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私が自由でいられるのは

こんにちは!

とうふです。アメリカはどんどん熱くなってきて冷奴がおいしい季節になってきました。

私は自由です。
自由に生きています。
自由に生きることは私らしいと感じるからです。
でも、社会性のある自由人でいたい。

今日は、そんな私が自由でいられるのはなぜかについてお話していきたいと思います!

Being the sameはつまらない

same / 同じ
私はなぜかみんなと一緒or同じが中学生の時から苦手でした。
だから、中学時代は集団行動やその場の空気に常に同調することを強いられているのが不快で仕方ありませんでした。

≪なんでだろう?≫

私は日本の田舎町に生まれ育ちました。
母は群れない芯の強い女性で、父は母の教育に口出しをしない、そんな両親に育てられてきました。

保育園で、スカートをはくとぶりっ子と言われました。
なぜなら、スカートを履く同級生がほとんどいなかったからです。

小学校、ホットピンクのランドセルを持ったら、そんなランドセルじゃいじめられるよと言われました。なぜなら、当時赤か黒のランドセルを持つ子がほとんどだったからです。

中学で、ラルフローレンのポロシャツを着たら、またブランドものかよ。自慢すんな。金持ちアピールするな!と言われました。なぜなら、同じような服を着ている同級生がいなかったからです。

同じように勉強をして、学校に通っていた。
でも、そのコミュニティに馴染むためにはきっと、みんなと同じじゃないといけなかったのでしょう。でも、今では、同じじゃなかったことに感謝しています。 違うこと=悪いことじゃない。それは個性だからです。

そんな環境で育ったせいか、見た目やスタイルが similar であることがつまらないと感じ始めたのです。

出会っちゃった高橋歩

出会いました。ヴィレバンに売っていた高橋歩さんの本、FREEDOM。

放浪しちゃいなよ

高橋歩

に中学生の私はビビビっと来ました。


それから考え始めたカナダへの高校留学。

家族は心配していたのか最初は反対していました。
でも、最終的には私の気持ちを尊重してくれて無事カナダへ✈

カナダで

私はオタワの高校に行きます。
正直当時得たものはあまり大きくはなかったです。
目標もなく、ただ現地の学校で学んでいました。

悔しいと感じた初めての留学

何もない ことに大きなショックと後悔を引きずりました。
何も得ていない。留学に行ったという経歴しか残らなかった。
印象に残ったことは0。

日本の大学に入学

正直、あまり留学に対して執着はなくなっていました。
日本の大学生活が本当に楽しくて、ぶっちゃけこのまま一生大学生ならいいのになくらい楽しかったです。

そうだ。アメリカへいこう。

でも、あのコロナ。
コロナ禍中、大好きな友人にも会えないし、やることもなくなっていました。そんな時、ふとアメリカの大学に留学しようと思いました。本当に突発的に。


そして、交換留学でまさか本当にアメリカの大学へ。そして、旦那に出会います。
良きパートナーであり、良き親友に生まれて初めて出会います。
そんな彼と過ごす時間は、刺激的で多くを学びました。
そこで私は、アメリカ大学への編入を決意。

学びを深め、多くの課外活動にも貢献してきました。
正直今回のアメリカ留学は過去の後悔をバネにできたせいか成功したと思っています。

そして今に至ります。

普通の人生を歩むこと卒業

はい。
大学に入って、就活をして、就職をする。というルートから大幅に外れました。

大学に入る、海外大に編入する、学生結婚をする、旦那と帰国する…

私は、この生き方が普通のルートではないけれど、自由で私らしいと思いました。愛する人といろんな課題を乗り越えていく日々は本当に刺激的で幸せです。

だから、みんなとdifferentなスタイルで育ててくれた親に大きな感謝をしたいと思います。挑戦することを恐れずに挑戦し続けられたのは、sameじゃなくてもいいという親の教育があってからこそだからです。

最後に


社会性のある自由人でいよう!
みんな違ってみんないいのだから。


また次回!

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