諦念

 うつ病のひとに「頑張れ」って言ってはいけない、ということは常識になりつつある。けれど、うつ病患者である僕自身が、自分に「頑張れ、もっと頑張れ、もっとできるだろ」と言い聞かせ続けている。

 確かにそれも一種の症状かもしれない。けれどそれ以上にやりたいことがたくさんあって、自分に課した理想が高いのだ。

 今持っている研究テーマはふたつあって、どちらも論文を書きたいからその分のデータを取りたい。こうしたら次のことが分かるんじゃないかとか、こんなことをしてみたいとか、たくさんやりたい実験がある。どうしても完成させたい。そのためにいま学校に行っているようなものだ。

 けれど学校ではそれは義務でもなんでもなく、むしろ試験に合格し進級することの方が大事だ。僕自身、勉強は好きだし、今の勉強はとくに面白い。だからこっちも頑張りたい。

 このふたつだけでもうキャパオーバー、既に授業には半分くらい出席できていない。疲れているのもあるし、低気圧になると酷く眠くなると最近気がついた。授業に出ても気絶したように寝ているのだ。これじゃあ行く意味なんてないよ、と朝の憂鬱な頭がそう告げて、怠け心と共に生きる僕はベッドに再び潜り込む。

 でもたぶん、お医者さんやカウンセラーさんにこの話をしても、既に十分頑張っているんだから休んだりサボったり、そうするのは大事だよと言われるだろう。でもでも、みんなはたくさん頑張ってるのに、どうして僕だけ、と思ってしまうのだ。それにやっぱり怠けてるだけであと少し頑張れば全部出来るんじゃないかと思ってしまうのだ。

 他にもやりたいことはたくさんある。読書に楽器を弾くことに、映画を観ること、絵を描くこと、小説を書くこと、ミニチュアを作ること、アクセサリーを作ること。頭の中にやりかけのあれこれが散らばっている。でもいざ時間があっても身体が動かないことがある。そんな日は悔しくて、泣いて不貞寝してを繰り返す。


 逆に、諦めてはいけない、と世間一般には思われていることを諦めたくなる。その最たるものは生きること。こんなに何も出来ないならもう人生捨てちゃえと思う。そこまではいかなくても、自傷行為を辞めるのを諦めてしまった。自傷行為が嗜癖で、依存であることは分かっている。もっと別の方法でストレスを解消すべきなのも。でもそんなのどうでもいいや、と諦めて腕に傷を増やす。
 人間関係だって面倒くさくて投げ出したくなる。その場のノリにだけ合わせて、大事なことは黙っておいて、お互いのことを理解する努力を放棄する。もうこれ以上何か抱えるのはごめんだ、ってね。

 どうしたらいいんだろう。でもこんなことを悩めるようになった時点で、少し治りつつあるのかもしれない。例えば眠いことも、もしかしたら薬か何かでマシになるかもしれない。自傷は少しずつ回数を減らして、傷跡が目立たなくなることをモチベーションにしようと思う。人間関係だって、すぐに分かってくれないやと諦めないで、口に出してみることは増えた。前は研究すら無理な日があったけれど、今はそれはない。
 やっぱりちょっとはマシだ。少しずつ前に進んではいるだろう。

 たぶん周りと比べるから焦って、あれもこれも出来ないと悲しくなって、なにもかも投げ出したくなるのだ。みんなのことはとりあえず置いておこう。やっぱり心の片隅で、もっと頑張れと囁く自分がいるけれど、でもまあ、それなりに頑張ってるから十分だよ。そのうちもっと頑張れるようになるし。

 


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