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映画レビュー:「南極料理人』(2009)「食べる」は力、そして味は想いを呼び起こす、そんな一瞬のための125分

ストーリー

 海上保安庁の巡視船に乗る主計士で調理担当の鈴木は、子供のころからの夢だった南極観測隊の隊員に選ばれる。ところが出発前に交通事故に遭い、代役が、鈴木とともに調理担当だった西村(堺雅人)にまわってくる。「家族と相談させてください」と留保しようとするものの、船長に押し切られ、何ら知識も心の準備もないままに、彼は南極に派遣される。
 しかも、その行先は昭和基地からはるか1000キロも離れた南極大陸の内陸部、富士山より標高の高い場所にある「ドームふじ基地」。平均気温が氷点下54度という極寒の地で、7名の観測隊員の健康で文化的な生活のため、毎日三食の料理を作り続ける・・・

レビュー

 私は長らく某地方ラジオ局の原稿を書く仕事をしているが、その仕事をし始めた頃、局にいた通信技師が休職することになった。南極越冬隊に参加するため、というのがその理由だった。こんなローカルな場所から、そういう、ある意味「花形」のような任務に就く人が出てくるんだ、と思ってびっくりした覚えがある。
 その人は南極から戻ったあと、しばらくして転職されたが、南極での仕事が大変性に合ったらしく、その後何度も越冬隊に参加して南極に渡っている、と聞いた。調べてみると、62次南極観測隊の越冬隊員の中にその名があり、現在は専門家として基礎観測に携わっているようである。南極に魅せられた人、といっていいだろう。

(当時の記事)
https://biwako-otsu.keizai.biz/headline/36/
南極大陸の魅力を観測隊員がレポート-エフエム滋賀が特別番組

62次南極観測隊
https://www.nipr.ac.jp/antarctic/jare/member62.html

 この映画のタイトルをアマゾンプライムで見かけたとき、ふと「そんな人がいたなあ」と頭によぎり、南極観測隊ってどんなんだろうという興味から、この映画を見ることにした。

 南極が舞台の映画といえば、連れていったカラフト犬を置き去りにせざるを得なくなる「南極物語」(実際に南極で2ヶ月ロケを敢行)、ウイルス攻撃で南極以外人類全滅してしまう「復活の日」、犬に取り憑いたナゾの生物が南極観測隊員を襲撃する「遊星からの物体X」などを見たことがあり、いずれもドラマティックだったりスリリングだったりするわけだが、実話ベースの本作には、そういうドラマはまったくない。極論すれば、仕事で南極に派遣され、料理人として働き、帰ってきたという、それだけの話で、淡々と、南極基地での暮らしぶりが描かれてゆく。

 たった7名の隊員のために、調理専門の隊員が派遣されるなんてすごいなあと思ったりするのだけれど(ほかに自動車メーカーから出向した車輌担当、北海道の病院から来た医師もいる)、観測や研究に携わるのが数人なら、その数人が交代で料理もすればいいのに、などと考えてしまうが、それは人の住む地で日常生活を送っている者の発想なのだろう。最寄りの基地でさえ1000キロも彼方、たった8人だけが閉ざされた空間で400日あまりを過ごす、そんなとき、他に娯楽もなく人と交流することもないなかで、「食べること」それだけが唯一の楽しみであり、厳しい南極での生活の隊員らの体と心の健康の支えとなっている。もし、まずい料理を出したりしたら、それこそ殺人に発展しかねない、そんな極限状態ギリギリの淵を日々歩いているのである。(しかも、人の命を奪うのはごく簡単である。外へ放り出しておきさえすればいいのだ)

 だからこそ、淡々と描かれる日常の中で、まさに隊員らがそうであるように、本作では食事の時間がハイライトなのであり、食事シーンが一番印象に残るように、あえてその他の部分にはスポットをあまり当てずに描いている。だから、ともすると隊員らは毎日遊んで暮らしているように見えさえするが、もちろんそうでないことはいうまでもない。そして、つまるところ隊員たちが退屈で窮屈、ストレスフルな日常の中で食事を楽しみ心癒される時間とするように、見るものも彼らの退屈に付き合わねば、その楽しみを共有することはできないのだ。

 だから、この映画は淡々と流れる退屈な時間が多いけれども、しかしそれゆえ面白かった。次の食事の時間が、楽しみになってくる。
「食料品の備蓄の中に、でっかい伊勢海老があるらしいよ」から始まるエビフライ事件、本さんの誕生日にごちそう作ってあげて、から始まる巨大肉事件、そして夜な夜な夜食にラーメンを食べつつけたタイチョーのせいで、あと滞在日数が200日以上あるのに備蓄のラーメンが底をついてしまうラーメン事件などなど、食に関してはわがままな隊員たちの要望に、嫌な顔ひとつせず腕をふるってみせる料理人の西村の、その静かなたたずまいに、見ているものも、なんだか一緒に癒されてしまうのである。

 そんな西村だが、出発前の家族との夕食では、妻の作った鶏の唐揚げがべっちょっと油っぽく不出来であることに文句をつけていた。妻よりもずっと料理がうまいのである。だが、そのほんの少しのエピソードが、のちのち、最後の大事件ともいうべき主任の昼シャワー事件をきっかけに起こった騒動で、西村がついに料理ボイコットをして自室に引きこもってしまった際、隊員らが作った料理を振舞われたときに、思わぬ形で生きてくる。見るからに衣が油でべっちょりの唐揚げが大写しになったとき、私は「あっ」と思い、それだけで、もうほろりときてしまった。

 ドームふじ基地は昭和基地より南極点に近いため、極夜という太陽が沈んだままのぼらない日が、およそ4ヶ月間もつづく。これがまた、閉鎖空間にいることのストレスに拍車をかける。延々と続く夜を過ごさなければならないからだ。ラーメンがないと生きていけない、と不眠をうったえたり、夜の調理場にしのびこんでバターをかじるといった異常行動を起こす人も出てくるが、そんな様子も淡々と描きつつ、くすっとした笑いに変えているのが心地よかった。

 まさに「食べる」は力、そして味は想いを呼び起こす、そんな一瞬のための125分だった。

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