ピコピコ中年「音楽夜話」~長谷川、バンドやめるってよ①
その曲が表現する哀しさとは、違った意味で「哀しく」致命的に音とリズムがズレたブルーハーツの『青空』。
そんな「青空?」と疑問形になってしまうような曲が、貸しスタジオの中に響き渡った日。
バンドを、辞めた。
高校2年の出来事だった。
…。
音楽…それは皆のフロンティア。これは、ミュージシャンでも何でもない、東北に暮らしているただのピコピコ中年が、数々の音楽に出会い、時にココロ救われ、時に人生さえ動かされた回顧録的物語である。
(スタートレックの冒頭BGMと共に)
☆イカしてたぜバンドブーム(中学時代)
中学生時代。ゲームとラジオ番組「オールナイトニッポン」で流れる下ネタにキャアキャア騒ぎ、第二次性徴期のどうしようもないリビドーに振り回されっぱなしだった。
そんなある日、深夜のTV放送にちょっとでもHな番組はないものかと探していると、『三宅裕司のいかすバンド天国』という番組が放送されているのを見つけ、観た。
1980年代。まさにバンドブームの洗礼だった。
たまが「さよなら人類」を歌っているのを初めて観た時の衝撃。BEGINの「恋しくて」を初めて聴いた時の甘酸っぱい気持ち。
人間椅子というバンドを初めて観た時などは、読書好きが高じて「少年探偵団」では飽き足らず、江戸川乱歩先生の大人向け小説を読んでしまった時に感じた、どう表現したらいいか(その当時は)分からないけどエロい(今であれば変態的なフェティシズムと表現するような)感じを思い出し、少し頬を赤らめたものだった。
自分達で作った歌を、自分達なりの表現をしながら演奏する。他人様から与えられた曲を「歌わせられている」アイドルとは違い、なんて「バンド」とはカッコいいんだ…
「憧れは理解から最も遠い感情だよ」
コレは、かのオサレバトル漫画『BLEACH』のオサレ悪役:藍染惣右介のセリフである。確かに、この後の私の行動は「理解」ということからは、遠かったかもしれない。
バンドというものに憧れた私は、生来の天邪鬼でオタクな気質を遺憾なく発揮し、洋の東西を問わずバンドの情報を雑誌やTV・ラジオから収集しだしたのである。楽器を練習してバンドを組むという、ストレートな憧れの表現からすらも程遠い、今にして思えば、まぁ何とも「私らしい」方法ではあるが。
もちろん曲の良し悪しなど分かりようもない。そして、自分の好みであるかどうかもそっちのけ。他者との差別化、マウントをとりたいがための行動というよりは、レアな昆虫を見つけて喜ぶ少年の充足感。マニアックな情報であればあるほど興奮し、「マニアックな情報を知っている、マニアックなバンドを聴いている自分」に酔いしれていた。
まぁマニアックとは言っても、インターネッツもない時代の東北山形である。情報源といっても、せいぜい書店に並ぶバンド雑誌程度ではあったが。そんな充足感を求めてせっせと書店に通っている中、特別な雑誌と出会った。知らないバンドばかりが紹介されている「rockin’on(ロッキング・オン)」「rockin’on JAPAN」である。
「rockin’on(ロッキング・オン)」「rockin’on JAPAN」。持っているだけで、自分のマニアックさを証明してくれるような、自分がロック・バンドというものを理解しているような気になれる素敵な雑誌だった。
当然ながら、紹介されているCDを手あたり次第に買えるほど、金銭的な余裕はない。もちろん、新譜が大量に試聴できるタワーレコードやHMVといったオサレなCDショップなんて山形にあるわけがない。
インタビューやレビュー記事を読んでは、ただただ「どんな曲なんだろう…」と妄想を膨らませるだけだったが、「ロッキンオンを読んでいる」、ただそれだけで、自身のマニアック欲求がいい感じに満たされてくのを感じたのだった。
斯くして、イカ天に衝撃を受けバンドに憧れた長谷川少年は、ただの「バンド好き」として男子校へ進学する。
手にはウォークマン。差し込まれていたカセットテープは、現在の自分が手にできた音源による珠玉のマイベストアルバム。FMラジオの放送から録音した、ディスクジョッキーの声も微妙に入った音源も多かったが1991年春にリリースされた「私の」名盤である。
→②へ続く(え?続けるの?)