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シングルオリジンにブレンドという矛盾

スペシャルティコーヒー誕生のきっかけは、農園単位で単一品種のもつ特徴をしっかりとはっきりと感じたい、という希望から。いろんな品種やクオリティの豆をごちゃまぜにして「ブラジル」とか「グアテマラ」というくくりで販売するのではなく、●●農園の●●品種、●●区画の豆、というように、コーヒー豆本来の特徴を、クリアさを下地にフレーバーの彩を感じて楽しもう、というところが原点である。

ところが、このフレーバーを楽しむ方法として、香味の良いところを掛け合わせる「ブレンド」がコーヒー豆店でも提供されている。かつ、それらのほとんどは通年ラインナップがされていて、暑かろうが寒かろうがほぼ同じ香味を味わうことができる。

なんかおかしくないか?

スペシャルティコーヒーは、香味それぞれの特徴を農園単位までフォーカスして違いを明確にしたシングルオリジンこそが重要だ。それゆえにそれぞれの銘柄を楽しめる時期は収穫地により異なるのは、旬の野菜を食べるのと同じ状況だ。品薄の時もあれば、過多のときもある。

ところがブレンドは通年で同じ味である。「旬を楽しむ」がなくなり、なんかロボット的だ。

スペシャルティコーヒーの定義は近年ファジーなものに書き換えられてしまい、コーヒーとしての感動を与えられればなんでもOK,というようなものになってしまった。ゆえに、コーヒーの精製過程でまったく違うフレーバーを人為的に挿入するインヒューズドコーヒーやブレンドコーヒーなども感動を与えられれば良しという風潮になりつつあるが、これではその品種の持つ特徴を楽しむこととは異なる楽しみ方になり、価値の置き所が違う。というか、邪道もいいところだ、と私は感じている。

なので、うちではインヒューズドは扱わないし、ブレンドも(あるケースを除いて)作らない。

ブレンドのもともとの設計思想は、在庫処理

コーヒーを商売にするという観点はすなわち在庫をどう処分するかに尽きる。コーヒーをお金儲けの手段にした先人たちは、複数銘柄の在庫をブレンドして新しい香りを創造することで売りさばくことを思いついた。これは、自家焙煎店の指南書などにも堂々と書かれていることで、それを知っている僕はお店に行ってもブレンドだけは飲まないし頼まない。

競技会でブレンドを使って入賞した、というようなブレンドもある。これは一定の高得点豆をかけあわせてフレーバーのよいところを最大限に伸ばしたもので、ブレンドの種類の中でも稀な種類。僕はたまにこの種類のコーヒーを買うことがある。が、その都度リリースされるシングルオリジンとそれを比べると、どうしても見劣りするのは否めない。

日本よ、シングルオリジンのレベルを上げろ

シングルオリジンのいいところをあわせて面白い香味を作り出すことは、あってもいいと思うが、それをメインにしてはいけないとも思う。それよりもシングルオリジンそれぞれの良さを今以上に高めてもらうことが重要で、低級品しか入ってこない日本ではとくに重要なテーマであると考える。

今の香味に満足してはいけないのよ。っていうか、もっと上の香味がヨーロッパとアメリカではホイホイと流通しているの。それに気づいてまず足元のシングルオリジンにご意見ができるよう、客側であるカフェオーナーたちがしっかりと知見を積んでいくことが、巡り巡って日本に流通するスペシャルティコーヒーのレベルを底上げするわけで。カフェオーナーが豆屋に同調して、へぼ豆を混ぜて高値で売りさばく手法に加担していちゃダメなのです。


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