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東京大学2014年国語第1問 『落語の国の精神分析』藤山直樹

 落語家と精神分析家の類似点を述べるという異色の論考。「人間が本質的に分裂していることこそ、精神分析の基本的想定である」としているが、精神分析に疎い私としては、率直なところその内容に実感が持てない。
 しかし、人間の精神構造というのは、門外漢にはたやすく理解することのできない複雑さがあるのかもしれない。

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(一)「このこころを凍らせるような孤独」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
 第1段落から第3段落まで、落語家と分析家の孤独について述べられている。それを要約させるのが本設問である。
 まず、第1段落の文によれば、落語家は、「金を払って『楽しませもらおう』とわざわざやってきた客に対して、たった一人で対峙する」のであり、「反応はほとんどその場の笑いでキャッチできる。残酷までに結果が演者自身にはねかえってくる。受ける落語家と受けない落語ははっきりしている」。
 次に、第2段落の文によれば、分析家も「患者の期待にひとりで対する」うえ、患者は「自分の人生の本質的な改善を目指して週何回も金を払って訪れる」のであり、「社会では一人前かそれ以上に機能しているのだが、パーソナルな人生に深い苦悩や不毛や空虚を抱えている」ため、「子どもだましは通用しない」。
 そして、第3段落の文によれば、両者とも「何らかの成果を生み出すことが要求されている。それに失敗することは、自分の人生が微妙に、しかし確実に脅かされることを意味する。客が来なくなる。患者が来なくなる」。
 解答にあたっては、落語家と分析家に共通する最大公約数的要素をなるべく多く適示することが望ましい。それは、相手が「何らかの成果を求め」、「金を払って」、「わざわざ出向いてくる」ことであり、そして、本人はその期待に背いて「失敗した場合、確実に人生が脅かされる」ことである。
 以上のことから、「落語家も分析家も、何らかの成果を求め、金を払ってやってくる相手に一人で向き合い、仮に失敗すれば確実に人生が脅かされるということ。」(64字)という解答例ができる。

(二)「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
 落語家の分裂は二段階ある。一つ目は、第5段落にある、「演劇などのパフォーミングアート」に共通する、「演じている自分」とそれを「見る自分」の分裂である。このことは、「彼はいったん今日の観客になって、演じる自分を見る必要がある」とも表現されている。
 二つ目は、第6段落にある、「おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者としてその人物たちが」現れる分裂である。このことは、「演者は根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化する」とも表現されている。
 以上のことから、「落語家自身が観客の立場になって見る、演じている自分は、ネタの中では互いの意図を知らない複数の人物に瞬間瞬間に同一化しているということ。」(67字)という解答例ができる。

(三)「ひとまとまりの「私」というある種の錯覚」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。
 第7段落には、「人間が本質的に分裂していることこそ、精神分析の基本的想定」だとあり、さらにそこから、「自己のなかに自律的に作動する複数の自己があって、それらの対話と交流のなかにひとまとまりの『私』というある種の錯覚が生成される」とつながっている。
 以上から、「精神分析の基本的想定では、人間は本質的に分裂しているが、複数の自己の対話と交流によって、統一された自己があると錯覚しているということ。」(67字)という解答例ができる。

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