双極性障害 / 闘病記録【2021年】
こんにちは。
私は2018年に双極性Ⅱ型障害と診断されてから、毎日記録をつけています。
この記事では、そのうちの2021年分の記録をまとめます。
私が記録に使っている睡眠覚醒リズム表(以下リズム表)は、日本うつ病学会のものをアレンジしたものです。
この記事では、水色のグラフだけ見てもらえたら大丈夫です。
今回の2021年分は、過去ブログのレポートをまとめる形になったのもあり、ボリュームたっぷりになってしまいましたがよろしくお願いします。
1月
月の途中からですが、気分の波をはじめてスマホのアプリで記録してみました。
使っていたのはDaylioというアプリです。
(10種類の気分管理アプリを試して、その中から選びました。)
下のリズム表では、8日からDailioに記録したデータを書き写しています。
【プチ別居】
中旬に夫の共通テスト(旧センター試験)がありました(夫は大学への入学を目指し中)。
一週間前に迫って、私は「私がいたら勉強できないんじゃないか…」の不安にもう耐えられず。
勉強時間を確保してもらうためにも、私は息子と実家に泊まって週に1〜2回アパートに家事をしに帰るという“プチ別居”を始めました。
しかし、プチ別居生活をやって夫に対する不安から距離を置くことができたとしても、それはそれで大きなストレスがあると予想されました。
実家は自営業で、忙しい時期で人がたくさんいて刺激がいっぱい。姪っ子甥っ子たちが来れば子守りも加わります。
そこで、過去の経験から次のことを意識しました。
居候させてもらっているから…とかそういうのは考えすぎないようにして、しんどくなったらいつでも逃げようと考えるようにしました。
それでも疲れるとメンタルは不安定に。
20日ごろ、抗不安薬(ロラゼパム/マイスリー)で波を抑えていた日が数日ありますが、息子の夜中の授乳で疲れていました。夜中に自分の頭を殴ってしまったことも…。
(ちなみに、読んでいただく必要はないですが、下の画像は上に挙げたリズム表では抜けている[出来事]の欄のDailioのデータ。)
息子の一歳の誕生日がありました。
生まれる前は、私の双極性障害とか発達障害の影響とか、完ミなこととか、不安がいくつもありましたが、全く心配いらないくらい大きな問題なく元気に育っています。これ以上ない幸せなことです。
実家にいると、ふと過去の自分について考えたりしてしまいますね。
2月
この月からリズム表をiPadで書くようになりました!
(先月はアプリで記録してみていましたが、やっぱりリズム表に戻ってきました。
私はリズム表みたいに書き込むタイプが合っているようです。)
【プチ別居生活2ヶ月目】
引き続き、プチ別居生活中です。
ストレスが多い生活でしたが、ストレスが多めな生活の割には気分の波がそんなに大きくならなかったです。
理由として思いつくのは次のこと。
・誰かがいると“普通”を装うから(緊張感があった)
・「しんどくなったら逃げよう」と決めておいた
・落ち込んでいるヒマがなかった
・「実家にいる=夫の力になれている」という安心感
【夜泣きに参った】
2週目は荒れがちで、頓服薬も毎日のように飲んでいてしんどい期間でした。
この頃、息子の夜泣きが毎日のように続いていたんですね。
深夜2〜4時頃にギャーと泣いて、ミルクは飲まない。
泣くのが激しいから、「実家の親とかを起こしてしまうのではないか」と気になって、泣いたらすぐなだめられるように緊張して寝るので、眠りが浅くなって…。
寝不足の結果、精神不安定。
この10日ほどはほんとうに参りました。
息子の夜泣きについて振り返れば、この時期を過ぎると早朝の授乳が無くなって息子は朝まで比較的ゆっくり寝てくれるようになりました。
『朝ミルクの卒乳に向けて変化していた時期』だったのかな…。
【大きい地震でも薬でセーフ】
大きめの地震がありました。
