身体について気付けることから考えられること 2
夏休みの宿題で、朝顔の観察なんていうのをさせられた方は多いと思います。あれは大体スケッチを毎日とることになってます。止まった状態を比べることで、どこが変化したかわかるからです。一日中じ~~と眺めてたら、それこそ最高に苦行のアハ体験になってしまいます。
観察がうまくいくには、
1,どこが変わるかを知っておくこと
2,そのためには止まった状態を記録しておくこと。
ということになります。だから他人の運動を一回見ただけで真似することは、とても難しいことになるわけです。投球動作のように、体幹、左右上下肢すべての連動がスムーズにいかないと成立しないものは、特にそうです。止まった状態に分解して教えることも難しくなります。
手がこうで、足がこうで、背中がこうで… 一つができても他が合わない、それの繰り返しというのが、運動オンチの人の苦しみなんですな。
観察されてわかったことは、分かった=分けられたことであり、運動そのものではありません。分けられなければわからないけど、分けられたものはすでに、元の運動そのものとは違う。だから、一度バラバラになったものを、自分のなかでもう一度統合する必要が出てくるのです。運動の再現の場合は、自分の身体感覚が働かないと難しいのです。
運動を再現するとき、多くの場合は朝顔の観察と同じ、視覚でわかることを中心に伝えるのが一般的ですが、分解された視覚情報をつなげてもイマイチできないのは、身体内部での感覚が、上手な人(すぐにできる人)と一致していないからです。教えるのが上手なコーチは、それを一致させられる人です。
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