ほんとのことは、みんな知らない
目にしては ざわざわする投稿がある。
真っ直ぐに生きている人にも
側から見れば 自由勝手にみえる人でも 私からの意見ですが、
めちゃくちゃ大変だよ
って 言いたい。
悪は それなりに悪だが
正当なって顔した正義も又、悪だと思う。
今、表に出ていない理由を考える余白が欲しい。
例えば、何故、その人が、その場を離れたのか。口に出せないほどの苦しみがあったからとは思えないんだろうか。
中原中也の「咳をしてもひとり」
の句を最近では、もっと違う世界から見れるようになった。
寂しいだけだと感じた自分が稚拙だったと思うほど、人生には、ひとり、の空間が必要に迫られる圧迫感から解放されたいともがく時期が来る、とも思うように。
そう、私は、その投稿が、刃にみえた。
人は、知らない、見せない、傷で覆われている。
だからこそ、大切な人が、隠しているもの、
気になるあの人が、笑顔の下に隠している痛みを
自分勝手に、剥がしてはいけない。
現代は、優しさが足りなくなった、と言われて久しいが、憧れの先輩が
そんなことを、たびたび投稿するのをみるたび、この世の中から
「言わない優しさ」
が消え失せていくように思えてならない。
見て聞いて、自分側だけのことば遊びで判断するのは、
私は、淋しすぎると思う。
夏なのに。
もっと優しくなりたい。
かっこいい大人って、どんなんだろうね。
お世話になり、感謝している方の言葉から。今日は、こちらを掲載いたします。
「私は私の人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
私はあなたの期待にこたえるためにこの世にいるのではないし、
あなたも私の期待にこたえるためにこの世にいるのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし私たちが、たまたま互いを見つけ出すなら、それは素敵なことだ。
しかしそうならなくても、それもまた仕方のないことである。」
この詩は、ドイツの心理学者フレデリック・パールズ(1893~1970年)がローラ夫人と共に創設した「ゲシュタルト療法」で使われる「祈り」で、一般的によく知られている日本語訳。
私自身こそ、ゲシュタルトを壊して突き抜ける時期にいるのだろうなと教わった気がして、降伏と幸福に満ちてます。
そして、このゲシュタルトの最後の
「I and You are the basis for We
Only together we can change the world」
訳すと「私とあなたが“私たち”の基本、二人が一緒なら世界を変えていける」
そう、どちら側も必然必要なのね。
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