そのとき私は布団に入っていて、すっかり目が冴えてしまいましたが、過去の経験から、こういう緊急事態が起こると寝不足になって次の日しんどくなることが予想されました。
なので、地震の影響が気になっていろいろネット検索しそうでしたが、眠剤(ゾルピデム)を飲んで寝ました。
余震が来ても起きられなくて息子を守れなかったらどうしようとも思いましたが、寝ることを優先しました。
これが功をなし、次の日に精神的に不安定になることは回避。
薬はこういうときありがたいな〜と改めて感じましたね。
(眠剤が手元にもらえるのは躁鬱と診断された不幸中の幸いかもしれない…)
【まぶしくてつらい】
もともと自分は眩しいのが苦手で、もしかして光過敏なのかな、と思っていたのですが、この時期また眩しくて目が痛くなることが増えていました。
サングラスも持っていたのですが、度が入ってなかったので、持っていたサングラスを度入りのレンズに交換しました。
(毎日子育てメインでほぼメガネ生活でした)
眩しくなるのは、体調が悪かったり疲れていたりする時のことが多いです。
自律神経を調節するのが苦手なのかな。
双極性障害にしろASDの方にしろ、私は脳に難ありですし、どこかが上手くいっていなくても不思議ではありません。
その他この2月は、子守りの隙間や息子が寝た後に、自分時間を少し持つことができました。
・『窓際のトットちゃん』を読んだ
→感銘を受け、子育てのお手本にしたいと思った
・実家のミシンを借りてベビー服をリメイク
→こういう楽しいって思える時間っていいなぁ、生きてる感じするなぁ
3月
【充実】
3月は、引っ越しを控えていたので『片付けの毎日』ではありました。でもその合間に友人と会ったり、2年住んだ街の風景を眺めてみたり、充実した時間も多く感じられた1ヶ月でした。
【胃カメラ】
夫の入学試験は不合格でした。
ちょうど夫の合格発表の数日前から、胃のあたりが痛くなりました。
半年ほど前のひどい腹痛と同じようなしんどめの腹痛です。
一週間しても治らないので、13日、人生初の胃カメラをしに行きました。
すると、神経性胃炎で、精神的なストレスが原因と言われました。
私はストレスの存在から目を逸らし続けていたんですね。
夫の受験について、「私は応援しているから(ストレスには感じていない)」と。
胃の痛みは、「夫(の受験)がストレスだと認めなさい」「キャパオーバーになっていると自覚しなさい」と教えてくれたようでした。
胃カメラには何千円もかかったし、自分の目でも確かに胃のダメージを見てしまったので、私はようやく「平気なフリ」を諦められたように思います。
面白いことに、胃カメラした後、途端にお腹痛いのが収まりました。
すっと痛みが無くなったのは、
「あぁ、お腹痛いのはストレスだったんだ」
と、分かったから。
「このお腹の痛みはストレスなのかな?それともほかに原因があるのかな?」という、悩み(=ストレス)が、吹き飛んだんですね。
しかし、お腹の痛みが治まった代わりに、今度は、「つらい」が増えました。
リズム表にも「つらい」の文字が多く書かれています。
つらくなったのは、今度は「どうやってそのストレスを無くすことができるのだろう?」と再び悩むようになったからだったのだろうと思います。
悩むことは、頭を酷使することで、つまり体にストレスをかける行為なのですね。
【精神科の転院手続き】
北海道へ引っ越すにあたり、2年間お世話になった病院は今月で最後でした。
診察の間、息子はおばあちゃんに預けてみました。
おばあちゃんもしばらく会えなくなる息子と遊べて喜ぶかなぁと思ったので…。
いつも通り3ヶ月分の薬(ラミクタールなど)と、紹介状を書いてもらいました。
前の心療内科とは違って、どこの病院にも出せる紹介状だったので、転院先を決めていなくても書いてもらえて楽でした。
紹介状は後日受け取りに行くということで、引っ越すまでに間に合うだろうかと焦ったのですが、間に合ううちに書いてもらえて助かりました。
