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綿野恵太『「逆張り」の研究』メモ

今週末の金曜日に、綿野恵太さん、韻踏み夫さん、てーくさんを招いたクロストークが福岡・とらきつねで行われる。このイベントの登壇者の共通点は、生き辛いレベルでマジメということだろうか。(こんなことを言ったら身も蓋もないのだが。)さらに、社会正義にピンとしないものを感じており、社会から逸脱した人に親近感を覚える人たち、というところだろうか。

このイベントを前に、今年出た綿野さんの新刊『「逆張り」の研究』の気になるところをメモしてみた。以下のメモが気になった方は、ぜひ当日、会場にお越しいただきたい。ある種の鋭さを持った人たちが集う時間ですから、刺激を受けないということはないと思います。

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カリスマや指導者といった「上」からだけでなく、「類友」の「内輪」という「下」からも「この道しかない」の「絶対主義」はやってくる。

自分と似たようなものしか、セキュリティを通過できない(自分の考えの正しさを確認することを何度も何度もくりかえしている) この背景には、政治的な立場が異なるだけで対話不可能な「敵」とみなす「政治的部族主義」

どうも自分の「常識」は正しかったという安心感を、「勇気づけられる」と表現する人が多い気がしている。

敵/味方、善/悪という二項対立の世界観そのものを批判することは、ポピュリズムにとって「敵」以上の「敵」になる。

いまインターネットでは「批判」の価値はどんどん暴落している。敵を矮小化して、道徳的な悪と描いて、知的に愚かだと周りに印象づける。そして、罵詈雑言や誹謗中傷でコテンパンにやっつけてみせる。それが批判だと思われている。

実現する可能性がほぼないと分かっていても、チャレンジはできる。だから、悲観的に考えて、楽観的に行動する、というのがベストである。

「政治的部族主義」によってぼくたちは政治的な立場の異なる人間を「敵」とみなして、その言動をすぐに疑ってしまう。/都合のいい物語をつくるために、あらゆるものを疑っている。/複雑な世界を単純化して、物語に合わせて捻じ曲げていく。「真実はいつもひとつ」ではなく、「物語はいつもひとつ」

学校教育は内面や人格にまで踏み込んでくる。/社会にうまく適合できるように、道徳的なふるまいができるように、人々の行動をコントロールしようとする。/ほかに選択の余地のない選択を、あたかもみずから自由に選択したかのようにする。

批評が相対化するときに「大衆」がよく持ち出される。インテリたちがさまざまな主義主張を闘わせているときに、批評家は「おふくろ」(小林秀雄)や「魚屋のおっさん」(吉本隆明)といった「大衆」を持ち出して、議論のテーブルをひっくり返してしまう。

「傷ついた」という(反論不可能な)「身体的な体験」を他人が解釈すれば、ハラスメントだと言われる。「傷ついた」かどうか決めるのは当事者だし、その解釈ができるのも当事者だけ/周りの人間に許されるのは、「共感」や「同情」を寄せることだけだ。そこに感情を動員するポピュリズムが組織される

最近のインターネットの学級会は「傷ついた」という「身体的な体験」に基づくポピュリズム(リベラル)と、不都合な真実を暴露する「エビデンス主義」(アンチ・リベラル)が互いに争っている。そして、どちらの陣営からも「批評」や「ポストモダン思想」は嫌われることになった

近年流行した思想や運動の特徴は、「(メタに対して)ベタ視点に立つための、同一化ゲーム」と言える。「当事者研究」や「聞き書き」「社会学」といった「当事者」の声がそのまま反映されたような言説がもてはやされる。

メタ視点から状況を俯瞰する「理論」や「観念」は「言葉遊び」として嫌われ、距離をとること自体が「傍観者」や「冷笑主義」と非難される/精神的な距離の近さが競われ/当事者に感情的に同一化/「理論」に基づいて行動する「党」は存在せず、「感情」を「動員」する「党派」(部族)だけがはびこる

「寄り添う」「心を寄せる」
当事者に精神的に近づくことを競い合っている

このような「反論不可能」な「身体的な体験」も相対化できるのでは 
⇒「笑い」

ツイッターが社会を変える方向に徐々にシフトしていくなかで、はるしなくんは自分を変える方向にどんどんと尖鋭化していった(ようにぼくは思う)

*『「逆張り」の研究』には、はるしにゃんとの思い出が綴られており、かつての友人であった著者は「はるしなくん」と呼んでいる。この章の文のよさ。

たしかに、ツイッターの「メンヘラ」界隈は自分の精神疾患をネタにしてまわりから承認されたかったのだと思う。しかし、そのいっぽうで、自分の精神疾患を笑ってみせることで、生きづらさを相対化したい、という抵抗でもあったと思う。

注意経済/ぼくたちの「いま」を奪い合う激しい競争/「いま」の注目を集めればいいので、議論が長続きせず、あっという間に次の話題に/詳細がわからない時点で発言する人が増えた/すぐ次の話題に移るので、議論の蓄積がされない/議論は深まらないまま、互いの敵対心だけが深まっていく

どうもここ数年ツイッターをしていると、似たような炎上がくりかえされていて、時間が「ループ」している感覚に襲われる。「いま」しかないから、「ループ」するのである。

*「いま」しかないから「ループ」する、は慧眼



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