見出し画像

パーフェクトレモン 《ミムコさんノトコレ応募 フィクション作品》

「お、塩レモン」
 冷蔵庫に顔を突っ込んだ夫が嬉しそうに言う。
「国産レモン売ってたからね」
 ふふんと誇らしげに答えると
「パーフェクトレモン」
 夫が、塩レモンのガラス容器を持ち上げて言った。


「あのね、レモンって完璧なのよ」
 力強くそう言われてもピンと来ない。
「じゃあ聞くけど、レモンでホラーとか考えられる? 爽やかでしかないでしょう?」
 いやいや爽やかなんてたくさんありますよ、おろしたてのスニーカーとか、ラムネとか。
 そういう反論を、一切受け付けないのがモナミさんだった。
「違うんだなぁ。例えばさ、子供のおむつを替えてる時、おろしたてのスニーカー思い出して爽やかになる?」
「うう〜ん。おむつ替えの時爽やかなこと考えたことないです」
「おむつ替えの時こそ、爽やかなこと考えなって!」
 モナミさんはあっはっはと、それこそレモンのように笑った。

 あの当時、私は完全に育児に疲れていた。出産してたったの4ヶ月で転勤。新しい場所にすぐ馴染むことも出来ず、子供を預かってくれる人もおらず、途方に暮れながら毎日海辺を歩いた。子育て支援という名の公民館にも通ったが、地元の輪が出来上がっているようでうまく話題に入れず、何人かには声をかけてもらったのだが、気疲れするばかりで馴染めなかった。あまりにも孤独なのと、何もする気が起きないのに限界を感じて、家でシクシクと訴えると
「ひとりしか育ててないのにそんなに辛かったら、他の母親はどうしてるんだよ?」
 そう夫が言った。今思えば、彼も新しい部署で相当ストレスを溜め込んでいたようだが、それはあまりにも致命的なセリフだった。

 ーーいっそ、このまま海の中に入ってやろうかな。
 胸に抱いた娘は、スヤスヤ寝息を立てていた。
 低くなり始めた太陽の光を穏やかに反射した海は、瀬戸内海特有の波ひとつないもので、一瞬でも入水を考えた自分が可笑しくて鼻を鳴らす。
 こんなところ、首まで浸かっても溺れないだろうなぁ。
 そう考えてから、溺れない自分と、確実に溺れるだろう娘が脳裏に浮かんだ。一瞬でもそれを想像して、心の底からゾッとする。
「こんなキレイな海を前にこんなこと考えるなんて、母親としてどうよ……」
 あえて声に出して言ったら、食道の奥あたりから何かが競り上がったように喉が鳴り、ものすごい量の涙がボダボタと一気に溢れて驚いた。
 ああそうか。私は思い切り泣きたかったんだ。
 そう開き直って、そのままわんわん海に向かって泣いた後「誰か助けてくださーい!」とついでに叫んだあたりで、娘が目を覚まして一緒に泣いた。

「びっくりしたよー。助けてくださーいって子供と泣いてる人がいて。怪我でもしてるかと思って駆けつけたら「私たち1人ぼっちなんですぅ!」って。まずい人に声かけちゃったと思ったもんね、あたし」
 モナミさんは、その話をしょっちゅう蒸し返す。
「恥ずかしいからやめてくださいって」
 モナミさんは、海の近くでレモン農家をしている。娘さんが希望の大学に合格して、とうとうこの島を出たから私も淋しかったのよね、と、宝物を見つけたような顔で笑った。

 あの日、泣きじゃくる私を、モナミさんは自分の家に連れ帰ってくれた。
「ちゃんと、今日は帰らないって旦那さんに連絡入れといてあげなよ」
 そう言われて渋々夫に電話をすると
「どこ?迎えにいく」と言うので、慌てて電話を切って、そのまま電源も切った。正直、彼の声を聞くだけで脳天が痺れるような苛立ちを感じた。
 モナミさんは、エライエライ、とそう言ってから、
「さて、じゃあ、まずこれ飲んでね」
 とレモン色のマグカップを差し出した。輪切りのレモンがポッカリ浮いていて、その湯気が頬を優しく撫でる。その温もりと香りだけで、体の力が抜けていくのがわかった。
「レモンティですか?」
「ううん、ただのお湯にレモン入れただけ。はちみつもあるよ、入れる?」
 頷くと、小さじにいっぱいだけ、はちみつを入れてくれた。
「甘い方を味わうんじゃなくて、レモン、味わってね」
 モナミさんは「人生は酸っぱいんだから」と笑うと、あたしちょっと出かけるから、そのまま寛いでてねと家を出て行った。
 全く見ず知らずの他人を家に置いて、不在にするってどうなの?
 自分の非常識さを棚に上げて、モナミさんの常識を疑う自分が心底嫌になる。娘が、いつもと違う場所だというのに、完全に寛いで自分の足を咥えて遊んでいた。
「私みたいになっちゃだめよ」
 そう言って足を撫でてから、おむつの枚数が残りわずかなことに気づいた。そうだ、まさか家出するなんて考えてなかったから買いに行かなきゃ、とソワソワし始めた頃
「ただいまー! ちょっとこれ持ってー」
 大きな声とともに帰ってきたモナミさんは、玄関先でたくさん荷物を抱えていた。そこには、おむつも含まれていて「なんか好きなメーカーとかあった?」と聞くので、首をブンブン振ってから荷物を受け取った。
「じゃ、儀式するからおいで」
 モナミさんは、まるで、ワクワクを抑えきれない子供のように言うと、袋からデンっと大きな丸鶏を取り出す。
「ク、クリスマスですか?」
 クリスマスにはかなり早いし、クリスマスでもこんなに立派な丸鶏買ったことはない。
「クリスマス以外にも売ってるの、あたしもびっくり。あってよかった。やっぱり儀式にはこれぐらいないと」
「あの、儀式ってなんなんですか?」
「そりゃ呪いよ!」
 の、呪い……? 私が体を硬くすると、娘がおぼつかないハイハイで後をついてきて「ノロイってなんですか?」と言いたげな顔で首を傾げた。