この辺の時間も見越して行動するべきですね、また学びが増えました。
診察では、その頃は北海道へ移住した後の仕事をどうするか悩んでいたので、「どんな仕事がいいでしょうか」と訊いてみました。
すると、主治医は「前職を生かして…」や「ハードすぎない仕事」という感じでした。
薬局でも、今日でもう最後ということを自分から伝えてみました。
ラミクタールは取り寄せてる感じがあったので、もしかして私だけに準備してもらっている感じだったとしたら申し訳ないなぁと思って…。
精神科でも、薬局でも、「お世話になりました」と「ありがとうございました」の言葉を伝えられて、自分なりには、よかったです。
そして3月末、アパートから荷物を引き上げて、実家の物置に運びました。
息子を母に頼み、父には軽トラでの荷物運びを手伝ってもらって、3日かかりました。その間、過食具合がすごっ。
4月
いよいよ、我が家は海を渡りました。大好きな北の大地へ。
環境が大変化するイベントでしたから、しんどいな、と思うときも度々ありました。
でも北海道へ引っ越せる嬉しさとか、荷造りの楽しさとかがカバーしてくれて、何とか越えられたのかもしれません。
【薬の飲み忘れが多かった】
この月は5回もありました。
負荷のかかる時期を乗り越えたいときこそ薬をしっかり飲まなければならないのですが…。
【「もう勘弁してくれ」と言わせてしまう】
実家にいる間、何度か、私は余裕がなさすぎて気持ちが荒れてしまったり、イライラしたり(パニック症状っぽい)してしまうことが多くありました。
夫にそれをぶつけてしまうことも何度も。
目の前で人形を蹴り飛ばし、「もう勘弁してくれ」とを言わせてしまったことも。
ひとりで勝手に限界になって、夫を巻き込むことを繰り返してしまい、申し訳なかったです。
(後で考えれば、夫だって、相当にストレスを感じていたはずですから。妻子を抱えて学生を目指す重さみたいなものとか、私の実家に居候していることとか…。)
夫も大変な中で私の面倒も見てくれていたと思うと、改めて夫を尊敬し、症状改善の努力をしていきたい、と改めて思いましたね。
【ついに引っ越し】
私たちと車はフェリーで、荷物は引越し業者で北海道へ向かいました。
北海道に着いてから、荷物が1日遅れるトラブルがあったのですが、私たちは急ぎの予定でもなかったので特に支障ありませんでした。
むしろ、温泉宿にタダで泊まれて棚からぼたもちだなぁなんて思っているくらいでした。
たくさんの人たちの手を借りて引越しは無事に終わり、私たちの北海道での暮らしが始まりました。
5月
【頓服薬の量が多め】
気分の波のグラフのすぐ右脇にある、丸印した「ロ」と書いてあるマークは抗不安薬ロラぜパムを表しているのですが、5回以上飲んでいます。
気分の波はぱっと見全体的に落ち着いている感じもしますが、これは薬で波を抑えた結果と言えます。
頓服がなかったらもっと波が荒れていたかもしれません。
睡眠導入剤(眠剤)ゾルピデムについてもかなりの回数飲みました。
「眠くないから」というよりも、「よく寝たいから」という理由で飲む日が多かったです。
【生活のリズムができてきた】
北海道での暮らしの、1日のルーティンがなんとなくできてきました。
ちなみに下のような感じです。
朝:朝食→家事
AM:息子と買い物や公園へ
PM:部屋あそび→お昼寝→外出
夜:ご飯作り→ご飯→お風呂→寝かしつけ
気分の安定のためにも、生活リズムはなんとな〜く揃えるように意識しました(余裕があれば)。
【魔の3時間】
どこかで見かけた言葉なのですが、子育て中の夕方〜夜の時間帯のことを
『魔の3時間』と呼ぶそうです。
確かに、本当に、『魔』だと思います。
私はこの時間帯、余裕がなくなりがちで、バタバタしたり、イライラしてしまったり。
それに加えて息子がギャン泣きし始めると…もう😇!
