女性の権利、がよく分からないままで
お盆が終わり、帰省をしたとかしてないとか、そんな話になった。わたしは実家がもうないし、父親に会いたくないのでここ数年は帰省していない。これ何回伝えないといけないんだろう?と思いながらそれをやんわり口にして、そして昔の親戚の集まりの話になった。
わたしの実家はそこそこに田舎で、お盆や正月には親戚が大勢集まったり本家にご挨拶に行ったりするような所だった。そこでは男の人はずっと座って酒を飲み、女の人は台所仕事やお酌をするのが当たり前だった。わたしは小学生くらいまでお酌をする係で、そのあとは台所仕事を手伝ったりするようになった。弟は中学生になっても何か手伝いなさいと言われることはなく、座ってテレビを見ていた。
このところはそんな風潮も減っているだろうけれど、少なくともひとまわり上の世代は全国どこも同じようなものだろうと思っていた。けれど、この話をしたらひとまわりかそれ以上の年齢の人にもとても驚かれた。地域差もあるのだろうけれど、ちょっと古い価値観だけどまあ昔の人がいる場所ではしょうがないか、と思っていたから、その反応がショックだった。同世代の人に驚かれるならうちって古いよね、と思えたかもしれないけれど。
これが家父長制の名残りだとか、男女平等に反していることだということは分かっていた。わたしが最初にそれを思ったのは中学生くらいの頃だったと思う。人権作文コンクールみたいなものに、わたしやいとこの女の子たちだけ手伝えと言われるのはおかしいと思う、みたいなことを書いた記憶がある。もちろん落選した。
高校生になって、フェミニズムという名前を知った。最初に出会ったフェミニストは上野千鶴子だった。現代文の授業で彼女の文章が取り上げられたから。そのとき、先生が「サヨナラ、学校化社会」という彼女の著作を勧めてくれて、本屋を探し回って手に入れた。その本はどちらかというと格差と学校についての論が多かったから、フェミニズムはそこまで意識しなかった。
その頃、わたしの中でフェミニズムとは「男の人も女の人も、自分がこの性で生まれなきゃ良かったのにと思うような社会をなくすこと」だと定義されていた。全然正確ではないのだけれど、男女平等とはそういうことだと思った。わたし仮面ライダーが好きだけど馬鹿にされる、男の子に生まれたらよかったなとか、スカートを履きたくても履けない、女の子に生まれたらよかったなとか、そんなことを思わなくても良くなるのが平等だと思った。これは子どもっぽいかもしれないけれど、例えば女子だから工学部はやめとこうとか、男子だから保育士になりにくいとか、そういうのがない社会を目指すのが良いと思った。
大学生になってから、SNSを始めた。主にTwitterだけれど、色んな「フェミニスト」を名乗る人がいた。それらを見るようになったきっかけは、ピルを飲もうかと思ったことだった気がする。ピルって安全なのかななどと調べているうちにそういうツイートも目にするようになった。
はじめは、「女性は生理などで大変なのだから優遇されるべき」とか、「女性が理系に少ないのは差別があるから」といった主張になんとなく賛同していた。ちょうどわたしが困っていたことだったからだ。生理痛がしんどいし、その他も色々心配だから高いお金を払ってピルを飲んでいる。理系に進学して、周りに女子が少なくて寂しかった。そんなわたしの状況を救ってくれるような気がした。少なくともすっきりしたのは事実だ。
しかししばらくして、そういった主張は結局「男性に守られる」という前提のもとにあるのだ、これはフェミニズムではないという主張も目にした。確かに、理系の女性が少ないと嘆いている人たちはほとんど文系出身だった。わたしの周りを見てみれば、文系に進んだ子は数学が苦手なんだと口にし、そんなの言い訳だと高校生のわたしは内心憤慨していた。ピルを飲むか飲まないかも、女性が自分で決めるべきで、生理大変でしょう、だから無料にしてあげるね、というのは憐れみであって平等ではないような気もした。
また、前者の主張に賛同している人の中には結婚相手に悪口を言っている人も見受けられた。今の時代、お見合いで無理やり、ということは減っているだろうから、自分の意思で決めたことのはずなのにと違和感を覚えた。嫌なら相手に伝えるなり離婚するなり、自分で行動したほうがいいのでは、と。
