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Tofu on fireのおすすめコンテンツ        『恥知らずのパープルヘイズ』-上遠野浩平

みなさんご機嫌よう、Tofu on fireです。
Tofu on fireおすすめの創作物やコンテンツを紹介する記事として二番目を飾るのは、この作品です。

『恥知らずのパープルヘイズ』-上遠野浩平

はい、出ましたね。インターネットでジョジョについての知識を蓄えていらっしゃる読者の方ならばすでにご存知かと思われるこの上遠野浩平氏によって執筆された作品は、2011年に出版された「VSJOJOシリーズ」という小説シリーズの中でも最高傑作と名高いものです。

あらすじ


その最高傑作のあらすじを説明させていただこうと思います。
『黄金の風』本編終了後半年たったころ。
ディアボロが支配していた頃より更に巨大になったパッショーネから、フーゴに呼び出しがかかります。呼び主はグイード・ミスタ。護衛チームの一員のフーゴやジョルノ以外の最後の生き残りかつ、組織のNo.3になった男です。案件は「麻薬チームの掃討」。失敗はけして許されません。そして、集団になった相手と戦うのにもっとも適しているのは集団。他にも集められた新たな仲間とともにフーゴは戦いに挑むのですが……!?

ここまでがあらすじです。続きはぜひ自分の眼で確かめてみていただくとして、この作品の何が美しいかぼくの目線で語っていくとしましょう。

フーゴの”普遍性”

「フーゴは大事なものも守れない情けないチキン野郎だ」と仰るみなさま、正解です。彼はいざというときに保身に走るしかない情けない人間なのです。
しかし、我々人間の中で、極限までみずからの思想のなかに生きることのできる人間というのは一体何%くらいなのでしょう。貴方は自らの信じるものを捨てなければ大事な物も命も壊されると知ってなお思想に生きる事ができますか?できる人間はこの小説は読まなくて宜しい。ぼくは99%の”できない”人間に向かって書いています。
我々人間はみないざというときは情けない。その情けなさにリアリティを感じ、また人間という存在への美しさを感じるわけです。
実に「奇妙」な感性だとは思いますが、あなた方もまた彼の”聖人”ではない”人間”らしさ、俗っぽさに心を動かさずにはいられないはずです。そこが彼の魅力なのです。美しさなのです。

心のなかで悩み苦しむ少年の美しさ

この作品をすでに読まれた読者諸兄はこう思われたことでしょう。
「フーゴの独白、めちゃくちゃ多くない……??」
そうなのです。物語が進むに連れ、彼の”後悔”の全貌が明らかになっていくというこの叙述の美しさにぼくは虜になってしまいました。時間が経って考えて落ち着いて、初めて自らの過ちに気づくというこの感覚は、ぼくもまた共有するものだったから。
思春期の少年は誰でも過ちを犯し、それに対して悩み苦しむものです。
フーゴはこの任務を遂行するさなか、ずっとある少年について考えています。その少年はブチャラティに「向いていない」と突き放されたにもかかわらず、彼についていったのです。フーゴのことを顧みずまっすぐに。それがフーゴにはわからない。いや、彼は本当は心の中ではわかっているのです。でも、それと向き合うのが怖ろしいからずっと苦しんでいるのです。彼の胸に刺さった硝子の棘のちりんちりんとした煌めきは、ぼくにも共鳴して聞こえました。なんて美しい響きなんだろう。
この世でこんなに俗っぽく、汚らしく、美しいものがあるのでしょうか。
貴族上がりのお坊ちゃんのくせにこのフーゴという少年はこんなにも俗っぽく、こんなにも汚れていて、こんなにも美しいのです。

選ばれなかった我々に対する最も古く新しい救済

ここから先はネタバレ注意です。ネタバレを避ける読者諸兄はブラウザ・バックを推奨致します。












ブラウザ・バックしませんでしたね?ではお話致しましょう。

最終章で見事成長を遂げ、麻薬チームの掃討に成功したフーゴ。しかしその代償は大きく、自身にも深い傷を負います。そんな中、あるリストランテに誰かから呼び出されたフーゴ。そこにはとある少年がいました。
少年は言います。
君は世間常識に表向きしたがっているが、実のところそれが大ッ嫌いなのだと。そして、爆発する怒りはその矛盾から来ているのだと。
フーゴの能力の本質は”怨念”だったのです。彼がスタンドを発現したときに死ななかったのは運がよかった。
そして、こうも言います。
自分にとっての勇気を探すのが、人生の上での宿命である……。と。
半歩。少年は半歩だけ譲歩しました。フーゴが再びあるき出すため。少年とともに進んで行くため。そしてフーゴは……。

なんてこうこうと煌めいて見えるのでしょう。こんなにも重々しくごうごうと輝いている少年が他にいるでしょうか。こんなにも「選ばれた」という言葉が相応しい少年が他にいるでしょうか。そして、「選ばれなかった」フーゴは、生きているうちは彼の下に一生居続けるに違いないのです。
ここまで読んで、賢明なる読者諸兄ならば気づいたことがあるでしょう。そう、これは宗教の始まりです。人類の歴史の中でも、西暦をはじめた旧い旧いキリスト教という宗教の始まりかたです。
ユダは裏切り者のまま生を終えてしまいました。しかし、ペテロは三度裏切っても、なお赦されました。それは彼が悔い改めたからです。
フーゴは身をもって、悔い改め再び人生を歩むことの尊さを示してくれました。そして、「選ばれなかった」人生には道を示してくれる人が必要であることを示してくれました。
99%の選ばれなかった我々も、きっと同じ道を歩む事ができるはずです。それがどんなに険しくとも、悔い改め、自分にとって大事な存在に報いることを考えれば、それは常にあなた方のもとにいます。
そこには、聖と俗の混じり合った美しさがあります。手を合わせれば、耳を傾ければ、意識すれば、そこにいる。なんと幸福感に満ち満ちた体験なのでしょう。
改めて言わせてください。
上遠野浩平さん、私達を救ってくださってありがとうございます。

ぼくの紹介は以上になります。みなさんにもぜひ見てほしい。リンクを張っておきます。紹介している以上当然ではあるが。というわけで、ぜひ見てみてね!絶対損しないので!
では、御機嫌よう!








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