魔の3時間には夫にも家事に全力参加してもらって乗り切っています。
【恐る恐るハロワに通う、悩む】
移住したらすぐハローワークに行く、と引越し前から計画していたので、ハローワークに行きました。
ハロワは、はじめてではなく過去に2市町村でも行ったことがあるのですが、ここは雰囲気がピリピリしていなくて、「やっぱり北海道は雰囲気がいいなぁ〜」と北海道愛がここでも増しました。フィルターかかっているかもしれませんが。
失業給付をもらいつつ仕事探しをし始めました。
求人票を見るとなんで鬱っぽくなるんでしょうね。
ハロワの空間が、脳に負担がかかるザワザワ空間だからでしょうか。
鬱っぽいから求人票を見てしまうのかもしれませんが。にわとりたまご。
【はじめての保活】
引っ越しが落ち着き、本腰を入れて市役所に通ったりしたところ、帯広の保育園はいっぱいという現実を知りました。
夫が無職じゃまず入れない。
お金がかかってもいいからと思って民間の託児所に問い合わせ・見学もしてみましたが、そこも同じく「共働きでないと難しい」とのこと。
この状況を知って私たちは、
「じゃ、無理して預けなくてもいいか」と、
『息子が幼稚園に入る(3歳)まで一緒に過ごす』ことにしました。
働くとしても、私がちょっとバイトをやったりして…。
この当時息子は一歳だったので、あと約2年…。貯金は…
…ギリギリ保たない…😇
【躁なのか?未来へのスイッチが入った】
私は、夢があります。馬がいる小さな森の宿をやることです。
この2021年5月の中旬、息子と少し遠出していた日のことでした。
たまたま「売り地」の看板が立っている森(林?)を見かけ、車を停めて、Googleマップで調べてそこに小川があるのも見かけて、
「いいな…欲しいな…」
と、本気で思ってしまって、
それから宿のことを考えてしまう毎日が続きました。
夢の妄想をしていること自体はそれまでの数年と大差無いかもしれませんが、
なんだか、今までと、現実感が違うのです。
「北海道の空気を吸っているからかな?」
「北海道効果、出るの早っ」
と思ったりもしていました。
躁のサインに思える行動(新しいことに手を出す、アイディアを書き出す、早起き、…)も実際ありました。
でもそれでいて、注意深く自分を観察していかないとなぁと考えることもできました。
「もしかして躁に足突っ込んでいるのか?」とモヤモヤしつつ過ごし続けたところ、結局はこのあと本格的に躁エピソードに突入することはなく、大丈夫でした。
夢や家族への愛がありすぎるから、逆に、自分を厳しく守ることができた。
愛は地球を救う、みたいなのでいうと、愛は自分を救う。
…のかもしれませんね。
保育園もしばらく預けられなさそうだし、〈息子がどこかに預けられるようになるまでに備える期間にしよう〉と思うようになって、
一年前の2020年4月から続けていた朝活の時間に、YouTubeを観て刺激を受けたり、師匠のところに通っていた頃の馬ノートを読み返したり、を始めました。
やりたいことができると、背筋がしゅっとするものなんですね。
6月
過去の躁エピソード(彗星になったやつ)は、4年前の7月でした。夏です。
あの時も北海道に住んでいて、緑が美しく世界に光が溢れるようになる季節。それに合わせるように私の心も眩しく光り、ついには彗星になってしまった…。
なので、もう夏が始まりつつあるこの6月は、かなり躁を警戒して迎えました。
理由は、子供がいるおかげとも言えます。
【朝活は躁?】
今月も、毎朝5時台に起きて、朝活をほぼ毎日続けられました。
もし朝活が躁由来の行動だったとしたら、私は双極性障害Ⅱ型で躁(軽躁)は4日くらいなので、続いてもせいぜい一週間くらいではないかと考えています。
もし躁由来の早起きだったら1ヶ月以上も続かない。
朝活は躁でやっているわけではないと判断しました。
途中、朝活がしたくて、息子ができるだけ寝てて欲しすぎて、夫の賛同の上で遮光カーテンを購入。
こんな感じで、ちらちら躁の芽かも?が散見はされていました。
【夫が毎日家にいる】
この6月は、コロナの緊急事態宣言が北海道で20日まで出ていました。
一年前くらいから、夫が休日で家にいると鬱っぽくなる『土日鬱』の現象で苦しんだ経験があったので、「夫が毎日家にいるようになったら鬱になるのかな」と思ったのですが、極端に激しい波はありませんでした。
それで気づきます。
おそらく私は、夫がいるのがストレスなんじゃなくて、『夫がいる日/いない日が切り替わるとき』(環境の変化)にストレスを感じやすいのかもしれない。
双極性障害の人は同じような毎日を繰り返すことが、気分の波の安定に大事、と言われるけれど、自分が自覚すらしていないここまで小さな変化にも反応してしまうとは。ちょっとびっくり。
【そのほか】
6月のこまごましたことでは、
・直売所に毎週のように野菜をたっぷり買いに行く
・部屋のクワズイモに花が咲く
・食器棚をDIYする
といったことがあり、充実感がありました。
7月
荒れ気味でしたが、躁になるのも鬱になるのも『エネルギーが不安定』ということでは一緒なので、予想は当たっていたとも言えるでしょうか。
【しんどめ】
メンタルが荒れてしまう、どうしようもなく息子や家事へイライラしてしまうのは、昼寝していないときが多いように気づきました。
「疲れるとやっぱダメだ…」
「こんな風に息子にイライラしたくない。イライラ育児をしてしまう自分が嫌」
そこで、
「昼寝してメンタルを保とう」
「頑張って息子を昼寝させて、私も一緒に寝るぞ!」
と考え、寝れるチャンスがあったら少しでも多く寝ることに全力でした。
しかし、悲しいことにこの「なるべく昼寝する」という頑張りが、悪循環を生んでしまったようです。
昼寝してメンタルが落ち着くのは一時的で、イライラ育児は相変わらず続きました。むしろ、ますますイライラ育児になっていってしまっている感じがありました。
(※2023追記:去年のレポートでも同じ状況でした。学んでいない…しかも繰り返していることにも気づいていない…🤣)
引っ越した地域には公園がたくさんあって、しかも充実していてデザインもかわいい。
おかげで、コロナ禍でしたが毎日違うことをして過ごせて、本当にありがたいと日々感じました。
8月
【北海道なのに暑すぎ】
あついあつい言いながら過ごした8月でした。北海道ってこんなに暑かったっけ…?
