リスタート 《企画》#夜行バスに乗って
この町を出ようと思ったのは3日前だった。
出てどう生きていくのかはよくわからなかった。そもそも計画するってことに慣れていない。
だけど、コイツがあれば、きっと大丈夫だと思えた。
男がソレを拾ったのは3日前だった。
高速サービスエリアでゴミを収集していた時だ。
『家庭ゴミを入れないでください』
どれほど張り紙が貼られようと、ゴミは溢れかえっている。袋を持ち上げた拍子に、何かの液体が跳ねて作業服に飛んだ。いつものことだ。
表情を変えぬまま、男は次のゴミ箱の袋を引っ張りだす。
ゴッという音を立てて、紙袋が落ちた。
「こっちは燃えるゴミだっての…」
明らかに不燃物の音を立てたそれを何気なく持ち上げたその重量感が、男の動きを止めた。
いつもなら、何も考えずにとっとと次の作業へ行くはずだったが、不思議と男にはそれができなかった。
「俺はゴミではない」と、ハンバーガー屋の紙袋に入れられたソレは主張している気がした。
そっと中を確認すると、テレビでしか見たことのない、拳銃と呼ばれるものが怪しく光っていた。
『春と風林火山号に乗って新宿へ行こう!』
夜行バスの運行ポスターを見た時、男は初めて春色というのを認識した。
男は、帳面町から出たことがない。必要がなかったからだ。
サービスエリアでゴミを収集する時、いつも思っていた。
毎日毎日、こうも人間は移動して一体どこへ行くんだろうか。こんなに人が溢れているのに、目的地にはコイツらを必要としてる人間がまだいるのか。それとも目的なく行くのだろうか。目的がなく着いたその先に何があるというのだ。
だが、その春色のポスターを見た時に、男はこのバスに乗ってこの町を出ようと思った。
必要なものは特にない。小さなカバンに、3日前に拾った時そのままの紙袋に入ったソレを丁寧に入れた他には、特別大事なものもなかった。
切符を買って、バスに乗車すると若い女の運転手に妙に明るい声で「ごゆっくり旅をお楽しみください」と言われて男はたじろいだ。車内を見て、もう一度たじろぐ。
夜行バスっていうのは、隣の席との間に通路があるのか。
いつもパーキングエリアから見ていた大きなバスの中は、想像以上に広く、ゆったりとリクライニングが可能な席に、人生で初めて贅沢というものを感じた。
そうして、ゆっくり自分の席について、あちこちボタンを触ったりシートにもたれたりしてひと心地ついたころ
「俺はゴミじゃない」
と窓ガラスに映る自分の顔にそう呟いてみた。頬のこけた生気のない顔がこちらをじっと見ている。自分の顏を久しぶりに見た気がした。俺は幾つになったんだろうかと、男はぼんやり思った。
「もうまもなく発車します」という声のすぐ後、慌てたように走り込んで来た男がいた。
フードをかぶってよく見えなかったが、俺はアイツとそう変わらないんじゃないだろうかと思った。しなやかに走り込んで来たフードの男は、男の斜め前の席に座った。
あんな風に目的を持って走ることなんて、今まで俺にはなかったな。
男は、もう一度外を見る。ゆっくりと走り出したバスの揺れは、男に妙な安心感を与えた。
「お前、捨てられたんだよ」
母親が帰ってこなくなって3日後だっただろうか。飲んで帰ってきた父親に言われた。
「俺も捨てられたんだけどよ」父親がおかしくもないことを、さもおかしそうに笑って言っているのが不思議だった。
これからどうするんだと聞いたら「俺もお前を捨てる」と、打って変わって凄みのある声で言われた。
ちょうど、翌日がゴミの収集日だった。ゴミを丁寧に捨てる家でもないのに、なんでそれをはっきり覚えているかといえば「オーライッオーライッ」と、収集車の人が溌剌とした声で家の前で作業をしていたからだ。
どうせ捨てられるなら、あのぐらい元気に捨てられたいと思った。
それからは、自分はゴミだと思って生きて来た。
ゴミは目的を持ってはいけない。必要とされることもない。
誰かがかつて愛したものだとしても、一度ゴミだと認定されれば、全くの無価値。
そして、ゴミである以上、存在感を持ってもいけない。
ゴミはゴミなりに、生き方をわきまえて来た。
指定された場所以外にいるから、忌み嫌われるのだ。
燃えるゴミ、燃えないゴミ、ゴミはゴミ箱へ。然る場所にさえいれば、人は最初から自分の存在を「無い」ものとして扱ってくれる。
だから特に、誰を恨んだりもしたことはない。
ゴミなのだから、他の誰かのために心を尽くすこともない。
バスの揺れのせいだろうか。
男は、夢とも現ともつかないようにぼんやりと過去を思っていた。
いつの間にか、バスは暗闇の中を走っている。
拳銃を持っているからと言って、バスジャックを起こすつもりはない。そんなことをしたところで、男には要求がないのだから無意味なことはわかっていた。
ただ、3日前「俺はゴミではない」と紙袋の中にあってさえそう主張する拳銃を拾ったことで、男の中で何かが変わっていた。
ゴミの中に埋もれていれば、たとえ重量があったとしても、男は気づかずゴミとしてソレを収集車に放り込んだだろう。もし、それで収集車が何か異音を発したとて、同乗者と共に警察に連絡したのかもしれない。
だが、そうはならなかった。
「ゴミではない」と主張する拳銃は男に向かってのみ、その存在を誇示しているように思えた。
「間も無くサービスエリアに入ります」
控えめなアナウンスの声に、男の思考は現実に戻る。どこのサービスエリアだろうか、いや、そんなことを俺が知っているはずもない。
乗客が思い思いにバスから降り、腕をあげたり背伸びをしたりする様子を車内から眺めた。
