選択の日々。
好む好まざるに関わらず常に選択を繰り返して生きている訳ですが、何気ない選択もあれば、あれこれ悩んだ末の選択もあるので生きていく上で必要不可欠だけど、結局の所は、その選択を選んでいる・決断しているのは、自分自身なんだよなぁと思うわけです。
それが、他人から強制的に誘導されたものもあるとは思いますが、この選ぶ権利は、人それぞれに認められた権利であり、誰からも強制されてはならないというのが基本的人権や自立、と言ったものの根幹なんだろうと思います。
尊厳を守るという事は、ある意味自由に選択できる権利を守る事でもあると思います。
なので、自分で納得しようがしまいが最終的に自由に自分で選択してるわけなので、それは結果がどうであれ自分で納得するしかないと思いますし、それ自体が自立した人間である証でもあると思います。
そんなわけで会社から求められる役割に対して文句もありながらも”やる”と決めた事に対しては、決めたからには全力で成功するように努力するのが自分なりのマイルールなんですが、そうではない人々にどうしても目が行ってしまうのも正直なところであり悩みでもあります。
周りがみんな同じようにポジティブに進める集団ならいいのですが、残念ながらそんな集団・チームに出会った事がないのが事実であり、どうしてもやる気がなかったりネガティブなメンバーを引っ張りながらの集団・チームの運営になってしまいます。
ただ、よくよく考えると、そういう頑張らない選択やネガティブな選択も、当の本人が選択しているわけで、そこには自立した本人の尊厳があるわけなんですよね、僕の論理でいくと。
そういう所までまるっと受け止めた上で、それではどうするのか、と自分なりに深めた到達が、その人本人の意識を変える所まで刺激・影響を与え続ける、という事です。
これまでの記事でも何度か書いてたとは思いますが、伝え続ける事や示し続ける事、そしてなにより熱意を伝える事、これでもって本人が自分で今までと違う選択をしてくれるようにする、というやり方なんですけど、これはこれで時間がかかるし効果があまりよく見えないので何とも言えませんが、本当に徐々に雰囲気は変わってきていると思います。
先日の事ですが、いつものデイの風景の中で、少し変わった集団ができていたので気になって様子をみていると、毛糸で何か編み物をしているんです。
何人か利用者さんが集まってあーでもないこーでもない、と楽しそうです。
編み物自体は時々取り組みがあるので珍しくはないのですが、いつもと利用者さんが取り組んでいる雰囲気・熱意が違うので気になりました。
どうも靴下みたいなものを編んでいたり、大きなひざ掛けのようなものを編んでいたりしています。
『なんであんなに頑張って作ってくれてるの?』と職員に聞くと、彼女が仕事で使うひざ掛けやレッグウォーマーが欲しい、と日常会話で言いながら、雑誌の中のこういうレッグウォーマーがあったらいいね、と利用者さんたちと話していたら、急に作ってくれる事になってそういう事が始まったそうです。
認知症のお年寄りにとってはレッグウォーマーというのは馴染がないようで雑誌を見てはああでもないこうでもないと工夫されてましたが、自宅では何もできないと言われていた彼女たちが、スイスイと毛糸で編み上げていく光景は素晴らしかったです。
ほかの職員にもさりげなく声をかけて『あなたたちの分も作ってもらうようにお願いしてきなさい。』と言って送り出して、デイのホール全体が昔は毛糸で何でも編んだんだよ、毛糸も糸から作ったりしたよ、とかそういうお話で盛り上がりました。
こういう取り組みは、以前のデイでは考えられない事だったので(決まった事を決まった時間ですることが常識だったので)、2年も3年も伝え続けてきた効果がこうして出てきたのだなぁと思いました。
僕が指示したわけでなく、職員が何気ない会話の中から利用者さんの自立を引き出した取り組みと思います。
みんな誰かのために役に立ちたいと思っていると僕は思っています。
ですので、おもてなしばかりの場ではなくて、利用者さんが何かしら自分たちが役に立っている、と実感できるような取り組みを進めていく事が大切だと思います。
そこでやはり大切なのが、自分で選択できたかどうか、だと思います。
一つ一つの選択が大切ですが、介護を必要とする方にとって、自分で選択できる事って本当に少ないんじゃないかと思っています。
本人が選択できる事を援助する。
介護の専門性が問われる難問なのかもしれませんね。