見に満ち溢れている!
活動を始めて2年弱。まだまだ初心者ですし、それでいて生意気にもセオリーとされるものに反することをやっている自覚もあります。長いあいだ読み聞かせをされてきた先輩方からすると「なにをいまさら」とか「いやいや、それは違うでしょう」というところがたくさんあるんだろうな、と。
ですが、ひとまずそういう懸念は置いておいて。まずは自分がこの活動を通じて得ている感動や、思い通りにいかない中でもいろいろと考えてきたことを記録しておく意味で、思い出せる範囲ではありますが、一度まとまった文章にしておきたい。そう思って今回、筆を取ることにしました。
それが結果として、同じように読み聞かせをしている誰かの共感を呼んだり、始めようかどうか迷っている人の背中を押したりすることになったらいいな、と。絵本好きの誰かとつながるきっかけにでもなったりしたら、それはもうこの上ない喜びです。
読み聞かせボランティアって?
読み聞かせのボランティアとはどのようなものなのか、最初に活動の概要を説明したいと思います。
息子が通う小学校にはもともと読み聞かせのボランティアグループがあり、年度の始めに新規メンバーを募集しているのを見て、入れてもらいました。いまどきはどこの小学校にもだいたい似たような活動をしているグループがあるらしいです。その年の新メンバーは自分のほかにもう一人いて、彼女もお子さんが新1年生でした。
メンバーはその小学校に子供が通っている、または通っていたというお母さんがほとんど。男性でも問題ないはずなんですが、過去も含めて、ほとんどいたことはないみたいです。やっぱりお仕事でお忙しいんですかね。少数ですが、リタイアされた元教員の方や、図書室の現役司書さんなども参加されています。
お仕事の都合で欠席される方も多く、全部で何人いらっしゃるかまでは把握できていません。が、よく見かけるメンバーはだいたい10〜15人くらい。その中で回ごとに入れ替わる感じです。
活動は水曜日限定で、月に2回、または3回実施しています。時間は朝8時25分から40分までの15分間。始めた当初はいわゆる「朝の会」の時間を使っていましたが、学校のカリキュラムの変更に伴い、現在は1時間目の最初の15分を借りる形になっています(実質は変わりませんが)。
読み手の人数的に、6学年すべてのクラス(だいたい25クラスくらいある)で毎回実施することはできません。そこで「この日は1年生と3年生」「次の週は2年生と4年生」というように、回ごとに実施学年が変わります。参加メンバーは、あらかじめリーダーによって割り振られた担当クラスに行って、読み聞かせをすることになります。
どんな本を読むかは担当者に一任されています。私物を読んでもいいですし、図書室で借りることも、市の図書館で「読み聞かせボランティア枠」として通常より長い期間借りることもできます。
15分という限られた時間なので、あまり長いものは読み切ることができません。逆に、短めのものなら2冊、あるいは3冊読めることもあります。そのクラスでいつ頃、どんな本を読んできたかはすべて記録・共有されていますから、そうしたものも参考にしつつ、最適な難易度を考えたり、被らないようにしたりして本を選びます。
クリスマスや卒業シーズンなど、季節にあわせて選書している方が多い印象です。声に出して読むのが気持ちいい本を子供たちと一緒に音読する人や、専用の道具を使って本格的な紙芝居に挑戦している人もいます。(ちなみに、紙芝居は「芝居」なので、役を演じ分けるなど、推奨される読み方が絵本とは異なるらしいです)。
学校側とも共有されている活動の趣旨は、一日の始まりに心を落ち着けて、物語の世界に浸ってもらう時間を作る、というもの。ただ、この活動に理解の深かった前任の校長先生は「物語ももちろん大事だけれど、科学絵本や哲学絵本なども含めて、子供たちの世界を広げてくれると嬉しいです」と言い残して異動されていきました。確かにそうだ!