【昼寝の悪循環から抜け出す】
きっかけは11日の精神科の診察。その日は、たまたまいつもと違う医師でした。
手持ちの頓服薬(抗不安薬ロラぜパム、入眠剤ゾルピデム)が少なくなってきたので多めに出してほしい、とお願いすると、ただ薬を出すのではなく、どんなふうな症状なのか訊いてくれたのです。
中途覚醒とイライラの症状があると伝えると、「何か対策とかしていますか?」「原因の心当たりはありますか?」「昼寝はどれくらいしていますか?」とさらに深掘り。
こんなに丁寧に訊いてもらうのは、かなりかなり久しぶりだったので嬉しく、この医師への信頼も高まりました。(内心、いつもの主治医ではなくこの医師に診てもらいたいなぁと思ったりもしましたが、残念なことにことにあれ以来診てもらうことはまだ無いです。)
私が答えたのは、うろ覚えですが、
・対策はなかなか…
・育児で疲れているのかも…
・昼寝は1〜2時間しています
という感じでした。
すると、次のようなアドバイスがもらえました。
一見、みんな知ってる、当たり前すぎるアドバイスのようなことですが、私にはすごく効きました。
昼寝がダメという訳ではないですよね。
何事も、やりすぎは良くない、のです。
昼寝を15分にするのは、やってみるまでは「夜まで体力が持つんだろうか」と不安でしたが、
早速、昼寝を15分(ちょっと甘えて15〜30分)にしてみると、数日後には効果を実感しました!(←何かの広告みたい笑)
不思議と、夜になっても体力気力は残っているし、夜もほんとに眠れることが増えました。
リズム表を見ても、診察を受けた11日以降、頓服を飲む回数が激減しています。
『昼寝15分』続けられるといいなぁ。
【イライラ育児の見落としていた問題】
イライラ育児への悪循環を加速させていたのは、Youtubeの見せすぎがありました。
息子が泣いたとき、家事をしたいとき、自分が昼寝したいとき…。ほいっとYoutubeを見せていたのですが、当時息子は1歳児でしたが一回につき1時間を超えることも。
本当に助かったし、Youtubeがある時代で良かった…と何度も思いました。
(ちなみに、この当時息子が好きなのはしまじろうでした。)
Youtubeでハッピーをもらっている一方、「こんなに見せていいんだろうか…」とモヤモヤも増えていました。
見せれば見せるほど、「はい終わりね」と切ったときの、ギャン泣きが確実にひどくなっている…。
動画の途中で広告が入ったり、動画が終わると、しつこくせがんでくるから、家事の手を止めたり、寝ようとしても起きなければならなくなって結局イライラ…。
なんかおかしい、依存症みたいだ、と気づき始めました。
いや、依存症が始まっていたと言えるでしょうね。息子も、そして私も。
Youtubeを見せすぎちゃダメだとは思っていたのですが、観せてしまっていたのは「YouTubeを活用していてもギリギリ育児なのに、YouTubeを見せないようにするなんてできない…」と思ったりしていたからです。
一年後の、これを書いている2022年5月では、Youtube問題はかなり解決しています。
当時と同じように1時間見せて、私はその間昼寝したりしていますが、Youtubeをめぐってイライラすることは激減しています。
Youtubeも見せ方次第なんだと思います。今は身近に息子の遊び相手が少ないので、やはりYoutubeはありがたいです。
「やりすぎない。やらなさすぎない。
コツコツと、少しずつ、という初心に返って、毎日を過ごしていきたいと思います。」
9月
波の原因は、
・薬(ラミクタール)の飲み忘れ
・雨の前(気圧?の変化)
・夜泣きで寝不足
・体調不良
・悩み(就職関係)
といったことでした。
【謎の肩の痛み】
気分の波には大きく影響しませんでしたが、寝違えた感じに似ている痛みが、9月中ずっと続きました。
首なのか、肩なのか、肩甲骨なのか、位置ははっきりしないけれど、右を振り返る動きをすると、ビリッ!🤣
マッサージをしてもらったり、湿布を貼るとむしろ悪化…。
もし病院や接骨院に行ったとしても湿布をもらうだけだろうと思って(正しいかどうかは分かりませんが)、病院には行かず、軽くストレッチをしたりして誤魔化しながら過ごしました。
月末にはいつの間にか治っていたので、良かったです。
10月
2回大きく波が立ったときがありましたが、原因は、
