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組織における恐怖と飢餓感
以前の記事で『生存本能、死への恐怖、ご飯が食べられなくなる恐れ』について言語化していましたが、今回は、この部分について深掘りしてみます。
これまで様々な組織が生まれ、成長と衰退を繰り返してきました。
これらを駆動させるエネルギーは何だったのかと考えると、それは、生存本能、死への恐怖、ご飯が食べられなくなることの恐れ、だったと考えます。
組織において感じる恐怖とは
私たちは、身の危険があることに対して恐怖を感じます。
私たちは、危険なものに恐怖を感じることで、危険を避けて、生き延びることが出来るようになりました。
従業員の皆さんが「組織における恐怖」は何かと考えるたとき、
・上司からの評価に対するプレッシャー
・目標数字を達成することに対するプレッシャー
・お客様の要望に応えることにかかるプレッシャー
等々、外側から来る恐怖を上げられるのではないでしょうか。
また、経営者の方で言えば、
・資金が繰り回せなくなる恐怖
・従業員が離れていく恐怖
等々が、外側から来る恐怖として考えられます。
これらの恐怖は、自分を評価するであろう他者(上司、数字、お客様、銀行、従業員)の求めに答えられないことに対する恐怖、これに伴い経済的な死(減給やクビ、倒産)を迎えることが想定される恐怖です。
一部の人が感じている恐怖
一方で、高いパフォーマンスを上げている人は、その人の内側から来ている恐怖で駆動しているのではないかと感じることがあります。
それは飢餓感や渇望といった、自身で打ち立てた目的や目標に対する不足に対する強烈な執着です。
これらの恐怖は、自分が自分の求めに答えられないことに対する恐怖で、他者性が自己の中に内在化している、自分の内側から来ている恐怖です。
外側から来る恐怖が機能しなくなっている
最近の従業員は、上司からの評価が下がることに恐怖を感じない。
上司が評価による恐怖で部下をコントロールすることは前時代的だ。
豊かな時代になった今では、減給や降格等のペナルティーによる恐怖は、組織の中で機能しずらく、また、世間的に認められないケースも増えて来ている。
こんな声を聞くことも増えてきました。
時代の変化の中で、外側から他者が与える恐怖が、私たちに機能しずらくなっているのかもしれません。
一方で、自身の過去の経験から来る、自分の内側から発生する恐怖である飢餓感や渇望のようなものは、広く情報が行き交う現代、社会性がある場合において、組織の求心力として機能していると見えることがあります。
こんな不遇な世の中を変えていきたい。
こんなことが許される世界をおかしい
このような考えは世の中から排除されるべきだ
これらは、一見すると未来への「希望」に見えますが、その実、希望を内包した恐怖(飢餓感や渇望)となり、個人の中で強い力を持つことがあります。
組織と個人を接続する
組織を運営する側にとって、外側から与える恐怖で人を動かせないとすれば、個人の内側から来る飢餓感や渇望を使って、組織を一定方向に導いていくことはできないのでしょうか。
内側から来る恐怖は、個人が欠落を認識するところから始まりまります。
企業が持つ目的、理念は、その企業が存在する理由であり、社会にある欠落を埋めための宣言です。
組織が埋めたいと考えている欠落感と個人が抱える欠落感を意味付けにより繋げていくことが、外側からでない内側からの恐怖で組織と従業員を駆動させるために求められていることかもしれません。
組織の目的と個人の経験を対話による内省で意味づけていくことが、組織目標の進捗管理の対話とは別の枠で設定されていることが、一つの方法論だと考えます。
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![穿つ@組織コンサルタント](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169786732/profile_b44a090f8bc607a4387a63eb4f7251d6.png?width=600&crop=1:1,smart)