生き生きと活動するために必要なマネジメント教育
多くの企業で、マネジメント対象にさまざまな教育研修プログラムが組まれていると思いますが、マネジメント教育はほぼすべての企業で「企業の発展のため」に行われているのではないでしょうか。
ドラッカーは、実に面白い観点からマネジメント教育の必要性を説いています。
今日は、本の中からの引用ばかりとなりますが、みなさんはそれを読んでどのようにお考えになりますか?
ここまでは誰もがその通りだと納得できるでしょうが、ドラッカーの真意は以下の文章に示されています。
だからマネジメント教育が必要なのだと力説しています。
実際に、このような視点でマネジメント教育を行っている企業がどれくらい存在するのかはわかりませんが、私はこれは企業側の問題ではなく、受けるマネジメント側の問題だと指摘しておきたいと考えます。
私もマネジメントになるずっと前の若手社員の頃から、毎年のように人事が企画する教育研修を受けてきました。
その過程で、コーチングというものに巡り合い、自ら進んで学習を掘り下げていき、未熟ながら今日の自分があることを思うと、まさに会社の用意してくれた研修のおかげで、ドラッカーの言う「自らの人生、組織の外での人生を、40代半ばには始められるよう」になったことは事実です。
でも、残念ながら、一緒に参加した多くの同僚たちと、その後「7つの習慣」(全社員が受講した)について議論しようとしたとき、ほぼ全員と全く会話が通じなかったことや、コーチングについて興味を抱いた人は、次の会社で勤めた時の一人を除いて皆無だったことは、参加するマネージャーたちが、いかに自分のこととして捉えていなかったかの証左だと感じています。
ドラッカーはこうも言っています。
「知識労働者は甘やかされている」
実に重みのある指摘です。
一人当たりの費用と、受講する側のマインド、そしてその後の効果測定。
教育研修を企画する側も受講する側も、その意味をもう一度、振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。