「同人女の感情」で知る、同人女の感情ってなんだろう
noteの記事をきっかけに知った「同人女の感情」という漫画。真田つづるさんという漫画家が、同人活動に勤しむオタクな女性たちが、その活動の中で抱く様々な感情について描いた作品で、『私のジャンルに「神」がいます』というタイトルで書籍化もされている。
ちょっとためしに読んでみたら、ついついハマってしまって、 無料で読めるpixivでなんども繰り返し読んでしまった。
そこで、何がそんなに面白かったのか、ということを少しまとめておこうと思うのだが、その前に、本作の原題となっていた「同人女」という言葉について、本作から得た情報をもとにまとめておこうと思う。
端的にいえば同人活動をしている女性、ということになるが、ここでいう同人活動とは漫画やアニメにハマった人が、そのストーリーのバックグラウンドやキャラクターのあれこれを夢想して描く二次創作の作品を、印刷物にしてコミックマーケットと称するイベントで売買する活動をさしている。そして、その活動に取り組んでいるのが、「同人女」ということになるが、もう一つ、本作では想定されている読み手の間で暗黙の了解がある。「推し」の「CP(カップル)」という言葉が頻出するが、要するにすべてボイーズラブ、男同士の恋愛を描いた二次創作なのだろう、という推定である。
コミケとか同人誌という文化は、それこそ私が10代の頃(40年前…)からあって何も珍しくはない。二次創作もしかりである。それがインターネットの普及によって、より身近になったのが1990年代後半から2000年代。私もその頃から個人のファンサイトを作って二次創作などもしているが、同人活動はしたことがなかった。正直なところ、好きな作品の二次創作活動をするのに、なぜ、サークルだのなんだのと、人と交流する必要があるのだろうかと思っていた。ぶっちゃけ、極度のコミュ障である。
だからこそ、本作に興味を惹かれた。その感情って、なんなんだろうと。
読んで見て、まず、同人女を駆り立てている感情、それは自分が愛した作品のキャラクターに向けた感情であり、キャラクター同士の間にあると自分が見立てた感情を表現したい、という衝動なのだろう。その結果作品(本作では小説)ができあがるのだが、本作では、そこに書かれているであろう内容は取り上げられない。むしろ中心になっていくのは、作品が出来上がり、投稿サイトで公開するなどしたあとで湧いてくる、もう一つの感情である。
それは、自分を認めてほしい、賞賛してほしい、と欲する思い。それも、彼女らが「神」とまで崇める字書き、綾城さんに読んでもらいたい、褒めてもらいたい、という切なる願いで、そのために創作活動に手を染め、自己研鑽に励む彼女らを、なんて頑張り屋さんなんだろうと尊敬せずにはいられなくなる。
しかし、創作することの情熱は作品が出来上がることで落ち着くが、承認されたいという感情には終わりがない。そして終わりがないがゆえに、次々に作品を書き続けるという行為が繰り返されてゆく、ということになるのだろう。
では、なぜそれほどまでに承認を求めるのだろう。それは、ある意味同人活動というものが、一つの作品、そのキャラ、その組み合わせによって起こりうる幻想を共有するという趣旨を持っているからではないだろうか。その共同幻想の輪に入っていくために、承認を必要としているのだ。
不思議なのは、本来輪には中心はないのに、投稿サイトのシステム(閲覧数、ブクマ、いいねの数)によって、それがヒエラルキーとなってしまっていることだ。そのために神が生まれ、崇拝者が生まれ、そのヒエラルキーの外にいるおけけパワー中島という存在への嫉妬が生まれる。システムによってヒエラルキーの中にいる自分のポジションが見えることが、彼女たちの感情をより増幅させている、といえるのではないだろうか。
そうした感情から離れた存在として描かれているのが綾城さんで、一体彼女はなぜそうした感情から自らを切り離すことができたのか、あるいは描かれないだけで、同様の感情を持っているのかもしれないが、同人女の中ではある意味特別な異質な存在となっている。共同幻想のヒエラルキーの頂点からちょっと離れつつある、というべきか、頂点に立つということではなく、そうした承認欲求の感情から離れることが、真の創作者としてのあるべき姿なのだと作者は示そうとしているのかもしれない、と思った。
ところで、同人女の説明で、この活動がボーイズラブを土台にしていることが推定されると書いたが、この同人女の感情というのは、そうしたジャンルに限られるものなのだろうか。男女カップルを取り扱った場合も同じような感じなのだろうか。あるいは同人男の場合はこうしたことがあるのだろうか。もしかしたら、ボーイズラブというジャンルへの拘りと、強い承認欲求ということの間にも何か関係があるのかもしれないと思ったが、その点については正直、よく分からない。ただ、ある意味特異で人を選ぶ独特の閉鎖空間を作り得るという意味において、そういうことも何か関係があるのかもしれないとは思った。
書籍化にあたってタイトルが『私のジャンルに「神」がいます』に改題されたようだが、この「神」という言葉は、自分が心酔、崇敬する作家に冠される言葉となっている。しかし所詮は一人の人間にすぎない者に「神」という称号を与えることで、逆にその人物を崇敬する自分を卑下する、という事態になっていないだろうか。まさに、同人女の自己卑下的な感情をことさらに煽るタイトルで、この改題を思いついた人は正直、とても意地が悪いなと感じた。
ただ、ここで描かれた「感情」は同人女というジャンルを超え、ある意味人が人と何事かを媒体にしてつながろうとするときに起こり得ることの普遍性を持っているようにも思え、そこが、人間観察として非常に面白いと思った次第である。
同人女の皆様方は、そうした感情も含めて、楽しまれているのだろうなと思っておくことにする。
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