見出し画像

常夏ガールは孤独を救う

先日、転校した小学校の初めての授業参観があった。

この2年、授業参観はなかなか思うようにできず、どんな服装でどんな雰囲気で行くべきか、うっすら忘れかけていた。
それでも、行き慣れた小学校なら友人もいるし、ちょっと早めに行ったほうがいいとか、ラフな服装でいいとか、まぁ大体わかっていたので、特に緊張したことがない。

問題は今の小学校だ。
どうする、保護者全員セミフォーマルだったら?
いや、逆にとことんラフであるならば、どこまでがラフなのだ?
待て、今日は保護者の見せ場はないはず、それより娘だ、初めての私服の小学校、娘の服装がいつも通りでいいんだろうか?

溢れ出す疑問。しかし相談する相手がいない。

圧倒的孤独…!!

とまぁ、そこまで深刻にならなかったにせよ、私の頭は疑問でいっぱいだった。「ねぇ娘、今日は何を着ていくんだい?」

初めての私服の小学校、彼女は毎朝ルンルンだった。
だって、気分で洋服が選べるんだよ。
体育がある日はスカートが着替えやすいんだ。
今日は、友達と同じコーデにするの。

なんたる適応力。
もう同じコーデにするような友達がいるんか。
母さんは孤独に打ち震えているというのに・・・。

そして、参観日の朝だ。
私の質問に対して彼女の選んだ服は、2年前にハワイに行った時に買ったお土産のTシャツだった。
『Hawaii』とどでかく書かれたそれは、眩しい水色で、かつサイズ感もちょっと危うい。

今日!?ねぇ、今日それ!?
「え、ダメ?」
や、ダメじゃないけど、なんか派手じゃない…?それにほら、まだ春だしさ。
てゆうかお母さん、新小学校に向けて可愛い服いくつか買ったよね?

当時、気分が盛り上がって買い漁ったハワイのTシャツは、2年の時を経て、色もぼやけ悲しいかな部屋着と成り果て、浮かれた常夏の雰囲気が、逆に孤独感を強めていた。それは、かつて繁栄していたであろうお土産屋さんの片隅を思い起こさせる。
私のTシャツの方は。

しかし、娘のTシャツは、2年経った今もなお、お気に入り1軍の引き出しに格納され、ことあるごとに「選ばれし服」として君臨し、その度、私は「え!?今日それ?」を繰り返してきた。
なぜ、そこまで気に行っているのか、色か?南国の雰囲気か?着心地なのか?
ごめん、お母さんにはイマイチわからない。

そして今日は参観日。
孤独を強めている私としては、決戦の日と言っていい。
「あれがウチの娘ザマスの!」
「まあ!まるで姉妹のようなお二人ですこと!」
「あらやだ奥様、そんなこと仰ったって、ワタクシ何も持ってございませんのことよーホホホ!」

…いや、わかってるよ、そんな会話が成り立ちそうなママはこの世にスネ夫ママしかいないってことは。そして私はスネ夫ママを欲していない。
わかってるんだ。
だけど、なぜかつまらない母の見栄みたいな気持ちが発動してしまう。
「オシャレな服を着せているお家」
そこまで思われなくてもいいけれど、せめてその、色あせたお土産Tシャツ当時$9弱ではない評価が欲しい!

しかし、彼女はそのTシャツを譲らなかった。
そうだよな、母のつまらぬ見栄のために、娘の好きを踏みにじるなど言語道断、オーケー母さんその心意気受け取った。
そうだ、私も人の目など気にせず、今日の着たいものを着ていこうじゃないか。

そうして私は、いつもとなんら変わらぬ服装で小学校へと向かった。
道中、何人かの保護者を見かけては「ノーセミフォーマル!」とほっと胸を撫で下ろした。
そもそも私はドラマを見過ぎなだけであって、特に高級住宅街に住んでいるわけではないので、取り越し苦労もいいところなんだけれども。

教室に入ると、娘はお気に入りの服を着て、その場に馴染んでいた。
時々隣の席の子と目を合わせてクスクスと楽しそうに笑っていて、そのTシャツに描かれている常夏ハワイアンガールの雰囲気と妙にマッチしているのが眩しかった。

「ああ、この小学校の児童になっているなぁ」
私はその笑顔を見てほっと胸を撫で下ろす。
私も頑張らないと。
孤独に苛まれている場合ではない。
好きな服を好きと言えるのは、私がそうあるように育てたからに違いない(多分)。
私も、好きなものを好きと、そして好きな友人と好きな会話をしながら新生活を送らなければ、娘に恥ずかしいじゃないか。

参観を終えて清々しい気持ちで懇談会に出席した。

保護者の自己紹介。
ほんの少し緊張しつつも、私は、我ながら胸を張って伝えた。
「広島から引っ越してきたばかりです。娘同様、私も仲良くしていただきたいです!」

その日。なんと2名の方からLINEを交換して欲しいと言われた。
過去、ママ友ナンパ師として名を馳せた(馳せた?)私は、ナンパされる喜びを知った。
ちょっとだけ、ぶりっ子した。
娘のTシャツのハワイアンガールが、そんな私をおかしそうに笑った気がした。

圧倒的孤独から、ほんの少し抜け出したのは、他ならぬ彼女のおかげかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?