「主体性という目に見えないお化け」に振り回されていないだろうか?
時々「教師から出される一方的な宿題は子どもの主体性を奪うから、やる価値を見出せない」という意見を耳にします。一見、耳障りの良い意見のように感じます。
しかし、一方では、自分なりの価値を見出した物事にしか前向きに取り組めない人に、一体、この先の人生で何を成し遂げることができるのだろうか?という思いが私にはあります。
そもそも、私たち大人でさえ、常に主体性だけを原動力にして物事に取り組んでいる人は稀なのではないでしょうか。心の底から「これは自分にとって価値のあることだ」と思って取り組んでいることは、そんなに無いように思うのです。
私たち大人だって、「面倒臭いなぁ」「やりたくないなぁ」と思いながらも逃げ出さずに取り組んでいることが、たくさんあります。それなのに、子どもの頃から面倒臭いことを避け続けていた人が、果たして、大人になって急に、そのようなことを苦にもせず前向きに取り組めるようになるものでしょうか。
最近、教育界では、「主体性という 目に見えないお化け」に、私たち大人が振り回されているように思えて仕方がありません。
そろそろ日本の教育は、「子どもの主体性をフルに重視したフィンランド教育」の失敗から学ばねばなりません。あれだけ世界中から賞賛されたはずのフィンランドの教育が、現在進行形で大崩壊を起こしています。
https://www.youtube.com/watch?v=O1y8BTmGvDA