「らしさ」というもの

 女らしさ、男らしさ、というものは押し付けである、と言われるこの頃である。確かに押し付けは良くない。でもちょっと違うんじゃないかな、と思うことは色々ある。

 例えば、私はニチアサが好きだ。そこでよく話題に上るのは、戦隊ものの男女比であったり、仮面ライダーに変身する女性がいるかどうかだったり、男の子のプリキュアがいるかどうかだ。
 正直に言うと、私は今の形のニチアサが好きだ。レッドは大抵男性で真ん中に立つ。仮面ライダーの主役は男性。プリキュアのメインキャラは女の子。あまりにステレオタイプすぎる?そうかもしれない。
 けれど、その形でしか描けないものがあると思う。

 ここで私にとって「男らしさ」「女らしさ」とは何か、という話をしておきたいと思う。
 男らしさとは勇敢とか正義のための自己犠牲とか単純な肉体的な強さとか、そういったものの代名詞だろう。
 女らしさとは包容力や優しさ、朗らかさやしなやかな強さ、そういったものを指していると思う。
 それはあくまでも「らしさ」である。「男らしさ」を持った女性がいても、「女らしさ」を持った男性がいても全く問題ない。「らしさ」が指すのは本来性質のことである。しかしそこに男とか女とかが付くことによって、世間一般的になんとなく合意された属性へのイメージがもたらされる。だからそこから外れたと見なされる人は苦しく感じる、のだと思う。
 だから本当は、ある性質を指すなら端的に「勇敢だ」とか「優しい」とか「自己犠牲の精神」とかそう説明したらいい。けれど、社会に根付いた「男らしさ」「女らしさ」は曖昧で複雑で、そして便利に思えるから、その言葉を使ってしまうのだろう。

 ニチアサの話に戻る。私は仮面ライダーには己の力に対する葛藤、戦うことの意味付け、自身の信じる正義のために自らを犠牲にする姿、そんなものを期待している。これらを達成されるなら、主役は女性でも男性でも構わない。しかし今の私には、そのイメージは男性と結びついている。だから男性が主役の仮面ライダーが好きだ。もちろん過去の例が少ないからかもしれない。女性でもそんな面を表現できる俳優さんはいるだろう。そういうものを見てみたい、とも思う。一方で、仮面ライダーのメインターゲットは男児である。基本的に人間は同性に感情移入するし、憧れもしやすいだろう。そんな子どもたちが急に女性が主役の仮面ライダーが受け入れられるだろうか、という問題もある。もちろん受け入れられるかもしれないけれど。ひとまずはニチアサの枠ではないところでやってみて欲しい、という気がする。
 「男らしさ」「女らしさ」が生じる原因として、もちろん社会的な側面も大きいけれど、生物学的な面も無視できない。幼い子どもだって、男の子なら戦いごっこやはたらくくるまが好きな子が多いし、女の子はおままごとやお人形が好きな子が多い。きちんとした統計は確認できていないけれど、それなりに差はあるだろう。それが全部社会的に生じたものだとは思えない。だからこそ、私が仮面ライダーに求めるものを持っている俳優には男性が多いのだと思う。

 これらの「らしさ」は、要するに多数派の話だ。多くの男の子は仮面ライダーが好き。多くの女の子はプリキュアが好き。それは事実だろう。そしてこれらは長い間シリーズとして人気であり、フォーマットが受けているという側面も無視できない。だから私は、女性が仮面ライダーにならないのは差別だとか、男の子のプリキュアがいるのは良いことだとか、そういったことを軽々しくは言えない。だって、元々の仮面ライダーやプリキュアが好きな子たちががっかりするかもしれないもの。(これは仮面ライダーが全員女性とか、プリキュアが全員男性とかの場合に生じることだと思う。既にいる女性ライダーや男の子のプリキュアは子どもたちにも受け入れられていると思う)

