アイヌの文化については凄く興味があって、いろいろ簡単に調べてみたりして、アイヌの世界観とか凄く共感できる事が多かったので、いつか自分なりに文章にまとめてみたいな、と思っていたので、そろそろ重い腰を上げようと思って書き始めてみました。
・・・で、どこからまとめようか・・・と思ったのですが、やはりアイヌの歴史から振り返った方がよいかなぁと思ってまずは歴史から調べていこうと思います。
アイヌの歴史 (Wikipediaより)
まず年表から見ていこうと思います。
年表って結構好きなんですよね、なんだかワクワクしますよね。
まず、北海道はでっかいので、4つの地域でそれぞれ歴史や文化が違うようです。
道南・道央・道北・道東、の4つの地域に分かれていますが、北海道に10年以上住んでいる僕も、この4つの区分けがどういう区分けなのか実はよく分かってなかったりします。
うーん・・・何だか同じ道南でも範囲が違う考え方もあるようです。
ちなみに、一般的には上の地図の区分けが正解っぽいです。
実際、僕自身は登別市に住んでいますが、みなさん道央という認識です。
北海道に移住してきてすぐの頃は、下の地図のようなイメージでしたので登別市も道南だと思ってました。
明確な定義づけはない・・・って調べてみて初めて知りましたけど、ちょっとびっくり。
とりあえず、アイヌの歴史で示されている4つの地域は、上記の上の地図の地域分けをイメージしてもらえるといいと思います。
年表を見ると、日本文化とアイヌ文化が接触してたのって、江戸時代の中期頃までは道南の一部地域だけっぽいですね。
その後、日本文化が入ってきて、江戸時代後期くらいから北海道全土で文化の接触があったような感じです。
アイヌの文化でも、中世とか近世とかあるのも興味深いですね。
集団交替説というのが分からなかったので調べてみたのですが、ちょっと上手く検索できずに二重構造モデルというキーワードが出てきました。
アイヌは、もともと北海道に住んでいた縄文人をルーツにオホーツク人や和人と混血はしてきたものの、縄文人にかなり近い存在、というのが現在の定説のようです。
和人が大陸からの渡来人との混血が進んできた民族とすると、古くから北海道で暮らしていた先住の民族という理解でよさそうです。
最近はこういうのも遺伝子とかの研究で分析できるみたいなのですごいですね。
アイヌの人たちは文字を持たなかったので、こういう情報が残されていないというのも興味深いというか、そもそも物を所有するという概念が無かったようなので、自分たちの歴史や文化を後世に残そうという挙動に繋がらなかったのかなぁと思います。
自分たちも含めて自然の一部である、という考え方なんだろうと思いますが、実際にその通りでそれ以外の何物でもないんですけど、現在我々の生活を考えると、どれだけ自然から遠い所で自然の驚異から逃げて暮らしているんだなぁ・・・なんて思うと、よほどアイヌの方が強く生きていたのだなぁと思います。その強さがあったから、物を所有する必要もなかったのだろうと思うと、そういう強い文化を持っていた人たちが私利私欲の物欲による交渉や策略によってもともと住んでいた土地から追われて生活できなくなってしまう経過というのは残酷というか、自然とは強く共存できたのに、人間には騙されて奪われてしまって共存できなかったというのは非情な現実だなぁと思いました。
旧石器時代
3万年前から石器を使って北海道で人が暮らしていたと思うと凄いなぁと思います。3万年前ですよ、気が遠くなるほど昔ですし、そんな長い時代を考えると、自分がどれだけちっぽけなのか痛感してしまいます。
氷河期の時代に凍った海を渡って来たのがご先祖さまみたいですね。
何を目的にここまで歩いてきたのかも不思議ですけど、昔は狩猟生活だった事を考えると、いろんな地域を転々としていたのかもしれませんね。
縄文時代
縄文時代は、本州とほぼ一緒の文化圏だったようですね。
縄文時代の中期くらいまでは、あまり身分の上下があまりないような社会を形成していたようで、人間って集団を形成してもみんなで一緒にコミュニティを形成できてきたと思うともともと民主主義的な感じだったのかなぁと思うと興味深いですね。