参加の動機は「小学校のことが知りたい!」
ここからは個人的な話になります。まずはボランティアに参加しようと思った理由から。
私が未経験でありながら読み聞かせのボランティアに参加しようと思ったのは、小学校および小学生という生き物の生態を知りたいというのが一番の動機でした。
小学校という場所で何が行われているのかって、自分の子供が通っているなどしない限り、基本的に外から窺い知ることができませんよね。昨今は防犯上の理由などもあり、一層ブラックボックスと化している印象もありました。
もちろん自分自身もかつて小学校に通っていたわけですが、それははるか昔の話。記憶も薄れていますし、時代の移り変わりに伴い、中で行われることも大きく変わっているはずです。
息子が通うことになる小学校という空間がどんな場所なのか、息子を通して知る以上のことを知りたい(本人に聞いても絶対にそんなに教えてくれないし)。そして、その中で日々学び、遊んでいる今の小学生たちが、一体どんな生き物なのかを知りたいという欲求がありました。
そのために何かしら学校との接点を作れないものかと探っていたところ、折よく見つけたのが、読み聞かせボランティア募集の案内でした。「これは小学校というものを知るためのいい突破口になるかもしれない」。そのように考えて、参加することに決めたわけです。
最初はスベることが怖かった
しかし、いざ始めてみると、当然のことながら最初はわからないことだらけ。自分はもともと絵本というメディアにそれほど触れてきたわけではないので、絵本そのものについても、絵本作家についても、そこまでの知識がありません。
なおかつ、長男が小学生になったばかりなので、今の小学生という生き物についても詳しくない。ですから、たとえば5年生がどれくらい難しい物語を理解できるかとか、逆にどんな話だと幼稚すぎると感じてしまうのかといったことが、まったくわからないところからのスタートでした。
もちろん、1年以上活動を続けていくうちに少しずつわかることも増えていきます。とはいえ、同じ学年の当番が連続して回ってくることはほとんどないので、理解が進む速度はそれほど速くはありません。
最初のうちは「スベるのがイヤだな」「教室がシーンと静まり返ってしまうのが怖いな」と思って、わかりやすく笑いが起きそうな本を選びがちでした。
また、図書館で新たに借りてくるよりも、数はそれほど多くないですが、もともと自宅や実家にあった本を選ぶことも多かったと思います。その方が読み慣れているので、たどたどしい読みで場を白けさせる恐れが少ないと考えたからです。
「この学年を担当したい」と自ら志願することはありませんでしたが、特別支援学級の担当が割り当てられると、内心「やった!」と思っていました。自分の思ったことをストレートに口にしてくれる子が多く、わかりやすく盛り上がるので、初期は大変助かりました(そのクラスがたまたまそうであっただけで、特別支援学級の子たちが必ずそうかはわかりませんが)。
試して、観察して、微調整して
けれども、こうした考え方やスタイルは、活動を続けていくうちに少しですが余裕が出てきたことで、変わっていきました。
あらためて「なぜ自分はこの活動に足を踏み入れたのか」というところに立ち返ってみると、それは「小学生という生き物の生態を知るため」です。
そうだとしたら、目の前の一回がわかりやすく盛り上がったかどうかで一喜一憂していても仕方がない。むしろ「ああ、この本をこういう形で読むのでは反応が薄いんだな」と知ることは、彼らの生態を理解する上での重要な材料になるはずです。
必要なのは、彼らの反応に一喜一憂することではなく、よく観察すること。そして、観察を通じて得られた情報をもとに、微調整して、再度試行してみること。その繰り返しが必要なのだと考えを改めました。
そう気づいてからは、学年に合わせて読む本を変えるのではなく、あえて同じ本を異なる学年、異なるクラスで読んでみて、返ってくる反応の違いを意識して観察してみたりもしました。
そうやってちゃんと観察していくと、それまで「盛り上がらないな」と思っていた状態は必ずしも失敗ではなく、むしろ子供たちが物語に浸っている場合もあることがわかってきました。
また、「高学年には幼すぎるかな」と思いつつ読んでみた本が意外に受け入れられたり、逆に「1年生には難しすぎるかな」と思った本も、感想を聞いてみると、案外理解しているらしいとわかったこともありました。
もちろん、同じ学年の子であっても一人ひとり反応は違います。中には「部分的に理解できないところがあったとしても、全体としては楽しめている」という子もいたりして、とにかく毎回発見があります。
ちなみに、同じ学年であってもクラスによって読み聞かせに臨む雰囲気は結構違います。こういうクラスの雰囲気って、担任の先生によって作られるものなんでしょうか。それともリーダー的な存在の子が重要だったり? そんなことを想像するというオマケ的な楽しさもあります。
読み聞かせにセオリーはある、けれど
毎回15分の読み聞かせを終えたあとは、待機場所である図書室に戻って、その日の読み聞かせがどのようなものだったかをメンバー間で共有し合う時間があります。
読み方や本選びについて、ほかのメンバーからアドバイスをもらうことができますし、時には公立図書館の司書さんやよそのボランティアグループの方などを講師に招いて、勉強会が開催されることもあります。
その中で徐々にわかってきたのは、読み聞かせには、たとえば以下のようなセオリーがあるらしいということでした(間違っていたらごめんなさい)。
左開きか右開きかで持ち手を変える(めくる手が邪魔にならないように)
ページをめくったらいきなり読み始めない(子供たちがじっくりと絵を見て楽しむ時間を作るため)
