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【読書ノート】「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」

読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」著.ロビン・ダンバーです。

以前の【読書ノート】「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」の中で

現在は、宗教は世界中で紛争を生んでおり、その機能が限界を迎えている可能性が指摘されている。つまり、人類の集団規模が、宗教でまとめられるサイズを大きく超えてしまったのではないか?という指摘である。

『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論~ (光文社新書)』p.151

という箇所があり、「宗教でまとめられるサイズ」という言葉が気になり、この本に出会いました。

この本ですが、組織構築という観点で、非常に示唆が多いものでした。
興味深いと感じた箇所について、書き留めておきます。

著者のロビン・ダンバーは、霊長類が、哺乳類の中でも特別な社会性を発達させた動物だという認識から出発し、ヒトという生物において、この社会性はどのように進化してきたのかを研究してきた人で、ヒトが親密性を感じて暮らすことができる集団のサイズには上限があり、それはおよそ150人であるという、「ダンバー数」を提唱した人として有名です。

この本のテーマは大きく分けて2つあります。

  1. どうして人間はこれほどまでに宗教を信じようとするのだろうか。

  2. なぜ宗教はこんなにたくさんあるのか

この2つについて、人間の生物としての集団形成に関する観点を踏まえて、話しが展開されていきます。

以下、取り留めない雑記です。


外敵から身を守るための農耕規模拡大

まず、興味を引いたポイントが下記の箇所です。

これまで新石器革命は農耕の習熟と深い関わりがあり、そのための労働力を確保するには定住化が必要だったといわれてきた。だがこれはほぼ確実にまちがっている。
・・・・
農業は少ない労力で栄養状態を大幅に改善したから健康に良いという感ががすっかり定着しているが、実はその逆だったようだ。同じ地域に暮らしていた狩猟採取民と初期農耕民を、骨に残る生理的ストレスの痕跡や、エネルギー処理量から比較したところ、農耕民の方がはるかに強い栄養的ストレスを受けていたことがわかった。農業は重労働であり、気候に左右され、野生動物や害虫の被害もある。それでも選択の余地はなかった。望んだとしても狩猟採取生活はもはや続行不能であり、集落に寄り集まって暮らさざるを得ず、それによって生じる大きな労苦に耐えるしかなかったからだ。つまり人びとは農業を発展させるために村を作ったのではない。少なくとも集落が一定の規模になってからは、村で生活するために農業を始めたのである。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.197

人口が急速に増え、侵略者からの防衛が必要となったため、分散型の狩猟採取生活から、都市型生活へ移行した、すなわち、敵が襲ってくるから、防御を優先するため一定のエリアで農業して暮らさざるを得なかった、という流れとなります。

農耕の発展よりも定住が先行したという部分、興味深いです。
今、読んでいる「世界史の構造」という本にも、少し異なるニュアンスで、「定住革命」が記載されています。

この本も、この後、採り上げていきたいと思います。

学習による継承の仕組み

ダーウィン進化論の世界では、すべての生命の起源はひとつしかない。進化の方向と速度を決めるのは、生物がたまたま直面する課題と、偶然見つけた回避策しだいであって、必然性が入る余地はない。進化はまっすぐに進むのではなく、さまざまな種が新しい状況に適応しながら少しずつ変化していく枝わかれのプロセスなのだ。
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要はダーウィン進化論が扱う現象は、遺伝子による継承にとどまらないということである。先祖と子孫(教師と教え子でもいい)において、論点となっている形質を互いに似せる何かの仕組みがあるかぎり、継承の仕組みが遺伝子によるものか(生物学的進化)、学習によるものか(単純な学習のほかに文化的進化もある)は問題ではない。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.44

組織的な学習が、形質を似せる仕組みを集団内に構築します。
形質を似せる仕組みがあることで環境適応力が強化される一方で、似せる仕組みが強くなりすぎると環境の変化に対応できなくなるという矛盾にどう向き合うか。
組織学習の仕組みと同時に、「枝わかれのプロセス」も同時に作れるかどうかは、考えるべきことかなと感じました。

150人の限界を突破するには

世俗的な実践共同体が管理体制なしで存続できる限界値は約40人で、教会の信者集団では150人であるのと対照的だ。・・・
以上のことから、信者集団の規模は帰属しようとする力(小さい集団ほど強まる)と、分裂しようとする力(規模の拡大とともに強まる)の釣りあいで決まると考えられる。大規模集団では、中枢で直接運営に関わる者は別として、それ以外の会員は疎外感と不満を覚え、自分の活動は上から命じられたもので、自分では決めようがないと感じる。そこで150人の限界を突破するには、新たな運営体制を導入する必要がある。それは正式な制度(それと上からの規律)のこともあれば、共通の関心事を持つ者で集まる下部構造であることもある。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.118

「正式な制度」については、経営学の組織デザインの分野で、様々な考えが出てきていますが、下部構造については、あまり理解していないので、このあたりも機会があれば勉強してみたい領域です。