 問題なのは、仮面ライダーが好きな女の子や、プリキュアが好きな男の子を馬鹿にしたり叱ったり変だと矯正しようとすることだ。さっき多数派、と言ったように、もちろん少数派も存在する。そんな子どもたちが、少数派であることを理由に嫌な思いをする方が問題だと思う。それに、仮面ライダーが好きな女の子が女性が主役をやって欲しいのか、反対にプリキュアが好きな男の子がみんな男の子のプリキュアを観たいのか、そんなの誰も聞いてないから分からない。ごく個人的な話で言えば、私はそういうの観たくない。だって今のニチアサが好きなんだから。
 だから大人たちが、子どもたちの声なんか無視してニチアサのジェンダー問題がどうとか言っているのは好きじゃない。問題は子どもたちに好きなものは性別に関係ないんだ、性別で何かを決めつけてはいけないと教えるべきだということじゃないのか。それはプリキュアをみんな男の子にしたからって教えられない。


 次に気になるのは、理系女子、というやつだ。私はいわゆる理系女子だ。高校では物理化学選択で、数学が得意で、大学は工学部に行った。高校は多少マシだったものの、ほぼ常に男ばっかりの世界だ。授業に女は私ひとり、なんてことは何度もあった。
 そんな世界はそれなりに肩身が狭かった。そもそも女子が少ないから、友達を作るチャンスが少ない。気が合う人がいなければ終わりである。男の子の友達を作れば、と言われるかもしれないけれど、男の子たちは自分たちでグループを作っていてなかなか入りにくい。もし私が入ったら下ネタなんかも言い辛くなってしまうだろうし、楽しくないかもしれない。だから肩身が狭かった。
 ここでも例外というのはあって、女子グループに入る男子とか、男子グループに入る女子というのはもちろんいた。小中高ではどちらのパターンも経験した。そこでは男だとか女だとか全然気にならなくて、普通に楽しく過ごしていた。だから本当は気が合う人がいるか、その人たちのグループに入れるか、という偶然が大事なのだろう。
 実務的な面では、正直女子で得をしたなということも多い。男の子ばっかりの中にいたら気を使ってくれることもある。結局就活はしていないけれど、理系女子は完全に売り手市場だと言われていた。理系の女子というだけで受かる、みたいな。あとは男の子はメイクに詳しくないから、ほぼすっぴんでもバレない。少なくとも何も言われないから楽だった。女子だから見下されるということはなかった。その点は過去の先人たちの努力に乗っかっているのだと思うし、感謝しなければならない。
 その後社会に出たら、風当たりが強いのかもしれない。それは経験していないから分からない。これは聞いた話だけれど、この頃は優秀な女性がたくさんいて、育休や産休を取ると分かっていても女性を採用したいという職場もあるらしい。その職場は上級管理職も女性の割合が多いそうだ。もちろん、女性だからと過小評価されたり、出世の邪魔をされたり、産休を取ると疎まれるような職場もあるだろう。でもそれだけじゃないと思うよ、と言いたい。こちらも先人たちの努力のおかげだろうけれど。


 長々と書いてしまったけれど、何が言いたいかというと、ひとつは男女の違いというものはあるということ。これは平均とか傾向の話。つまり男性にはこんな性質を持つ人が多くて、女性にはこんな性質を持つ人が多い、といったことだ。身長みたいなものだと言ったら分かりやすいかもしれない。
 そして、その傾向から外れた人もいるということ。男性より身長が高い女性もその逆もいる。フェミニンな服が好きな男性、スカートが嫌いな女性、その他いろんな人がいるだろう。そんな人たちもいると忘れないこと。そんな人たちにおかしいとか言わないこと。これらは無意識に出てしまうから、きちんと覚えておかないといけないと思う。

 余談になるけれど、友達がセーラー服を着ている男の子を見たらしく、ハロウィンでもないのにと訝しがっていた。しかし私は寒くないのかな?と思っただけだった。ちょうど真冬だったので、ひと目でセーラー服と分かったなら結構寒いはずだ。おしゃれは我慢ってやつなのかもしれない。よその学校の制服を着るのは良くないけれど、ファッション用の制服ならどんなものを誰が着たって何の問題もない。だから不思議に思わずにいられたら良いなと思う。自分だっていつどんな偏見を表にしてしまうか分からないから、気を付けていたい。

 色んな人がいて良いのだ。でもそれを認めるのは難しい。人間誰しも何らかの偏見を持っていて、それを役立てて生きている面もあるからだ。だから少なくとも、自分にも偏見はあるということ、それに気がついたらきちんと考えること、誰かを傷つけてしまったら謝ること、そんな勇気を持っていたいと思う。仮面ライダーみたいに、あるいはプリキュアみたいに。

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