続縄文時代
ここから本州と北海道での文化の違うというか、アイヌ文化が生まれてくる流れになるようです。
続縄文時代というのは初耳ですが、本州のように弥生時代になるのではなく縄文時代が続いていくという感じなのかなぁ。
続縄文前期
あえて水田耕作をしなかったというのが本当なら、不思議というか、なんでそういう選択をしたのかは知りたいですね。
基本的には本州との交易が盛んにおこなわれていたようで、北海道の毛皮などが交換されていたようです。
同時期に青森県でも弥生時代の水田が作られているので、北海道に近い地域でも人は住んでいたはずなんですけど、交易の多くが九州北部の人というのも面白いというか、なんで?って思いました。
というか、弥生時代の船で北九州から北海道までたどり着けた上に交易してたとか凄いんですけど。
続縄文後期
ずっと北海道から出てなかったイメージだったので、東北地域まで続縄文文化が当時の古墳文化と本州内で共存していたというのは面白いと思いました。
北海道のヒグマの毛皮が重宝されていたのも意外でした。
また、蝦夷って北海道の事を指していると思ってましたが、東北の地域も蝦夷だったんですね。
渡島というのは、”おしま”と読むのですが、だいたい道南の事を指すと思ってもらってよいかと思います。
オホーツク文化期
北海道の道北と道東では、オホーツク人による文化が発展したようです。
興味深いのは、このオホーツク人と続縄文人は仲が悪かった感じで対立していたようで、続縄文人がヤマト王権にオホーツク人を追い払ってくれと頼んだみたいです。
ヒグマの骨を祀ったりする文化は、アイヌの文化に繋がっていきそうな感じです。
擦文時代
アイヌの文化が、古代日本の信仰の影響を受けていたというのはびっくりしました。
この頃に混血も進んでいったようで、そもそもアイヌと言えども和人やオホーツク人との混血がベースになっているような気もしますね。
中世アイヌ文化期
本州や大陸との交易が活発化して、いろいろ文化的にも混ざっていった時期がアイヌ文化期というのも面白いですね。
Wikipediaでは、この頃に本州の史料では、流刑地としての蝦夷が登場するとの事でした。
また、この頃にアイヌの反乱など発生していた等の記載もあるので、興味がある方は是非ご覧くださいませ。
ちなみに、中世アイヌ文化期は、本州では鎌倉時代や室町時代くらいですね。
近世アイヌ文化期
アイヌが周辺社会へ従属してしまった時期を近世アイヌ文化期というようで、この時期までに現在のアイヌ文化は確立されたようです。
周辺列強の動きにアイヌも巻き込まれてしまったという感じでしょうか。
この頃は、アイヌも殺伐としていたようでアイヌ同士での争いや、松前藩との衝突など、結構戦っている印象です。
この頃からでしょうかね、アイヌへの差別も出てきたような感じです。
わざと何も知らないアイヌの人をだまして搾取していたような内容もあります。それまでは幕府がうまく手綱を握っていたようですが、経済が複雑になり管理できなくなり商人が主導権を握った事で、このような事態が生まれたと記載されていました。
近代以降
アイヌの差別については、北海道で介護の仕事をしていると否応も無く触れる事になります。
本州の部落差別と同じような感じかなぁ、結構ひどいエピソードを聞いていますし、実際にアイヌの家系の高齢者の方から昔話を聞いたこともあります。
本州と北海道という形で海に隔たれた二つの地域ですが、こうして歴史をみてみると、それぞれの文化や人や密接に繋がってきていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのか・・・。
違う思想、違う文化を認める、多様性を認めるというのは、本当に大事な事だなぁと思いましたし、アイヌの文化に古代日本信仰の影響があるというのを知って、更にアイヌ文化に興味が沸きました。
なんとなくアイヌの文化に共感できる原点がそこにありそうな気もしました。
アイヌ文化の歴史と現在を知っていますか?
最後に、アイヌ文化の歴史が簡単にまとめてあったホームページがあったので紹介します。是非ご覧くださいませ。