降りたのは数人、他はほとんど熟睡している。どの乗客も、例えそうでなくとも、男から見ると、人々というのは生き生きとしているように見える。
夜中の2時だった。サービスエリアの自動販売機が煌々とした光を放っていた。
「俺はゴミじゃない」
男はまたそう呟くとバスを降り、自動販売機を吟味して、生まれて初めてドリップタイプのコーヒーの一番高い値段のボタンを押した。ガコンという音ではなく、「抽出中」と書かれたランプが静かに点滅しているのを見て、男は贅沢な時間というものを味わった。
ゆっくりと扉を開けると、そこにはもう蓋がされたコーヒーが、自分のためだけに待っているのが男にはしみじみと嬉しく、それをそろりそろりと持ってバスに戻った。
男はただ、自分の存在のようなものを確認したかった。
今まで誰かを恨むことも傷つけることもなく、ただ、無いものとして自分を扱ってきたのだ。なんの資格もなく、ただ処理されるのを待つ人生だと思って来た。
それはあの日、「ゴミではない」と主張してきた拳銃とは真逆の生き方だった。
おそらくは殺傷するという目的でのみ生まれて来たソレと。
存在するだけで人を脅かし、持つものにさえ資格を必要とさせるその圧倒的な高慢さ。
しかし、禍々しさを感じさせるはずのその見た目は、洗練された美しさがあった。
何にも関心を持ったことのない男が、初めて、そういうものに惹かれた。
バスに戻って自分の席につく。
先ほど買ったコーヒーの飲み口を開いて香りを嗅いだ。
その香りを嗅ぎながら、ゴミではなく、ゴミを捨てる側の人間になりたいと思った。
そういう抽象的な人物像をモヤモヤと考えていると、斜め前からゴトっと何かが落ちた音がして、男はコーヒーを飲みながら何気なく音のした方を見た。
そこには、拳銃が落ちていた。
男は慌てた。
俺の拳銃!なんで俺の拳銃があそこに…!?
慌てて自分のカバンをまさぐった。紙袋が手に触れて、その先に固い感触がそのままそこにあった。
斜め前の男が慌てて拳銃を拾った後、少しこちらを振り返った気がしたが、男は自分のカバンに意識を集中させていたから、フードの男はホッとした様子でそのまままた前を向いた。
俺と、他にもう1人拳銃を持ってる男がいる。
男は、そのことをたった1人自分が知っていることに興奮した。
この小さなバスの中、まさか2丁も拳銃があるなんて誰が思うだろう。
今までずっと世界は自分と関係のないところで回っていた。
ところが今、たった1人自分だけが、このバスにある2丁の拳銃の存在を知っている。自分だけが、この小さなバスの世界の歪みを知っているのだ。
アイツの目的はわからない。もしかしたら今からバスジャックをするのかもしれない。
ずっと何もない毎日を死んだように生きてきた。いや、最初から生きている認識すらなかった。
ゴミだから。俺は、ずっとゴミだったから。
アイツが、もし俺の生命を脅かしたとしてもそれでも別にどうでも良い。
だが、今、俺は、あの男と同等の力を持っている。脅かされても立ち向かう術がある。
そうか。アイツも自分はゴミではないと、そう主張するためにこのバスに乗ったのかもしれない。
もしアイツがバスジャックをするなら、加勢したっていいだろう。
もし何事も起こらず、アイツが他の目的地に行くのなら、俺も、この拳銃と何か目的を持って生きてみるのも悪くない。
男は、高揚感に包まれた。
初めて、胸の高鳴りを感じながら、快適なシートにもたれて眠りについた。
今まで一度だってそんな風に寝たことはなかった。
それから男は夢を見た。
施設にいた時、珍しく遅くまでテレビを観られる日があった。その時放送された金曜ロードショーのルパン三世のアニメの夢だった。
自分が次元大介になっていて、次々と最悪な状況をその拳銃の腕前で打破していた。
「俺がゴミみてぇだと?その考え方がゴミなんだよ、捨てちまえ」
次元大介はそう言ってニヒルに笑っていた。
バスがゆっくりと新宿のバスターミナルに入る。
男が目を開けると、そこには新しい朝が始まっていた。
フードを被った男は、足早にバスを降りて行った。男はフードの男を目で追いながら
「バスジャックじゃねぇのかよ」と呟く。
「ご乗車いただきありがとうございました。このあともお気をつけて」
運転手が、一番最後にバスを降りた男に明るく言った。屈託のないその声を聞いて
「そちらもどうぞお気をつけて」とつい声に出して言っていた。
このバスには、2丁も拳銃が乗っていたんだからな。
男は、バスを降りてグンと背筋を伸ばした。
これからどうするかなんて決めてない。
ただ、コイツと一緒だったら、死ぬ気で何かを始めても殺されることはないだろうと思った。
本来の使い方をされない拳銃がゴミになるのか。
この拳銃を使って、ゴミみたいな人生を送ったやつとして世間に晒されるのか。
男の胸の中で、パンッと、スターターが弾ける音がした。
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豆島さんの企画に参加しました!
企画に乗るのひっさしぶりでワクワクしました。
ほんのちょっと生活面が立て込むだけで、時間の使い方が下手な私は、面白そうな企画があっても乗れないまま時間が流れてしまいます。
いやー今回はバスだけに、乗れて良かった!笑
それにしても、この男、この先どう生きるのか。
捨てる神あれば拾う神かがいるのか鬼がいるのか。
長くなりましたが、書けてよかったです。豆島さんありがとうございました!
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