Togashira Farm 通信 -August 2022-
夏、流れ着く
2018年8月、私は一人長野県飯田市にいた。
盛夏がまだまだ秋を寄せ付けまい、出番じゃないよ、と最後の意地をみせつけてくる、そんな頭を垂れたくなるような暑さだった。
新潟から遠く離れた彼の地になぜいたかというと、パックラフトというカヌーとゴムボートを合わせたような一人乗りのインフレータブルボート(空気充填ボート)の川下りツアーに参加するためだ。
清流を自分の力で漕ぐ楽しさや、水の上でゆっくりと進む時間に魅了され、年に1~2回と少ないながら、ツアーに参加していた。
今回は1日目を安曇野の梓川、2日目は飯田市を流れる天竜川に挑む連日の行程。その日は梓川で1日みっちり練習したのち、そのまま車で飯田市へ移動。南北に(西にも東にも)どこまでも続く長野の広さに驚きながら飯田市に到着した。今夜はおすすめされた民宿で一泊する。
民宿は看板からも歴史を刻んできた雰囲気をまとっていて、とても気持ちの良いの対応をしてくださるお母さんが切り盛りされていた。
長旅と朝から川面に漂っていた疲れから、すぐにでも寝てしまいそうな身を叩き、シャワーをざばっと浴びる。晩御飯も兼ねて町の散策に向かった。
照りつけていた陽に代わり、お店の灯がポツポツと。雰囲気の良さそうな焼き鳥屋さんに入った。
ご夫婦で営むそのお店には、カウンターに常連さんと思しき方が数人。左端のカウンターに座った私は、生ビールと焼き鳥、煮込みで静かに労をねぎらう。
ほどよく酔いが回ったころお店を後にし、もう少し夜の町を散策してみた。
静かだが人の気配が漂うその町に、一人で知らない土地にいるという気付かぬうちに漂着していた寂しさみたいなものがゆっくりと和らぎ溶けてゆく。自由というのは同時に寂しさを内包しているのかもしれない。
どこかで花火が上がっている。音を頼りに歩いていると、ビルの隙間からカステラみたいにカットされた花火が見えた。
まだまだ歩きたい名残惜しさが翌日の急流下りへの不安に負ける。寝付けのビールとつまみを手に部屋へと戻った。
コイン式の扇風機にスイッチを入れ、今日のことを思い出しながら微睡みを行ったり来たり。外から帰ってきた男女の楽しそうな声がした。日本一とよばれる星空を見てきたのかも。以前、戸隠山の駐車場で見た星の粒ひとつひとつがギラリと光放つ夜空を思い出す。美しさと怖さが混ぜ込んだその景色を部屋の天井に映しながら眠りについた。