ものすごく手探りな人生
こんばんは。とばけんです。
来年の4月で理学療法士も4年目になりますが、ここではこれまでで気づいたことを書いていきます。
※この記事の内容は中傷するようなことではなく、あくまでも個人としての内容です。ご了承ください。
1年目(クリニック勤務時代)
ガムシャラに突き進んでいた1年目。休憩中や業務後の勉強会に積極的に参加したり、勉強会に出席していた。言われた業務を当たり前にこなして毎日寝に帰る日々。勉強会で学んだことを臨床の現場で活かし切れていない感じが凄いあり、自分の出来なさ加減に呆れていた。入職一ヶ月目で今後の生活に不安を抱くようになった。
2年目(クリニック勤務時代)
勉強会で学んだことを臨床の現場に生かそうと頑張った。でも日を重ねて行くにつれて、それが患者さんの本質に沿った治療を提供できているのか?疑問を抱くようになった。今は入谷式測定版、ボバースや筋膜リリースなどの様々な手技が有るが、その技術を習得するためには長年に日を必要とする。クリニックに通院して頂く時間だけでは、治療効果を出せないためセルフエクササイズを指導して行ってきてもらう。
身体評価→治療→判定
学校で嫌なほど教え込まれてきた。その重要性は分かる。もちろん瞬時に効果が出れば、患者さんを治すことができたと言える。(僕にはできなかったけど)だから、セルフ指導してやってきてもらうのではないだろうか。
でも、リハビリを頑張っているのはあくまでも患者さんなのに、何故その頑張りを認めてあげないのか?疑問に感じた。
リハビリは人の役に立てる仕事だ。だからこそ、もっと人に寄り添う必要はあるのではないか?
エビデンスに基づいた治療はとても大事だ。少しでもよくなる方法があればもちろん取り入れる手段は他にない。
だけど、貴重な時間を割いてまで足を運んで頂いているはずなのに、症例検討や研究発表のあくまでも「症例」としてみられてしまう。上司からは症例数を積んだ方が自分の経験になるからと言われる。
いくら多くの人を担当させて頂いても僕にとっては苦痛になってしまった。
だから転職をしようと決意した。理由は2つ(ネガティブだけど)
1つ目はシンプルでその職場に理想とする人がいなかったから。休憩中の会話のほとんどがネガティブな発言。自分の考えもにがティブになっていき、自分は何のために働いているのが分からなくなってしまった。(環境に探されやすいパターン)
もう1つは自分にとっては激務で、体も心も壊れてしまう気がしたからだ。当時の僕は自分の出来なさを周りと比べてしまう傾向があり、結構うつ状態になっていた。(周りに上手く甘えられないパターン)
なので、休憩中の読書本の傾向がかなり変えた。医学書から自己啓発本を職場近くの喫茶店で読むようになった。「辛い出来事が起きる=マインドを変えれば何か変わる」と思っていたがその時は全然変わらなかった。
世の中はものすごく不平等。出来る人・出来ない人もいる。でも出来ない人でも工夫していることはある。けど世の中はそんなに甘くなく「結果」として見られてしまう。頑張る目的が異なって例え目標がブレても、その頑張りは決して無駄にはならない。そう胸を張って言える。
次は3年目の経験に関して書いていきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?