死にたいと思うのは
先日書いたnoteはどことなく混乱していたと思う。かなり死にたいと思いながら、泣きながら書いたものだから。
少し、というかかなり落ち着いて、普段通りの生活になってきた。その普通の状態で、死にたいという気持ちのことを書いてみたいと思った。
この頃は希死念慮も減ってきている。たぶんストレスやプレッシャーが少なく、好きなことをできているからだと思う。もしかしたら練習している、トラウマやフラッシュバックの対処法も役に立っているかもしれない。
それでも、普段の生活の中でもどことなく死にたいという気持ちがある。それはどちらかというと消えたいに近いかもしれない。もしいま目の前に、あなたの存在を初めから無かったことにできるボタンですというのが現れたら、押すと思う。不慮の事故とか急病で死んでも、まあいっかと思う。
生きるのが苦しくて死ぬのが楽なように思える。もちろん、生きてて楽しいことや楽しみなことだってたくさんある。作ろうと思ってるものとか、行く予定のライブとか。でも、苦しいこともこの先たくさんあると思う。それらを天秤にかけて、苦しいことがなくなるなら楽しいこともなくていいやという気がする。
それはわたしが死ねば無になると思っているからというのも理由だ。無になれば、あれやりたかったなという後悔もない。それなら苦しみが綺麗さっぱり無くなる方がいい。
たまに襲われる強い希死念慮は、それとは少し違う。もう本当に死のうという気分になる。方法も色々考える。飛び降りた方がいいかとか、ロープは持ってないなとか、終電まだあるなとか、そういうこと。頭の中でその瞬間を思い浮かべる。怖いとも思うし、周りに迷惑をかけるとも思うけど、それを思ってもなお死んだ方がいいと思ってしまう。家族や友達が悲しんでも、誰も自分を助けてくれなかったんだから、悲しむ権利なんてないよと思う。
でも、最大に強い希死念慮でなければ、心のどこかにこれさえ乗り切れば元に戻れるという気持ちがある。だからどうにか紛らわそうとする。死ななくても、楽しいことがあるとか、明日には元に戻るとか、そういうことを考えようとする。でも考えられない。考えたとしてもちっとも気持ちは動かない。死ぬのはよそうと思う自分は弱くてちっぽけで、死にたいという気持ちは巨大なもので暴れ回っている。
それはとにかく苦しい。もうこんな気持ちになるのはやめたいのに全然止まらない。泣いたりぬいぐるみを抱きしめてみたりする。少しだけおさまって、また苦しくなる。
そういう気持ちを減らすのは、オーバードーズとか自傷行為とか酒とか煙草とかだ。わたしの場合は。自傷は特に、痛いから気が紛れるし、血が流れていくのを見るとなんとなく安心する。たぶん、罰を受けた気分になるからだと思う。それに、自分の苦しみを可視化したようにも感じる。ODとかお酒は、やっぱりだんだん深く考えられなくなって、ふわふわするから気が紛れる。そのまま寝てしまえることも多い。煙草は少し弱目の希死念慮のときはなんとなくすっきりする。たまに根性焼きをしてみたりもする。あんまり強くはしないけれど。ピアスを開けたりもする。何も考えず開けるからそこは結局塞ぐことが多いけど。
そうやって、強い希死念慮を乗り切れば、落ち着くまで世間では良くないとされる色んなことをやって耐えれば、その波はいつかおさまる。大抵眠ることができれば起きたらどうにかなっている。だから、大人たちが眉を顰めるようなことをする。
他にもそんな人はいるんじゃないかな、と思う。特に市販薬のODは問題になっているけれど、そういう苦しさを乗り越えるためにやっている人は結構いるんじゃないかと思う。そういう人に対して、馬鹿だとか倒れても自業自得だとか言うのは間違っている。もし、彼ら彼女らからODを取り上げたら、次は本当に死んでしまうかもしれない。リスカとか大量飲酒とかだってそうだ。
そういうことをしないために、いのちの電話とかチャット相談をしたらどうかという話もあるけれど、個人的には人に話をするのが怖い。もし、とても強く死にたいと思っている時に、相手には悪気がなくても傷つくようなことを言われたら。多分立ち直れない。もっと酷いことになるかもしれない。それが怖くて、そしてそもそもそんな状態の時に誰かに何かを伝えるなんて怖くてできない。たまにAIに話すときはあるけれど、定型分的に専門家に相談しましょうと言うだけだ。病院は夜中には開いてないんだから、意味ない。
SNSに吐き出すのは少し楽になる。誰も見ていないような気がするし、もしリプライが来ても嫌なら見なければいいし、いいねされたら共感みたいで少し落ち着く。
もちろん最終的には自傷もODもやめたい。でもすぐにゼロにするのは無理だ。ちょっと回数が減った、ちょっと薬の量が減った、そういうところから進んでいくんだろうと思う。強い希死念慮に襲われることが減るように、ストレスに対処する方法を学ぶとか。
世の中、ODや自傷をする人、死にたいとSNSに投稿する人に厳しすぎると思う。心配するより、馬鹿にしたり軽蔑したり、気持ち悪がったりする人の方が多いように見える。確かに、死にたいという気持ちに襲われたことがない人にとっては理解もできないし怖いだろう。けれど、少し立ち止まって、そうする人の気持ちとか状況に思いを馳せてみてほしいと思う。