東京大学2008年国語第1問 『反歴史論』宇野邦一
第1問は論理的文章が出題されることがほとんどである。この年の問題もそうであり、論理的に文章が展開される。
しかし、第7段落から、「記憶」という概念でつながれるものの、突然ほぼ別の話題が展開する。
総まとめの120字問題で、「全体の論旨に即して」や「文章全体の論旨を踏まえた上で」といった注意書きが付されなかったのはそのせいかもしれない。
しかも、今回の120字問題の対象となった下線部には、それまで文中にあらわれてこなかった「喜び」「苦しみ」「重さ」という概念が登場する。それまでの論旨から類推せざるを得ず、その意味で例年にない苦しみと重さがあったかと思われるが、それもまた喜びとできるようでありたい。
(一)「歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
第3段落には「歴史は、書かれたこと、書かれなかったこと、あったこと、ありえたこと、なかったことの間にまたがっており、画定することのできないあいまいな霧のような領域を果てしなく広げている」とあり、「この巨大な領域のわずかな情報を与えてきたのは、長い間、神話であり、詩であり、劇であり、無数の伝承、物語、フィクションであった」とある。
また、傍線部アの「(歴史学の存在そのものが)支えられ、養われている」とは、歴史学がそのような領域を対象としていることで、広がりを持ちえているということだと理解できる。
以上のことから、「歴史学は、史料に書かれたことだけでなく神話や文学を含む、画定できない曖昧で巨大な領域を対象とすることで広がりを持ち得ているということ。」(67字)という解答例ができる。
(二)「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
第4段落には、「歴史とはただ遺跡や史料の集積と解読ではなく、それらを含めた記憶の行為である」とある。
さらに、「歴史は、ある国、ある社会の代表的な価値観によって中心化され、その国あるいは社会の成員の自己像(アイデンティティ)を構成するような役割をになってきた」とあり、「(歴史そのものが)そのような自己像をめぐる戦い、言葉とイメージの闘争の歴史でもあった」ともある。
傍線部イには「相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージ」とあるのは、記憶された歴史そのものが、多くの言葉とイメージの闘争のなかで、共同体の価値観に基づいており、成員の自己像を構成するものとして、比較的ふさわしいとされたものだということである。
以上から、「歴史は、共同体の代表的な価値観に基づき、成員の自己像を構成するものとして、より相応しい言葉とイメージが記憶されたものだということ。」(65字)という解答例ができる。
(三)「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
第6段落には「量的に歴史をはるかに上回る記憶のひろがりの中にあって、歴史は局限され、一定の中心にむけて等質化された記憶の束にすぎない」とあるが、この文中の二つの記憶は当然異なっている。前者の「記憶」は同段落の冒頭の文の中の「情報技術における記憶装置」の記憶であり、後者の記憶は人間の主観的な記憶である。
傍線部ウは、前者の記憶が、後者の記憶に局限される歴史よりもはるかに大容量だという意味なので、「歴史は一定の中心に向けて均質化された人間の記憶の束に局限されるのに対し、情報技術における記憶形態ははるかに膨大な容量を持つから。」(64字)という解答例ができる。
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