・悩み事があって脳が疲れてしまった(仕事をどうするか一週間考え通しだった)
・PMS(生理前症候群)
【就活失敗談:転職エージェントと話を進めてしまった】
結論を先に言うと、『夫の試験結果が分かってから就活を始める』という方針になりました。
当時、仕事を選ぶにあたって、当時の私は次のようなことを考える必要がありました。
めっちゃ条件いっぱいで、上記の点を満たし、かつ続けていける仕事は…と思うと、果たしてあるんだろうか…。とちょっと絶望感みたいな方向に引っ張られました😇
私は鬱になったときなのか、ただの周期なのか、たまに「仕事どうしよう」と考え出す日があります。
求人票をなんとなく見ていたら、酪農で日勤の仕事があり、場所が詳しく書いていなかったので場所だけを問い合わせるつもりが(北海道十勝だと同じ市町村内でも通勤時間が大きく違ってくるため)、応募みたいな感じの流れになってしまい、私もすぐ断ればいいのに流されて話がだいぶ進んでしまいました。
私もだんだんアリかも?と真剣に考えるようになり…。
この行動は失敗だったと思っているのですが、いろいろ迷走した結果、収穫もありました。
・酪農でも休みやすい職場が存在する(たとえば仔牛の預託牧場のパート)
・認可外保育園ならいつでも比較的入れそうだ(※後に共働きでないとムリと知ります)
・夜勤のような、リズムが大きく変わる仕事でなければなんでもやっていい(主治医より)
自分は『緊張と不安』の症状が出やすいと思っているのですが、気持ちばかり焦って決断しようとしてしまったのは危険だなと改めて思いました。
こういうとき、パートナーはブレーキ&判断の軸になってもらえるので躁鬱の私には本当に有り難いです。
保育園についてですが、自分がフルタイムで働くのが現実的に理そうなので、もう保育園に預けるという選択肢はないのだと諦めていました。
一応出していた、市の保育所の入所申込みの結果が送られてきて、やっぱりダメだったのですが、嬉しかったことがありました。
障害者だと保育園に入る審査の点数がフルタイムで働いている人と同じになる(!)らしいんですね。
ありがたすぎる…😭
もっと前に市役所にちゃんと確認しておけばもっと早く知れたことではありますが。
これで、少なくとも夫が学生になれば、保育園に預けられる可能性が高くなると分かり、ホッとしました。
11月
11月は、息子の入院や、実家への長期帰省という、精神的な負荷が大きいイベントがあった月でした。
時々鬱っぽくなったり、イライラしたりしましたが、一晩くらいで戻れていました。
【成功体験:送信取り消しして、セーフだった夜】
息子の入院中、手術が終わった夜のことです。
私はいっぱいいっぱいだったのか、手術が無事終わって緊張が解けたからか、イライラが限界突破してしまいました。
病室で、息子のお気に入りの人形を壁に投げつけたり、雑誌を破ったり…。
ちょうどその日、母がLINEしてきた一言でモヤモヤしていました。
母は軽い冗談だったのかもしれませんが、私は冗談を判断することが苦手で…「なんて返事したらいいんだろう」「バカにされているのではないか」と、母の言葉がかなりストレスに。
頭から離れなくなってしまい、楽になりたくて、姉に「相談したいことがある」と助けを求めました。
「どうしたのー?」と訊いてくれた姉に、状況を一度送ってしまいました。
しかし、自分の行動にものすごい違和感を感じました。
そこで、姉が読む前にさっきのLINEの送信を取り消しました。
この行動は、正解でした。
私の気分の波の中に、他の人…特に、優しい姉を巻き込まなくてよかったと本当に思いました。
私は過去、こういう違和感をスルーし続けて失敗を重ねていたので、今回、自分で舵を取って波に他の人を巻き込まずに済んだことが嬉しかったです。
今回は運良くセーフでしたが、これからも小さい違和感で立ち止まれるようになりたいです。
【イモと糖質について】
砂糖は、うつ薬だと思っています。
なので、砂糖のように血糖値を急に上げる炭水化物は、なるべく減らそうと思っていました。(と、意識していても、やはり食べてしまう時の方が多いのですが。)
でもいっぱい食べてしまう中で体感してきたのは、同じ炭水化物でも、かぼちゃやさつまいもは鬱になりにくいかも?ということ。
食物繊維が入っているからでしょうか?
