考える人〈Thinker〉を仕事にしたい
僕は考えることが好きだ。
本を読んでもニュースを見ても新しい情報に触れれば、また新しい考えが沸く。人の話を聞くことも好きだ。特に他の人の仕事の話など、自分ではきっと体験できない話が聞けたときはとても幸せな気持ちになる。
また、今の時代はSNSにより情報が溢れすぎていると危惧する人達もいるが、正しい情報か間違った情報かをひとつひとつ考え、検証する機会をもらえたと思えば僕は何も困らない。
僕は情報や選択肢は多ければ多いほどいいと思っている。情報が多くて混乱する人はきっと正解だけを知ろうとしているのではないだろうか。
例えば、同じテーマの記事で内容が真逆の事が書いてある2つの記事に出会った時には、間違っていた方の記事からはどこが間違っているかを考える良い機会をもらえたと思うこともできるし、根拠の無い少し悪意を感じる記事や、詐欺のような勧誘のフレーズを見たときにも、『人の考えを傾かせるうまい文章だ。』と学ぶ事もできる。
結局、情報はその後の使い方だ。いらない情報なら最終的に捨てればいいだけだ。でもその情報に触れていなければ、学ぶどころか考えることすらできない。
と、僕はこんな風に常に情報と考える機会を求めている。
ロダンの考える人のようなポーズは取ったことはないが、僕は常に何かを考えているし、考えることが好きなので、『考える人』だと思う。
この『考える人』を職業っぽく言うと『思想家』になるが英語で書くと『Thinker』なので直訳すると結局『考える人』に戻る。
今まで僕は一人で『考える人』だったのだがnoteというサービスに出会い、今まで経験したことのない量の人の考えや文章に触れ、膨大な情報収集を可能とし、アウトプットすることにも挑戦できた。
『考える人』から一歩進んで『考えて少しアウトプットする人』になれた。今の状況がとても有意義で楽しい。だからこれが仕事になればもうこれ以上にない幸せだろうなと思うようになった。
だが、現在は職業として思想家と名乗る人はなかなか見かけない。もちろん考えているだけでは仕事にならないし、思想家という響きがあまり良くないのかもしれない。
思想家とは名乗らないが、実際は自分の考えをアウトプットする事を職業とする人たち、つまり『考える人であることが仕事になっている人』達がいる。例えば、哲学者だったり心理学者や評論家がそうだと思うし、エッセイスト、作家、コメンテーターなどもそうだと思う。
この人たちは自由に『考える人』でありながらそれ自体を職業にしている。生粋の<Thinker>だ。子供のころには『考える事を仕事にする』楽しさなんて気が付きもしなかったが、今はこの人達に本気で憧れている。
noteのおかげでいつでも文章を書くことができるようになり楽しみが増えた。そして30代で新しい夢ができた。それは、
『お仕事何をされているんですか?』って聞かれたら、
『Thinkerです。』と言えるようになること。
誰も使ってない単語なので何を言っているのかすぐには伝わらない…いや、もしかするとずっと伝わらないかもしれないが、いつか自分の『考え』が人の役に立てるようにこれからも少しずつアウトプットしていきたいと思う。
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