でもやっぱり、最初に書いた通りまだ女性と男性は平等ではない場面も沢山ある。結局、わたしはその時後者の意見に賛成するようになったのだけれど、その理由は前者の意見に賛成する人たちの「口の悪さ」だった。
自分の意見と違う人に対して、議論をせずに差別主義者だと言ったり、変態だとか犯罪者みたいだとか言ったり、あまり書きたくもないような悪口を言っている人も見た。
その不快感を決定的にしたのは、アツギというタイツメーカーの広告が炎上したことだった。人気イラストレーターをたくさん起用して、その会社のタイツを履いた女性のイラストを使って宣伝する、ということをTwitterで行っていた。今どきのソシャゲやVtuberみたいな雰囲気の絵が多くて、まあ少しえっちかな、というイラストもあった。けれどわたしは可愛いと思ったし、コーディネートの参考にした絵もあった。
しかし暫くして、こんな絵は女性を侮辱している、性的に描写する必要なんかない、失礼だといった批判が相次いだ。最終的に、おじさんの女性差別的な企画だとか、こんなイラストを描く人(女性イラストレーターさんも多かった)は名誉男性だという批判もあった。名誉男性、という言葉がどれほど酷い言葉なのか、もしかしたら知らなかったのだろうか。いま名誉白人なんて口にしたらどうなるかというのは、知らないのが悪いとされることの方が多いはずなのに。
さらにショックだったのは、当時趣味で繋がっていたフォロワーさんたちのうち何人かがこれらの意見に賛同していたことだ。それも、ほとんどRTだけしていたし、コメントも「気持ち悪い」といったものだったと記憶している(記憶違いだったらごめんなさい)。イラストを描く人もいたのに、もし自分がたくさんの人に気持ち悪いとか差別的だと言われたり、それがたくさんRTされていたらどれだけ傷つくのか分からないのだろうか、と悲しくなった。ましてや名誉男性と言われたとしたら。
そのうちに似たような炎上を目にする機会も増えて、ほかの事情もあってそのアカウントを離れた。そしてTwitterでこういった批判をあまり見ないようにすることにして、結局わたしの中で「フェミニズム」というものは何かよく分からないまま、ちょっと苦手なものという印象だけが残った。
そのあと、うつ病になり幼少期の経験を考え直す上で、子どもの権利というものに興味を持つようになった。いまは子どもの権利が軽視されているから、虐待も減らず、また虐待の後遺症に苦しむ人も多いのかもしれない。そう思って、noteに何度か子どもの権利やそれに関する政策についての感想を書いたりした。
わたしの子ども時代を振り返ってみても、暴言などの心理的な攻撃が辛かった記憶があって、そのせいかは分からないけれど、セクハラよりパワハラの方が怖い。正直に言って、セクハラされたらまだマシだと安心してしまう。ヘラヘラ笑って受け流せば、その相手が激怒する可能性が下がるから。
この考えは父親の影響だと思う。胸がどうのといった性的なからかいをしている間、父親は上機嫌に見えた。わたしは父親に怒鳴られることがいちばん怖かったから、怒られなくて良かったと思ってしまったのだ。けれどからかいを受けたことを覚えているということは、本当は傷ついていたのかもしれない。
セクハラに耐えるのは自分だけの問題ではなくて、周りにも悪影響を及ぼす。それは分かっていて、でも怖いのよりマシだとつい我慢してしまう。それでバイトを辞めたこともあるというのに。これは良くないよな、思うようになった。
そしてまた、幼少期のトラウマについて学ぶうちに、フェミニズムは恐らく避けては通れない話なのだと感じるようになった。ヒステリーやPTSDが女性差別と関連していると考える人がいると知ったからだ。まだ詳しくは分かっていないけれど、少なくともフェミニズム運動の歴史については知らなければこのあたりの理解ができないのだと思う。
わたしにとってフェミニズムは、まだ苦手なままだ。女性の権利が守られているのかどうかすらも分からないままだ。でも、いますぐではなくてもいつかきちんと考えるときが来るのだと思う。
とりあえず、どんな主張をすることになるにせよ、言葉には気をつけたいと思います。