アニメレビュー:「ゆるキャン△SEASON3」(2024)女子高生に仮託した、おじさんの夢の行き止まり
ストーリー
高校で「野外活動サークル」を部活に昇格させるべく活動しているメンバーが、春休みを迎え、それぞれにバイクツーリングのキャンプやソロキャン、花見キャンプなどを楽しむ。
レビュー
「ゆるキャン△」シーズン1は、楽しい作品だった。「女子高生」+「日常」+「あまり女子高生がやっていない活動」の組み合わせは、近年の日常系アニメの王道パターンだが、学校の集団行動訓練じみた「野外活動」や「キャンプ」を、ソロやゆるさという新しい切り口で一変させ、キャンプブームの火付け役の一端をになったのも頷ける内容を持っていた。
続けて視聴したシーズン2から、その作風にやや変化が生じるのを感じたが、それがシーズン3になって顕在化してしまったなあ、と、見終わって言わざるを得ない。残念である。
その作風の変化とは、注目度、ブームの火付け役、といったプラスの要素が引っ張ってきたものによって生じた、ともいえる。たとえばシーズン2では、顧問の先生を加えて「伊豆キャン」を楽しむことになるのだが、バイトしながらちまちまとキャンプ道具をそろえるつましい高校生にしては、なんだか豪華な旅に見えてきてしまった、ということにある。おそらく、観光地のある自治体などのプロモーション企画とコラボしているということがあるだろう。
その間、新型コロナウイルスの感染爆発という状況にあったことは、記憶にとどめておかなければならない事実である。このことにより、密にならない手軽なレジャーとして、キャンプが大ブームとなったからだ。そして、ブームの弊害が出てきたことから次第に敬遠される一方、新型コロナの5類移行という状況が重なって、シーズン3が放映されることになった2024年春には、ほぼキャンプブームは終息に向かった。
ブームで広がりを見せたのが、女性によるソロキャンプだったが、弊害の影響をもろに食らったのも、またその部分だった。ソロでキャンプを楽しむ女性に男性がつきまとう、などの事例がSNSで報告されるなどしたことで、ソロキャンは危険かも?という懸念が広がった、ということがあったと思われる。
さて、そのような形でブームが終息していき、好きな人が好きに楽しむ当初の状態に戻ったこの時期のシーズン3、どんな展開になっていくのかと思いながら見始めたのだが、そこにあったのは、シーズン2に輪をかけたように、どんどん本来のキャンプ、野外活動から離れて彷徨い始めるキャラクターたちの姿だった。
今回は、ちょうど時期が春休みということで、リン、なでしこ、千明、あおいら野クルのメンバーが、それぞれにキャンプを楽しむという流れになっていくのだが、もともとは、キャンプをして野外でのんびりと過ごす非日常、というのがメインディッシュだったはずなのに、それがある意味「宿泊の手段」になり、大井川鐵道で旅したり、吊り橋巡りをしたり、温泉に入ったり、その間にグルメを楽しだり、と、まるでフツーの旅番組かグルメレポートでも見ているような気分になることがしばしばあった。つまり、彼らの旅行をハタで見ているだけの私たち、ということなのである。
なでしこがレトロな列車に興味を持ったり、あおいが自転車に乗り始めたりというのは、キャンプだけでは話に広がりがなくなったのを補うためか、あるいはさらに新しく鉄道マニアや自転車マニアをファンとして取り込む仕掛けなのか、こうなるともうよくわからない。
肝心の話はというと、起承転結もなく、彼らが出かけて帰るまでを淡々と流しているだけ、という感じで、たとえば地元の祭りの紹介でも、スマホを見ながらウィキペディアの説明を読んでいるだけで、まったくドラマになっていない。キャラらはそれぞれキャンプに行ってもスマホを見たり写真を撮ったりしてばかりで、もはや「ゆるキャン」ではなく「スマキャン」ではないか、と言いたくなってくる。
実はシーズン3から制作するアニメスタジオが変更になったのだが(エイトビット:バンダイナムコフィルムワークスの完全子会社)、その影響が悪い方に出た、と言わざるを得ないだろう。キャラクターの絵が少々雑な感じになっているのはまだゆるせるとして、背景画が写真をそのまま読み込んで会が風のエフェクトをかけただけ、のようなリアルな画風で、キャラ絵が背景から浮いてしまっているのである。背景が現実的すぎて、逆にその世界に入り込めない、という感じになっているように思う。
ひょっとしてそれはAIを導入したりした結果かもしれないが、背景は、リアルであればいい、というものでもないだろう。それはそのアニメの世界の中の風景、現実であって、私たちが実際に見ている現実とは、あくまでも違うものだ。そして私たちは、キャラクターの目を通してその世界を見ているのだから、Googleマップで検索すれば同じ風景が見られる、というのは、やっぱり違うど思うのだ。
そしてストーリーについても、誤解がある。こうした作品は、女子高生の何気ない日常をほのぼのと描くという一つのジャンルなのだから、別に特別なドラマがなくたって、彼らの日常をそのまま描けばいいじゃないか、ということである。だが、私は言いたい。「ゆるキャン△」はそうじゃない、と。
そもそも、なぜ人はキャンプに行くのか。日常の延長ではなく、そこに非日常を求めるからである。それは一種の現実逃避なのである。日常のことを忘れて、ただキャンプという行為に没頭したいから、キャンプに行くのだ。とすれば、その非日常をまるで日常のようにだらだら描いて、そのキャンプが魅力的に見えるだろうか。やはり、リンやなでしこらが過ごしている日常があり、その対照系として非日常のキャンプがある。そうでなければ、彼らのワクワクを見ている私たちが感じて一緒にワクワクすることは、できないだろう。
もともと、「女子高生」+「日常」+「あまり女子高生がやっていない活動」の組み合わせ、というのは、女子高生に自分の姿を仮託した「おじさん」がメインターゲットのアニメである。だから、本作には男子高校生は登場しないし、本当ならキャンプ場に押し寄せているおじさんキャンパーや家族連れ、おじさんグループの酔っ払いなどがすべて「透明化」されているのである。そして、おじさんは何より、キャラクターの変化(たとえば彼氏ができるなど)や成長を望んではいない。話が広がる要素が、本作にはまったくないのである。唯一あるとすれば、最終回で千明が触れているように、サークルから部活に昇格させることであるが、そもそも、他のメンバーがそれを望んでいるかも疑わしい。
原作がどうかは知らないが、本作を見るかぎり、「この先はないなー」としか思えないのであった。
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