プロフェッショナルの倫理/『知りながら害をなすな』というドラッカーの教えを肝に銘じるべし!
もうすぐ2023年が終わります。
年の瀬になると「今年はどんな年だった、来年はこんな年にしよう」という話題が各所で賑やかになります。
たしかに「目標を新たに立てる」という意味ではいい機会かもしれませんが、でも、時間はつねに連続していて、大みそかの除夜の鐘と共に過去の1年が消えてなくなるわけではありません。
来年を展望するにあたって、今年の年末はことさら忘れてはならない倫理や道徳といったものを思い返したいひと時です。
プロフェッショナルの倫理は「知りながら害をなすな」
ピーター・ドラッカーがプロフェッショナルの最大の責任として教えた有名な言葉に、「知りながら害をなすな」という名言があります。原文では以下の通りです。
「Not knowingly to do harm」.
この原典は、今から2,500年ほど前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中の一文の英語訳です。
医師や弁護士、政治家、官僚、教師、そして企業組織のトップマネジメントは、誰であっても顧客や市民、生徒に対し、自身の仕事が「必ずいい結果をもたらす」と保証することはできません。
できることはただ、「最善を尽くす」のみです。
でも、彼らプロフェッショナルは社会に対して、「絶対にうまくいきますとは保証できないが、知りながら害をなすことだけしません」と約束しなければなりません。
そして社会に生きる私たちは、「プロたる者は知りながら害をなすことはない」と信じなければなりません。
もし、これを信じることができないのであれば、もはや何も信じることはできず、そもそも社会は成り立たなくなってしまいます。
酷過ぎはしないか
事の真偽は本人だけが知っているので、この場で断罪するようなことをしてはいけないということを理解したうえで、このドラッカーの教えをもう一度声に出して反芻したいものです。
プロの自動車整備工が顧客の車のボディにドラーバーで傷をつけ、ソックスにゴルフボールを入れたものでたたきつけてへこませる。
その水増し修理代金を、プロの損害保険会社が補填し売り上げとする。
芸能界で売り出してあげるからと言って、タレント育成のプロが未成年に性的暴行を働く。
その事実を多くの芸能界関係者やマスコミが、知りながら口をつぐみ続ける。実名で訴え出たタレントを無視する。
軽自動車製造のプロが、国への認証試験データを30年にわたって不正に改ざんし続けて社会に供給し続ける。
顧客の生命の安全にかかわる事項に関してまでもが、信じることのできない世の中なのか。
政治資金パーティで得た収入を、政治のプロたちが帳簿につけずに裏金化してしまう。
法律を作った本人たちが平然とやり続ける。
説明責任すら果たそうとせず逃げる。
次の選挙で、また当選する。
いつからこんな国になってしまったのでしょうか。
知りながら害をなすプロは、振り込め詐欺グループと同じ穴の狢
ルフィーと名乗るリーダー率いる振り込め詐欺グループが摘発されました。
犯罪グループは、当然自分たちの行為が犯罪に該当するということを知っていてやっています。
だから摘発され裁判にかけられ罪に服すことになるわけです。
知りながら害をなしているという点では、ここに挙げた企業や政治家たちも、ルフィー一味と同じ穴の狢(むじな)に見えてきます。
経済人だから、政治家だから大目に見てあげるという性格のものではないはずです。
つまるところ、学校教育がその役目をはたしていないということ
どうして、かつては世界から尊敬の目で見られた日本人がこんなことになってしまったのかと、心から嘆きたくなる年でした。
1961年1月、第35代アメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディは、各国記者団を前にした記者会見で、日本人記者からの「あなたが最も尊敬する日本の政治家は誰ですか」という質問に対し、こう答えました。
「YOUZANN UESUGI」
上杉鷹山です。
その場にいた日本人記者の中に、上杉鷹山の名前を知らない人もいたといいます。
上杉鷹山は日本の学校教育では以前からまったく出てきません。
ドラッカーも大学の授業で学ぶことはまずないでしょう。
大谷翔平さんは、花巻東高校時代に恩師の佐々木監督から、「楽しいことより、正しいことをやりなさい」と、厳しく教えられ、今でもその教えを貫いていると言います。
あまりにも日本の学校教育では、道徳観や倫理観を削除してきました。
「意図的に削除してきた」、あるいは「忌み嫌ってきた」とすら思えてなりません。
これもまた、教育のプロとして「知りながら害をなすな」という教えが伝わっていなかった所以なのでしょうか。
駄文、失礼しました。