組織の制度に関する考えは、以下の記事に記載していますが、興味がある分野なので今後も掘り下げていきたいと思います。

外的脅威が弱くなった時に想定されること

1.霊長類が結束の強い社会集団で生活するのは、外的脅威から身を守るためだ。
2.特定の種の集団規模は、脳の大きさによって制限される(次いでその規模は、居住と採餌の環境が良好であるかぎり、その種が通常経験する脅威のレベルに順応している)。
3.人間の自然な社会集団と個人の社会ネットワークにもこのパターンが当てはまる。
4.人間の自然な共同体、個人の社会ネットワーク、そして教会の信者集団には、約150人というはっきりとした上限が存在する。
5.この上限は、構成員の帰属意識、ほかの構成員との個人的なつながり、集団所属による利益に対する満足度といった、集団規模が与える影響によって決まっていると考えられる。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.119

戦争、特に核兵器の脅威は、ヒトが抱える過去最大の脅威でしょうか。
世界各地で紛争は繰り返されていますが、日本においては、戦争経験者も少なくなり、平和な時代が続いていることで、外的からの脅威を感じ辛い環境にあるように思えます。
これが集団規模にどう影響してくるのか、興味深いところです。

社会的相互作用の中核

こうしてたどりついた唯一の現実的な解決策が、直接触れることなくエンドルフィン分泌をうながす一連の行動だった。それはいまも、私たちの社会的な相互作用の中核となっている。それはいまも、私たちの社会的な相互作用の中核となっている。獲得した順に行動を並べると、笑うこと、歌うこと、踊ること、感情に訴える物語を語ること、宴を開くこと(みんなで食事をして酒を飲む)で、最後に忘れてはならないのが宗教儀式だ。いずれも言葉に依存するため、ヒトにしかできない行動であす。唯一の例外があるとすれば、最も早くから存在した笑いだろうか。
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「遠隔グルーミング」行動は、とくに共同体を築くときの社会的なやりとりに欠かせない新しい手段となった。
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人数がいちばん少ないのは笑いで、自然にいっしょに笑えるのは3人までだが(会話集団の数とも一致する)、それでもグルーミングの3倍効率がいい。これに対して歌唱は、ほぼ無限に人数を増やすことができる。私たちが行った研究では、200人のアマチュア合唱団と、そこから20人だけ選抜した合唱隊では、前者のほうがエンドルフィンが多く分泌され、結束感も有意に強かった。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.124-125

やはり集団運営において、『笑うこと、歌うこと、踊ること、感情に訴える物語を語ること、宴を開くこと』重要です。

この部分、組織運営について、見過ごされていること多いのではないでしょうか。

『最後に忘れてはならないのが宗教儀式だ。』

「「儀式」で職場が変わる――働き方をデザインするちょっとヘンな50のアイデア」という本にもあるように、集団を構築する上で求められている共同体意識を醸成する拠り所において、儀式が注目を集めています。

儀式がエンドルフィンによる効果をもたらし、帰属意識の創出、共同体の結束に重要な役割を果たしていることがわかる。そのなかで欠かせないのが同期性で、エンドルフィンの効果を増幅する働きがあるようだが、その仕組みや理由は完全に解明できていない。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.167

課題があって解決策がやってくる

人口の変化によって生じるガラスの天井は、高い位置にもあれば、低い位置にもあるようだ。社会が制約を打破して規模を拡大し次のレベルに進むには、各段階で新しい仕組みが必要になるのだろう。この種の分析では、原因と結果の順序をまちがえてはいけない。
実生活と同じく、進化において解決策は問題のあとにやってくる。問題になりそうなことを先どりはしないのだ。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.215

教義宗教は、おたがいが顔を突き合わせる小さな社会を脱却して、私たちがいま暮らしているような巨大国家を実現する最終段階だったのである。それぞれの段階は、治安を維持するためにますます複雑化する世俗や司法の仕組みと結びついていはいるものの、それでも宗教的要素それ自体は、ヒトにだけ見られる特徴なのだ。多くの世界宗教に見られる「高みからの道徳を説く神」は、住民の数が膨大になったときにのみ出現する発展の最終段階を表しているのである。

「宗教の起源-私たちにはなぜ<神>が必要だったのか」p.230

教義宗教の次に来るものはあるのか?
インターネットを通じて世界中の人がつながる中で、私たちが次に直面する課題は何なのか?
非常に気になるテーマです。

スポーツが及ぼす役割

最近Xの投稿を見ている中で、下記ツイートを興味深く拝見しました。

宗教以外で、笑うこと、歌うこと、踊ること、感情に訴える物語を語ること、宴を開くこと(みんなで食事をして酒を飲む)と聞いた時、頭に思い浮かんだのが、サッカーマンガ「GIANT KILLING」でした。

今回の書籍とは大きく話しが逸れますが、「GIANT KILLING」と組織運営については、いつか記事にまとめてみます。

取り留めないまとめ

教義宗教は、おたがいが顔を突き合わせる小さな社会を脱却して、私たちがいま暮らしているような巨大国家を実現する最終段階であるとの主張をこの書籍では展開しています。

現在は、宗教は世界中で紛争を生んでおり、その機能が限界を迎えている可能性が指摘されている。つまり、人類の集団規模が、宗教でまとめられるサイズを大きく超えてしまったのではないか?という指摘である。

『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論~ (光文社新書)』p.151

「宗教でまとめられるサイズを大きく超えた」というよりも「宗教でまとめられるサイズまで拡大し今がある」ので、これから先、更なる大きな集団を作るためには、教義宗教より先に、何かを創り出す必要があるということでしょうか。

本書籍、いくつも気になるテーマを与えてくれる、興味深い書籍でした。
お薦め本です。

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穿つ@組織コンサルタント
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