モラハラ環境に気づくまでに過ぎた27年
※いまモラハラ親に苦しんでいる方は、もしかしたらさらにトラウマを開けてしまうかもしれません。元気のある時にお読みください。
私の育った家はモラハラ家庭だった。
物心ついた頃から、母に父の機嫌を取らされていた。
もし、同じ状況にある方なら
この事実だけでもうわかってもらえるかもしれない。
私は父に反抗したくなると、まず母にその怒りをぶつけ、一度確認を取る。
「これを全部お父さんに言ってやる」
すると母は、それはやめてという。
そうしたら少し、私の怒りは落ち着く。
母を困らせたくはないから、やめておこうと思える。
実際は、話が通じない父に気持ちを話して、
機械のように否定されるのが怖い。
あー、私の勇気は無駄だったんだー
そう思いたくないんだ。
27年間、これが普通だと思っていた。
母は子と父の健全な関係を築く機会をことごとく避けさせた。
それは、母なりの生存戦略だったのだと思う。
子がお金に困らずに、やりたいことをやって生きていくためには、自分が我慢するしかないと。
そうして夫と向き合うことを諦めた。
私は自己犠牲をして偉い。いい母親だ。
多分そう思っている。
子供の感情を押さえつけていることを
見てみぬフリをして。
父も父なら母も母。
こうして私は両親がいながら、母としかコミュニケーションできない世界を生きてきた。
多分こう言うと、母はごめんねというだろう。
今からでも語り合いなさいとも言うかも。
でもお母さん。それもまた虐待だよ。
ずっと、殴られない私は機能不全家族ではないと思っていた。虐待児にあてはまらないと思ってた。
殴られているなら怒って当然だし、
親を嫌いになってもいいだろうけど、
私はそうじゃないから。
自分のことを一方的に親を憎む悪い人間だと感じていた。
これまで進学を機に離れて暮らしていたが、
あるとき、期間限定でまた実家に住むことになった。
覚悟を決めて大きなスーツケースをもち
実家のドアを開けて。
それから数ヶ月はうまくやっていた。
自分の中にいる感情を殴って寝かせて、
最低限の会話でなんとかしていた。
でも実家生活が残り2週間を切ったある日。
突然父が死ぬほど怖くなった。
私が寝起きする部屋の横にはベランダがあり、
父はそこでタバコを吸う。
実家に暮らし始めて数日した頃、
夜遅くまで起きて通話をしていると
父が執拗にタバコを吸いにくる気がした。
きっと気のせいだろうけど。
そしてその日は、通話しながら
色々あって泣いてしまっていた。
でも、人間なんだからそんなこともある。
次の日、お前も大変なんだなと
ぼそっと話しかけてきた。
私にはそれが、監視しているぞ。聴いているぞ。
としか聞こえない。
父は一枚のドアの向こうで
私の会話に耳を澄ませていた。
震え上がる恐怖でいっぱいだった。
そしてその盗聴を、
我が子への心配(正しくは我が子に寄り添う良い父親の俺、への陶酔感)でやっているので
父には全く罪悪感がない。
というか、無性の愛をくれる娘は、
父にとって手軽に自尊心を満たせる存在。
だから、モノやお金で気を引かれて、
離れないようにされていたんだ。
たぶん私はずっと、なんの見返りがなくても
父はいつか私を愛してくれるだろう、
変わってくれるだろうと思ってた。
でも人生そんなに甘くない。
だからいちいち傷ついていた。
あー、私、買われてたんだ
無意識のパパ活に絶望。
確かに父には友達がいない。
本当にそんな些細なことで、
自尊心が傷つけられていくのを感じた。
私がいらないと言ったシュークリームを勝手に買ってきて、賞味期限が切れそうになると
「早く食べないと捨てることになる」
笑顔でそう言って追い詰めてくる。
私はシュークリームを望んでいないどころか、
断っていたはずなのに。
実家にいるだけで、そんな呪いが毎日続いた。
そして実家をもうすぐ離れられると認識した瞬間、
これまでのさまざまな恐怖体験が襲いかかってきた。
父が階段を登る音が怖い。
父に話しかけられるのが怖い。
今までの人生、さらにグロテスクなモラハラ体験も
それは山ほどあるが、傷つくので書けない。
というか、もし父がこれを見たら、
私を殺しに来るのではないかと思う。
自分がすごい人間で、立派な人間であることが
父の世界の中でもっとも重要なことだからだ。
どんな些細なことでも、
自分が正しいことを認めさせたい。
自分の存在を正しいと思うために、
子供や妻を利用して生き延びている父。
どんなに寂しい人間なんだろう。
でも、そこに同情する必要はないと、
全てのモラハラ親を持つこどもに伝えたい。
私は正直、父が怖くて
結婚や子供を持つことに恐怖を感じていた。
そしてそれは絶対におかしいと、
ギリギリ自分で気付くことができた。
もし同じ気持ちの人がいたら、
一生そのモラハラ人間に会わなくてもいいから、
自分は親と絶縁して親不孝だ、悪い子だ
って絶対に思わなくていいから、
自分の人生を生きてほしい。
もう親が死んでいて、何も言えないなら
わたしは今どんな選択をするか?
それが本当のあなたの気持ちだ。
仮にもう会わない、親は会いに来れないと
わかっていても、怯えてしまう日もあるだろう。
でも、私には私がいるし、あなたにはあなたがいる。
うまく言えないけど、
ここまでなんとか生き延びてきた身体があって、
心があるんだ。
それを頼りにして、自信をもって。
毎日を健やかに生きていい。
湧き上がる感情に良い悪いはない。
親が死んだらいいのになー
親を殺したいなぁ
思うのは悪いことじゃない。
たとえ、たくさんお金を使ってくれたとか
健康に育ててくれたとか。
そんな事実があっても。
ポジティブな事実を考えにいれるなら、
ネガティブな事実も同じように考えないと
正しく評価できないもんね。
これは会社だと思ってみたらわかりやすい。
自分がたとえば親の上司で、
査定で評価する必要があるとき、どう思うか?
こんな感じで、客観的に見てみると
もう少し楽に生きられるようになるかも。
ちなみに、モラハラの人はほとんど
自己愛性パーソナリティ障害を持っているらしい。
自分をすごいとか、立派だとか思っていないと
不安でしょうがなくなってしまう脳の仕組みだ。
多くは幼少期の影響みたい。
あなたがこれを知って、病気の人を嫌いだと思うのはダメなことだ!とは思わなくていい。
この客観的事実を知って、
ああ、仕組み的に話が通じないんだなーって
そう考えることで少しでも楽になればいい。
もし今これを見てくれていて、
年齢が若いとか、様々な制約があって
まだ実家から出られない人は、
自分から出てくる親への負の感情を認めるだけでもかなり進歩すると思う。
あーまたなんか言ってるなー
それくらいに思って、
自分で家を出られるときまでとにかく生き延びよう。
世界は広くて、面白い人も最低なひともいろんな人がいる。
あと、モラハラ家庭で育った人はそういうパートナーを選んでしまう、または自分がモラハラになってしまうというのがあるらしいけど、
気をつけていれば、きっと大丈夫だよ。
わたしもまだ逃亡の途中だけど
絶対に自分の気持ちを自分で選べるようになる。
がんばるよ。
長くなったけど、記録として残しておきます。
とばば