読んでいる最中に話しかけてくる子がいるけれど、基本的には応じない(ほかの子供が物語の世界に没入する妨げになるから)
感想を求めない(次回以降、感想を言うことが目的化してしまって、やはり物語に没入する妨げになる可能性があるから)
自分は初心者ですし、活動を始めた当初はこうしたセオリーをなるべく守るようにしていました。しかし現在は、引き続き念頭には置きつつも、特に3や4に関しては、あまり気にしすぎないようにしています。
というのも、自分にとっての読み聞かせは「子供たちとのコミュニケーション」としての側面が大きいということに、次第に気づいていったからです。
もちろん言葉を交わすことだけがコミュニケーションではないですが、子供たちがせっかく発してくれている合いの手や感想にまったく応じずに、こちらから一方的に読むだけでは、やはりもったいないなと感じます。
手前味噌ですが、物語の進行の妨げにならない適度なコミュニケーション(傾聴することもそうですが、時には適当にあしらうことも含めて)にはそこそこ自信があるので、今はそういうスタイルで楽しんでいます。
読み手の楽しさは聞き手にも伝わる
本の選び方も段々と変わっていきました。
初期のなにもわからなかった頃は「読み聞かせに向いている本ってどんな本かな」「5年生にちょうどいい難易度ってどんなだろう」といった感じで、どちらかといえば子供たち、あるいは読み聞かせのセオリー・一般論に合わせて本を選んでいたと思います。
けれども、そうやって選んだ本を読んでも、どうも自分自身が楽しみきれていない。学校からの帰り道で「やり切ったな!」「今日はいい時間だったな!」と晴れ晴れした気持ちになれない自分がいることに気づいたのです。
そこであるときからは、子供たちに無理に合わせにいくのではなく、読み手である自分自身が読みたいかどうか、好きな本かどうかを最重視する方針に変えました。このあたりから、歯車がうまく回り始めた気がします。
そうすると(当たり前ですが)なにより自分が毎回楽しく読めますし、子供たちに対しても熱のこもった形で、自信を持ってプレゼンテーションができる。それはやっぱり子供たちにも伝わっているように感じました。
もちろん、そうは言っても、学年やタイミングに合わせて選ぶ部分が完全にゼロになることはありません。そこは、2冊読む本の組み合わせで工夫したり、読む前のアイスブレイクで文脈を作ったりすることで、うまくアジャストできる感触も最近は出てきました。
子供たちと気持ちを交わせる楽しさ
ここまで、自分がこの2年間に行った試行錯誤や、その結果行き着いた現在のスタイルについて書いてきました。最後に、自分が読み聞かせという活動のどんなところに楽しさを感じているのかを言葉にしてみたいと思います。
いの一番に言えるのは、やっぱり小学生とのコミュニケーションはめちゃくちゃ楽しい!ということです。
こちらのステレオタイプ的な見方とか理屈を簡単に超えてきてくれるので、毎回新鮮な発見があります。またそれ以前に、普段大人同士の理屈っぽいコミュニケーションに慣れ切っている自分からすると、思ったことを率直に口にする子供たちとのやりとりは、とにかく気持ちいいんですよね。
もっと単純なことで言えば、教室に入った瞬間に「あ、前も来てきてくれた人だ!」と歓迎してくれたり、街で見かけて声をかけてくれたりするだけで「ああ、ささやかながらも彼らの人生の登場人物にしてもらえているんだなあ」と嬉しくなります(もう悪いことはできませんね)。
というように、絵本というものを通じて、いろんな子供たちと気持ちを交わせるというのが、自分が感じている一つ目の楽しさです。
絵本のおかげで世界が広がった!
そしてもう一つ、絵だけでもない、文章だけでもない、絵本というメディアの魅力を知ることができたことも、自分にとっては非常に大きな出来事だったと感じています。
多くの絵本は物語であるから、ストーリーの面白さはもちろん大事。なんですが、じゃあストーリーが完璧にわからないと楽しめないかと言えば、そうでもないのが絵本のいいところだと思います。絵を見て楽しんだり、言い回しや音感を楽しんだり。そういういろいろな楽しみ方があると教えてくれたのは、間違いなく子供たちでした。
普段、学術書やビジネス書ばかり読んでいて、あるいは大人同士の理屈っぽい会話ばかりしていて、それはそれで楽しいのだけれど、一方で何か大切なものを失っている感覚がある。そんな人には、絵本はとてもいいメディアだと思います。自分はまさにその一人でしたが、絵本のおかげで、確実に世界が広がりました。
いまではAmazonの「ほしい物リスト」にはたくさんの絵本が放り込まれていますし、ブックオフで暇つぶしする際にも、自然と絵本コーナーに足が向くようになりました。もともと好きだった作家やアーティストが「絵本も出していたりしないかな?」などと、気にかけて調べるようにもなりました。
その先で、自分の好みの絵本があることもわかってきました。
真っ白いページに説明的なイラストが配置されているより、ページいっぱいに描かれている方が好きだな、とか。細い線で細密に描かれたものより、太い線で勢いよく描かれたものが好きだな、とか。教訓めいたメッセージが強すぎるものはあまり好みじゃないな、とか。表面的な言葉選びの面白さや、音に出して読んでみたときの気持ちよさが思いのほか重要なんだな、とか……。
そんなわけで、2年弱の読み聞かせ活動は、自分にさまざまなものをもたらしてくれましたし、この先もきっと発見に満ちているんだろうな、とワクワクしています。
今後も継続的に発信して、活動していく中で得られた気づきを文章化したり、お気に入りの絵本を紹介したりすることにも挑戦していきたいです。絵本好きの方や、同じように読み聞かせを楽しんでいらっしゃる方は、ぜひ仲良くしていろいろ教えていただけると嬉しいです!