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いるけれど「見えない人」

 たとえば夫と一緒に、ある場所を訪れる。場所や用件にもよるかもしれないが、相手はその視線を、夫に向けることがある。
 目の前に人間が複数いたら決定権のありそうなほう、立場のありそうなほうを相手にするということで、男性である夫が、それに合致するのかもしれない。ほぼ無意識に、そうしてしまうのだろう。

 残念ながら、そういうケースは多々ある。夏にわたしが自分で予約した店に、商品受け取りとご挨拶に立ち寄ったときのことだ。責任者の方が、わざわざ店頭にご挨拶に出てきてくださって、お茶でもと勧めてくださった。予想外のことではあったが、ご厚意をありがたく受けた。

 だが話をはじめてまもなくから、「たまたま一緒に来たのですが家族です」と紹介したのみの夫(もちろん名刺も渡していない)のほうに、責任者の方は熱心に話をするようになった。夫も波風を立てずに雰囲気を察知するほうなので、気を利かせて相手にうなずいたりする回数も増え、わたしはますます当惑した。
 問いかけるのがわたしで、話の内容を完璧に把握しているのもわたしなのに、なぜか責任者の方は夫に返事をしたり、夫もまた相づちを打つ。

 こんなこと、世の中には多いんだろうが、まさか自分のほうが専門性が高い分野でこれかと、ぐっとこらえてその場を辞した。

 そのときのことを気にしたのかもしれないが、わたしが真面目な用件で外出する際、夫はすぐ近くの別の場所で待機するか、あるいは自宅で待っていることが増えた。正直なところ、現在は気楽だ。

 わたしは、自分がたまたまの同行者としてその場にいる自覚があれば、見えない人の扱いを受けてもまったく気にならない。だが、自分の用件で外出しても男性が横にいるだけで付属物のように見なされるのは、とくに中高年以降になってからは、いままでのように軽く考えることができない。

 若いころならば、性別のほかに年齢で低く見られているのだろうと思えたが(それはそれでよくないことではあるものの)、人生経験を積んだ現在、しかも自分の方が詳しい内容を話しているのに、男性を立てる対応をするのが自然と考える人がいることは、やはり納得がいかないのだ。

 自分も若いころはこういう無意識の態度をとってきたのかもしれないが、無意識だった、悪気がなかったといって片づけてはいけない。

 気づいたこと、気になったことは、こうして文章にしておくことが大切と思う。それがきっかけで、ひとりでも多くの人に問題を考えてもらえるかもしれないのだ。


 

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杜地都
家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。