あたたたたー(元お笑い芸人の小学校教師)

元お笑い芸人で、今は小学校の教員をしています。

あたたたたー(元お笑い芸人の小学校教師)

元お笑い芸人で、今は小学校の教員をしています。

最近の記事

学期目標の是非

教員生活2年目以降、学級目標を作ったことは、1度もありません。 なぜなら、学級目標を決める時に、子供たちから出てくる案は、そもそも、その学級だけに必要とされる目標ではないように思うからです。 「男女が仲良いクラス」「助け合えるクラス」「思いやりあふれるクラス」などありますが、それは、どの学級にとっても大切なことであって、わざわざその学級独自の目標として掲げるものではないように思えてしまうのです。 男女の仲が良い方がいいし、助け合えるクラスがいいし、思いやりあふれるクラス

    • 「主体性という目に見えないお化け」に振り回されていないだろうか?

      時々「教師から出される一方的な宿題は子どもの主体性を奪うから、やる価値を見出せない」という意見を耳にします。一見、耳障りの良い意見のように感じます。 しかし、一方では、自分なりの価値を見出した物事にしか前向きに取り組めない人に、一体、この先の人生で何を成し遂げることができるのだろうか?という思いが私にはあります。 そもそも、私たち大人でさえ、常に主体性だけを原動力にして物事に取り組んでいる人は稀なのではないでしょうか。心の底から「これは自分にとって価値のあることだ」と思っ

      • 高学年でも一斉授業で全員が授業に参加できる。

        いわゆる一斉授業(と、便宜上名前をつけます)への批判として、賢い子、積極的な子だけの発言で授業が進んで行く、などと言われることがあります。しかし、仮にそのような授業になるのだとしたら、それは発問の仕方、指示の出し方、授業の組み立て方に問題があります。 発問をしたあとに、すぐに挙手をさせたら、パラパラと数人だけが手を挙げる•••。それは至極当たり前のことです。それで、その中から指名をする、なんてことをしていたら、最も駄目な授業になってしまいます。 二択で答えられるような発問

        • 宿泊行事の部屋決めについて

          以前の私は、宿泊行事の部屋決めは、いわゆる「好きな人同士」で決めさせていました。たまたま運が良かったのか、大きなトラブルが起こったことはありませんでした。しかし、最近の私は、やり方を変えています。 まず、4月の学級作りの時期に子ども達に次のような話を繰り返し しています。 「宿泊行事で、もしかしたら、自分と気が合わない人とグループが一緒になったり、仲の良い人と違うグループになったりすることがあるかもしれないよね。 それはそれで仕方が無い、と考えることもできるけど、日頃か

          「物隠しが無くなるまで、先生は給食を食べません」

          10年程前のお話です。当時受け持っていた3年生の学級で、物隠しが頻発したことがありました。特定の誰かの物が隠されるのではなく、ターゲットは次から次へと変わっていきました。学級の全員に意見を述べさせたり、学年集会を開いてもらったり、色々と手を打ちましたが、一向に治まりませんでした。 当時、経験が浅かった私は、何を思ったのか ある日、教室で子ども達に次のように言いました。 「物隠しが続いているのは先生の責任です。皆さんには何の責任もありません。本当に申し訳なく思っています。先

          「物隠しが無くなるまで、先生は給食を食べません」

          最近の中学校の英語の授業は、全て こうなのだろうか。

           中学2年の自分の娘に4月から英語を教え始めました。基本的なことが身に付いていなくてびっくりしましたが、ようやく苦手意識が無くなる程度になってきました。なぜ、こんなにもできなかったのかと思いました。そこで娘に英語の授業の様子を聞きました。「それは酷ではなかろうか」と思いました。  娘が言うには、文法についてじっくり教えてくれることがなく、教科書の長文についても先生は教えてくれないのだそうです。長文については、グループで訳すところを分担し、ここからここまではA君、ここからここ

          最近の中学校の英語の授業は、全て こうなのだろうか。

          小学校におけるシャーペンの是非

          約2年前のお話です。 4月に体育館で学年開きを体育館で行いました。私は学年主任として、シャーペンについて以下のことを子ども達に述べました。 「シャーペンは正直に言って、学力を高めるため、ただ単に字を書くためだったら、とっても便利だと思います。 シャーペンが1本あれば、鉛筆のように削る必要もないし、鉛筆のように何本も入れる必要もないし、良いことづくしですよね。 でもね、小学生のうちは、シャーペンにもデメリットがあるんです。 まず、シャーペンを使い始めた時点で、字を美しく

          学級で起こる諸問題の多くはシステムを工夫することで未然に防ぐことができる

          学級で起こる諸問題の多くは、システムを工夫するだけで、未然に防ぐことができます。 例えば、給食準備の時間帯がワチャワチャするなら、4時間目終了後、当番以外は席立ちせず、そのまま読書にします。 呼ばれた班から手を洗いに行く。これだけで教室は落ち着きます。 1班から順に呼んでいきます。手を洗いに行った班から、配膳台のところに並ぶようにします。 給食当番の配膳の準備が整うちょっと前に、1班•2班に手を洗いに行かせれば、無駄が無くなります。 班を呼んでいく当番を作れば、担任

