42夜 なんのための教具なんだろう
東京都世田谷区教育委員会が昨年,児童生徒の学習用デジタル端末の検索履歴を学校側が閲覧できる機能の活用を検討し,区議会で「検閲のようだ」との指摘を受け撤回していたらしい.不適切サイトへの接続を防ぐフィルタリングソフトに備えられた機能で、販売元によると、このソフト自体は昨年9月時点で全国の市区町村教委の4割以上が導入しているとの事.世田谷区教育委員会などによれば,昨年6月の区議会文教常任委員会で,児童生徒に配布された端末に関して,一部の区立小中学へのソフト導入方針において,子どもがネット検索する際に使われやすい言葉を教育委員会で集計や分析をする目的で,検索履歴の閲覧機能も利用すると説明したもよう(2024年2月26日中日新聞朝刊より).
確かに,組織が個人の情報履歴をむやみに閲覧したり分析することに対して「検閲」という言葉で指摘する事には一理あるだろう.もちろん,これらに関しての許諾はとっているだろうから,法律上の問題云々は抜きにして考えることになるわけであるが,この件に関して「検閲」という言葉は相応しい言葉なのだろうか.そもそも,教育用端末やそのシステムは何のために導入されたのであろうか.
教育用端末の導入は,情報端末がやがては筆記具と同様に学習ツールとして日常的に当たり前のように使われるようになるという前提で,ツールとして使いこなすことや,これにより情報の扱い方に習熟することが求められたからである.私たちが普段使用している携帯情報端末においても,日常提起に,改善事業者やプロバイダ,コンテンツ提供事業者などが利用者の使用履歴の提供を求めたり,利用の前提条件としてログを吸い上げたりしていることに対して,誰も「検閲だ!不当だ!」ということを声高に叫んだりしていない.
この問題については,教育委員会や学校が児童生徒の検索履歴をどのように活用するかということが定まっていないために,どうしても多くの人が検索履歴の閲覧に対して懐疑的になってしまうということが問題を複雑にしてしまう要因があると考える.
そもそも,検索履歴の利用目的は,おそらく以下の2点になると考える.
1.検索履歴は,評価のための情報のひとつである.
2.検索履歴は,個人の学習以外の問題をとらえる手段のひとつである.
教育用ICTによる教育効果測定は数十年にわたり,多面的に研究されてきたのであるが,これらを活用したからといって劇的に学習成果があがるわけではないことは明白である.しかし,活用しない場合との比較では,種々の教育場面でプラスの成果があることも明白である.だからこそ,授業者の利活用意図をはっきりさせることが重要であり.でなければ,子供は授業目的とは異なる使い方をし始めてしまう.教育に関わる多くの人たちは,検索履歴を児童生徒の評価にどう結ぶ付けるかという課題に対して明確な答えをもっていないだろう.また,検索履歴を生徒指導や生徒理解のための手段として,どのように活用すべきかという課題についても,明確な答えをもっていないに違いない.たまたま,検索履歴のチェインがマインドマップ的に見えた場合には,学びの深まりを測定するためのツールとなりうるだろうが,常にそれが可能であるとはいえないし,「自殺」や「つらい」といった履歴から,その子の心理状態を把握する材料となるケースもあるだろうが,それらもたまたま見つかるに過ぎない.つまり,私たちは,1についても2についても構築された理論や教育への活用法を見出してはいないのが,現状であると考える.
この問題にアプローチするためには,検索履歴に対して少なくとも多くの知見を集めて,教育実践を積み重ねる中で,どのようにするかを科学的に明らかにする必要がある.「検閲」という言葉でひとくくりにしてしまうのは,個別最適化教育をすすめるために,「検索履歴」がもたらすかもしれない「教育効果」や「子供理解」をつぶしてしまいかねない.
私たちは,「予測不可能で答えの定まりにくい未来」と将来を位置付けるくせに,未来を託すための現在の「教育」には,新規性を求めたがらないのが,現在の私たちなのだろう.教育に再現性がないからこそ,教育方法の試行錯誤が必要なのだが,どうも身近には「従来性」を求めてしまう.