【うつのサインの新種を発見】
それまで私が『自分のうつのサイン』だと思っていたこと以外にも、『過去の苦い思い出が浮かぶ』ことはうつのサインかもしれないと思うようになりました。
過去の苦い思い出の代表的なものは、鬱で退職した元会社や牧場での出来事です。
だからもはやそれらの記号への共感は要らないのかもしれない、と思い始めています。
ただなんか脳が反芻しすぎて、そこの回路(シナプス?)だけめっちゃマッチョになってることで起きている現象。
その苦い記憶が沸いたら、つまり鬱のサインが出たらどうしたらいいか、と考えたのですが、そのときには瞬時に他のことを考えるのが良いのかなと思います。
自分の思考をズラしていく作業を淡々と続けていく。
そのうちに脳の中のつながりが自然に変わってゆくイメージで。
サインは、自分が思っているよりすごく小さい。
12月
先月の末から実家に息子と帰省してから、12月は、丸々実家にいました。
生まれ育った家族とはいえ、ストレスフルなのが予想されたこの12月。
人間が多い空間、息子の世話に加えて、元気すぎる子供たちの子守り…。
帰省するときは、それらを直視すると鬱になりそうだったので若干目を逸らしながらでしたね(笑)
やっぱり、参った〜つらい、と思ってしまう日も何日かありました。
一回くらい本当に参ったとき、夫に会いたいな、と思いました。
自分的にすごいと思ったのは、精神面を落ち着かせるための頓服薬(抗不安薬ゾルピデム)を一度も飲まなかったことです👏
薬を飲まなくても、自分の行動をひとつ変えれば波を回避できるんだ、と自信を持って言えるようになってきました。
収穫のもう一つは、ストレス源と思っていた『人がたくさんいる』ことには、やっぱり消耗する一方、良い面もあるなと気づいたこと。
悩む時間が無くなるというか、自分のエネルギーがいい感じに分散されて、波にならない感じ。
実家にいると、作らなくてもご飯が出てくる日も多く、楽でした。
あと毎日湯船に浸かれるのは最高だなぁと思いました。
【息子、はじめて預けられる】
実家にいる期間、息子を託児所に預けることもしてみました。
(コロナ禍のため2週間待機してから)
保育園も行ったことのない息子にとっても預けられるのは初めてのことでしたが、いとこも一緒だったということもあってか、2週目くらいからは泣かずに普通に通えるように。
先生たちもとても親身でありがたかったです。
近々保育園に預けようと思っているので、とても良い練習になったように思います。
2021年まとめ
一年を通して、何日も鬱が続くとか、躁が続くとかがありませんでした。
なので、自分的には2021年はだいたいOK!にしたいと思います。
ときどきはヒヤヒヤする出来事もありましたが、人間関係が崩壊することもなく、セーフでした。
まだ生きていられていることが本当にありがたいです。
居心地いい場所に住んでいるだけで、精神的にも落ち着いていく気がします。
大好きな北海道に引っ越して、本当に良かったです。
これからも、躁と鬱の波を激しくしないために、双極性障害の自覚を忘れずコツコツと症状改善に努めて、自分を気遣いながら生活していきたいと思っています。
最後に、いつも、こんな不安定な私を認め、生きづらさのサポートをしてくれ、そばにいてくれる夫へ改めてありがとうを伝えたいと思います。
そして、この記事を読んでくださった全ての方に感謝申し上げます。
双極性障害の私はこんな風に生きています。
お読みくださりありがとうございました。
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