心を読む、認知の歪み
わたしは昔、すこしだけ認知行動療法を受けていたことがある。なんだかんだで辞めてしまったのだけれど、まだその時教えてもらったことを考えることがある。
わたしが受けていたカウンセリングでは、自分にとって不安だったり辛かった出来事だったりを紙に書いて、その時の感情を思い出し、理由を思い出し、「認知の歪み」がないか探してすこしずつ考え方を変えていく、というものだった。
「認知の歪み」は精神的に悪影響を及ぼす偏ったものの見方で、10種類あると教えられた。詳しくは専門書や専門家の方の解説を見て欲しいのだけれど、そのうちのひとつに「読心術」というのがあった。ハリーポッターみたいだと思って記憶に残ったのだけれど、調べると「心の読みすぎ」とも呼ばれているらしい。
名前はなんでも良いのだけれど、要は相手の些細な言動(今日は挨拶に返事をしてくれなかった)から相手の心の内を勝手に決めつけてしまう(わたしが嫌いだから挨拶してくれなかったんだ)というものだ。
わたしはこの読心術を良くやってしまう。LINEの返事が遅い。怒ってるのかな。今日なんだか不機嫌そう。わたし何かしちゃったかも。わたしがあの話をした時嫌そうな顔してた、嫌われたかも。そんな感じで、不安が湧き上がって暴走していく。
この考えも勝手に浮かんでしまうので、「自動思考」というのだと教えてもらった。それが浮かぶのは仕方ないけれど、落ち着いて、いやこれは読心術だ……と思い出して、すこしずつ不安を取り除いていく。
認知行動療法を受けていない今も、読心術に関しては特にこうやって考え直すことが多い。そうやって考え直していく中で、心の中を決めつけるのは自分にも悪影響だけれど、相手にも失礼なことかもしれないなあと思い始めた。
怒っていないのに「怒ってる?」と聞かれて良い気分がするひとはあんまりいないと思う。何かに集中していたから挨拶が聞こえなかっただけなのに、急によそよそしくされたらどうして?と思うだろう。
そういう面でも、やっぱり心の中を決めつけるのは良くないなと思った。もちろん楽しそうだとか、完全に怒っているとか、そういう場合もあるけれど。でも、基本的には相手が口にしたことを素直に受け止めるのが良くて、態度だけで判断するのは危険だし失礼だなと思う。社交辞令で楽しかったと言ってくれても、少なくとも「楽しかった」と口にしてくれた事実は受け止めたい。そんな感じ。
だから自分も、可能な限り気持ちを口に出して伝えたい。逆に、言わなかったら伝わっていないのが当たり前で、察して欲しいなんて思うのは良くない。わたしにはすこし難しいことだけれど、でもやっていく価値はあると思う。
ということを考えて、やっぱりまだまだ出来ていない場面も多いなと思うと同時に、意外と他の人も「読心術」発動していることがあるんじゃない?とも思った。
「〇〇って言ったってことはこんなことを考えているんだって感じた」と言われたりする。〇〇は感情ではないし、考えていたこととは違うことを言われた。それで戸惑ったから、やっぱり感情の決めつけは双方に良くないのかなと感じた。
それに、良く「真面目だね」とか「優秀だね」とか言われることが多い。なんでも器用にこなす人間に見えるらしい。心の決めつけとは少し違うけれど、わたしの性質を勝手に解釈されてあまり良い気分はしない。特に、「〇〇は苦手なんです」とか「××は出来なくて」とはっきり口にしているのに、それをすっかり忘れられているのは悲しい。
認知の歪みについて知っている人はまだそんなにいないと思うし、普段から意識している人はもっと少ないだろう。それにこれ以上考え過ぎるとわたしがまた読心術をしてしまうことになる。だから、こう言われて嫌だったなあという気持ちは大事にしつつも、相手はきっとこんなこと考えていたからに違いない!とまでは思わないようにしたい。
それと、わたしだけが読心術をしてしまっていて、他の人はそんなことないんだろうなあと落ち込んでいた面もあるので、ある意味みんなやっちゃうことなんだ、多少は仕方ないか、と気楽に思えた部分もある。自分の弱みを認められるきっかけになったというか。
認知行動療法は、確かに認知の歪みという視点で考えることで不安が減る面もあるけれど、同時に「あなたの考え方や感じ方が悪いのだ」というメッセージを暗に発してしまう面もあると思っている(これも個人的な考えだから偏っているかもしれない)。
最近は、それより自分の弱いところや良くないところも受け入れる、という方を意識したいなと思っているので、まあこんな考えの自分でもいっか、と呟いてみる。