「いい? 敵の傷口に塩を塗り込むつもりで、大量に刷り込むのよ!」
 出されたのは、輪切りのレモンを塩で漬けたものだった。
 塩の半分はレモン果汁と溶けて液体になっているそれを、丸鶏に丁寧に刷り込む。
「丁寧さはいらないのよ、親の仇みたいに刷り込むの!」
「料理ってそういう感じで作るんですか?」と吹き出したら
「これは呪いの儀式なんだからいいのいいの」
 と、力いっぱい塗ることを勧め、それが終わると、お風呂入っておいで、娘ちゃんは後で連れてってあげるからと言ってくれた。全部甘えることにした。
 母娘でお風呂から出る頃には、台所中にいい香りが立ち込めていた。天板には、きつね色になった鶏の他に、大きく切ったジャガイモと玉ねぎが一緒に焼かれていて、それは塩を振っただけだと言う。見た目はまるでパーティ料理だ。
 鶏は、皮がパリッと焼けていて香ばしい。身を割くと、脂がトロリと出るのに、口に入れたらその脂っこさが、レモンの酸味で爽やかに中和されて、骨ごとしゃぶってもまだ足りないと思えるほどの美味しさだった。
「パーフェクトレモンよ」
 娘の口にジャガイモを入れながら、モナミさんは、鶏肉を頬張る私に言った。
「辛いなぁと思うことがあったら、まずレモンの用意。そして体を温める。体が冷えてると碌なこと考えないんだから。温まったら、食べる。料理をしようなんて思わない。嫌な相手を懲らしめる儀式のつもりで準備をするの。簡単。敵に塩を刷り込んで、オーブンに放り込んで丸焼きにしてやるのよ」
 料理を作ろうって思うと、途端に億劫になったりするでしょう? とイタズラするみたいに首すくめて見せる。
「これのすごいところはね、呪いの儀式なのにご馳走だと思われるところ!」
 これ、何度も旦那に作ったのよ、そのたび喜ぶからね、なんだかスカッとしちゃって。
 モナミさんは、昔を懐かしむように言うと「男って単純よねぇー」と笑った。

 翌日、私は胸に娘を抱え、背中に大量のレモンを背負って帰った。
 心配と怒りの顔で出迎えた夫がそれを見て
「どこに冒険行ってたの?」と言うから、可笑しくて笑ってしまった。
 その夜、すぐにレモンを塩で漬けた。
「砂糖漬け?」と聞かれて「ううん、塩漬け。パーフェクトレモン」と答える。
 レモン塩を刷り込んだどんな肉料理も、夫には好評だった。
 それからモナミさんとはずっと仲良くしていたけれど、去年、我が家はまた転勤になってしまった。
「辛い時は、完璧なレモンの香りを思い出して。爽やかは心を救うんだから」
 モナミさんは少しだけ淋しそうにそう言ってから
「国産のレモンは、ここから出荷されているからね」
 と、誇らしげに胸を張った。

 次の収穫にも、夫と幼稚園生になった娘を連れて手伝いに行こう。
 袋に書かれているレモンの産地を指でなぞりながら、モナミさんの笑顔を思い出す。
 今も彼女はあの島で、完璧なレモンを作っている。



ーーーーーーーーー

ミムコさんのノトコレブックに作品応募します!
もう20名達してしてしまったな?
あれこれあってなかなか参加表明出来ず、書きたいけど何をー!?ってなってました。
ミムコさんのアイデア力と行動力、実践力がものすごい。これは購入だけでも価値がある。


で、諦めかけていたら、なんと、ブックカバーがめちゃくちゃ豪華なラインナップ。

こ、こ、これは、みんなの作品だけじゃなく、自分の作品も挟みたい…!という強烈な欲望が私を突き動かしたのでありました。
突き動かされすぎて、文字数ギリギリな気がする…
ミムコさん、不具合あったらすぐダメ出しを!いや、お忙しいだろうから出来る限り自分で見直します。
抽選になったら自分で挟む(笑)

あ、物語はフィクションです。
でも広島県の生口島は、瀬戸内の海がとても綺麗なレモンの島で、レモン祭りなんてのもあるのですよ。
響きだけでも、完璧な爽やかさ!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集