天狗と河童のハーフ「てんがらもん」(鹿児島県郡山)【河童伝承フィールドワーク・資料調査】その2
甲突川(こうつきがわ)は神の月
甲突川は鹿児島市街地を割るように流れ、市民の憩いの場となっている河川。延長26キロメートル。
薩摩川内市との市境、八重山のふもとの「甲突池」を水源とする。二級河川である。
以下画像の通り、古い表記は「神月川」だった。
「三国名勝図会」とは、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国、大隅国、及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書である。
江戸時代後期の時点で「神月川」。
であれば、今の「甲突池」は当時「神月池」だったのだ(!)。なんと美しい名。古くからこの水源地に何らかの信仰が在ったのだろう。
※ところで薩摩藩剣術の一つ『薬丸自顕流』は、薩摩に伝わる必殺の剣。初手を受けた刀ごと頭を割られることも多かったといわれる。
「甲突」とはそういう薩摩剣士のすさまじい強さを揶揄したのではないかと筆者は想像する。
甲突川の水害
以下、鹿児島大学応用地質学講座のWebページより引用させていただく。
少なくとも明治時代からの浸水、洪水被害がわかる。
地元の知人曰く、「甲突川沿いに住むなら高級車は買わない(水没するから)」。
本記事のトップ画像(甲突川河畔の看板)も示す通り、大雨時は気軽に近づいてはいけない。
かつて甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)と呼ばれる5つの美しい石橋があったが、1993年(平成5年)8月6日の鹿児島大水害(8・6水害)によって2つが流失し、残る3つは後に石橋記念公園へ移設保存された。
これは河童の棲む川として、納得のいく暴れっぷりである。
「甲突池のガラッパどん」♪
図書資料を閲覧したところ、郷土史の巻末年表で「甲突池」が初出したのは1985年であった。以下、抜粋。
そして1988年(昭和63)には甲突池=ガラッパというイメージが定着していることがわかる。
しかしながら、「てんがらもん」はいつから此の地に編み出されたのか。1999年に「てんがら館」がオープンしたことから、少なくともその時点では天狗×ガラッパという概念があったのだろう。
そもそも、この地区にはこれまでどのような民話が伝わってきたのだろうか?
美しい棚田と、神の月の池があるこの場所は、古くから畏怖や信仰の核であったはずである。
その系譜に興味が湧いてくる。
次回は、郡山に伝わる民話集を参照する。