          学級で起こる諸問題の多くはシステムを工夫することで未然に防ぐことができる

          教員に「指導方法を一律に強要する」ことは、芸人に「笑わせ方を一律に強要する」ことと同じ

          教育現場では、しばしば、指導方法を強要されるケースがあります。 強要してくださる方は、 ・管理職 ・先輩教員 ・指導主事 など、様々です。 強要される指導方法は ・めあての板書 ・構造的な板書 ・授業の始まり・終わりの挨拶 ・単元を貫く言語活動 ・計算ドリル ・漢字ドリル ・音読カード など、数え上げたら、枚挙にいとまがありません。 教育現場における、この風潮は、本当に意味が分からないのです。 このことをお笑い芸人の世界に当てはめてみます。 教員に「指導方法

          教員に「指導方法を一律に強要する」ことは、芸人に「笑わせ方を一律に強要する」ことと同じ

          なぜ教育現場では追試が一般化されないのか?

          今回も、教員と芸人との相違点について考察します。 教員の場合は、子ども達に対して、過去に誰かがやった素晴らしい実践を、(忠実に追試できるかはさておき)堂々と追試することができます。 有名な実践であろうがなかろうが、それは教員の間だけのことです。 子ども達が知りうる可能性は、ほぼありません。 そして、その実践を披露することで、教室が盛り上がったり、子ども達の理解を深めたりすることができた場合、子ども達からの評価は確実にアップします。 「○○先生の授業、面白い!」 「

          なぜ教育現場では追試が一般化されないのか?

          教室では教育虐待がまかり通っている。

          前回の記事では、教員と芸人とで大きく異なる点について考察しました。 そこでは、教員の場合は「こちら側の努力が無くとも対象者が集まって来てくれる」のに対し、芸人の場合は「こちら側が何かしらの努力をしないと対象者が集まって来ない」ということを述べました。 今回は、上記のことが、現場でどのような作用を及ぼしているのか、について考察します。 教員の場合、対象となる相手は子どもです。 子どもは、「具合が悪い」など 余程の事情が無い限り、学校に行かねばなりません。 子ども達は、毎

          教室では教育虐待がまかり通っている。

          教員と芸人の相違点

          今回は、教員と芸人の相違点について考察します。 教員も芸人も、目的こそ違いますが「対象者の前に出て何かをする」という点では共通しています。 しかし、教員と芸人とで、大きく異なる点があります。 それは、教員の場合は「こちら側の努力が無くとも対象者が集まって来てくれる」のに対し、芸人の場合は「こちら側が何かしらの努力をしないと対象者が集まって来ない」ということです。 どういうことか。 教員の場合、対象となる相手は、子どもです。 教員は、決められた時間に教室で待っていれば

          教員も芸人も、意識して努力しなければ、技量は絶対に高まらない

          私は、かつて、お笑い芸人として10年以上活動していました。 都内各地でお笑いライブに毎月10本程度出演し、ほんの、ごくごくたまにテレビ番組に出演していました。 芸人を辞める直前の数年は、半年に1回程度の割合で単独ライブも開催していました。 それらのお笑い芸人としての活動10年と、教員になってからの9年を比べてみて、分かったことがあります。 それは、お笑い芸人と教員には、良い意味でも悪い意味でも、いくつもの共通点があることです。 それらを一言でまとめるならば 「意識

          教員も芸人も、意識して努力しなければ、技量は絶対に高まらない

          教員と芸人の共通点

          前回の記事で、教員と芸人が腕を上げるための方法において、共通点があることを述べました。 今回は、教員と芸人との共通点について、別の視点から掘り下げてみようと思います。 私は、芸人時代、様々な芸能事務所を転々としていました。 一時期、私は、都内の、とある事務所に所属し、3人組のコントユニットとして活動していました。 大抵のお笑い事務所は、月に1回程度、所属芸人が持ちネタを披露するライブを開催します。 私がいた事務所は、2部制でライブを開催していました。 2部制とは、

          現代のお笑いの全体的な底上げが成された最大の理由

          (前回の続き) 現代のお笑いの全体的な底上げが成された最大の理由は、ビデオ・DVD・インターネットが広く世の中に普及したからです。 ビデオ・DVD・インターネットが普及したことで、昔の芸人さんと比べて、質の高いネタに触れる機会が格段に増えました。 しかも、それらのコンテンツを繰り返し見ることが可能になりました。 このことが、一体、何をもたらしたのでしょうか。 それは、駆け出しの芸人が、「今の自分に足らない技術は何なのか?」を測る手段として、ビデオ・DVD・インターネ

          現代のお笑いの全体的な底上げが成された最大の理由

          「最近のお笑いは、面白くない」と言う人の心理

          私の前職は、お笑い芸人でした。 10年以上活動していました。鳴かず飛ばすの芸人でしたので、説得力が無いかもしれませんが、聞いてください。 お笑い芸人のネタについて、時々、こういうことを言う人がいます。 「最近のお笑いは、面白くない」 こういう事を言う人の多くは、個人的に自分が「面白くない」と感じたことを、強引に一般化してしまっていることに気がついていません。 「最近のお笑いは面白くない」 これだけを聞くと、さも、最近のお笑いのレベルが下がったかのような印象を受けます

          「最近のお笑いは、面白くない」と言う人の心理