最短最速でたどり着く答えはなぜ間違っているのか。という記事を読んで。
最近暑さにやられたのか食欲がなくて、牛乳などの飲み物がメインになりつつあります。運が良ければ仕事帰りに売れ残りのカットフルーツを買って晩御飯にしたり。
野菜ジュースとかは、ほとんどが濃縮還元なのであまり栄養がとれないと思っていましたが、実はそうでもないらしく、今度からあまり気にせずに野菜ジュースなど買ってみようと思います。
勝手に水分を飛ばす際にビタミンなどの熱に弱い栄養素が壊れてしまっていると思っていたので、ちょっとびっくりですけど、食欲はないけど栄養は取りたい時に、やはり100%ジュースなどは有用だと思いました。
さて、今日の本題の記事はこちらになります。
これは本当にそう思います。
歴史って人間の生きてきた繰り返しですから、絶対同じ悩みや失敗が繰り返されているので、先人から学ぶ事でいろんな不安感が緩和されると思います。
単純に面白いんですけどね。
創作のドラマや物語も好きですけど、本当にあった歴史上のお話に勝る物語はないかなぁ、と個人的には思っています。
なるほど感です。
科学の発展や自然の進化などは、科学的に見たら直線的ですよね。
医療も看護も同じように思います。
だけど、社会や人間がかかわる領域は直線的ではなくスパイラル、というのは、なるほどなぁ、という感じです。
人間ですから前進も後退も回り道もしますものね。そういう人間が集団になるのが社会ですので、一直線で進化していく、という事はほとんどないんだろうと思います。
だからぐるぐる回りながらも少しずつ前進していく感じ。
歴史が繰り返すというのも、そういう事なんだろうと思います。
そうであれば、医学や看護学と同じように介護学だって必要だと思ってきましたが、より人間自身にスポットを当てた介護学という学問は、医学や看護学のように直線的ではない分、相当な実践と研究を積み重ねる必要があるでしょうし、同時に徐々に進んで行ったり変化する社会の情勢の中で、やはり介護学という学問として確立するのは難しいのではないかとは思いますが、一方で哲学のような人間の考えたり感じたりする内容の学問がある事も事実なので、おそらく哲学もずっと進化していると思いますので、そういう感じでの学問として確立していけばいいのだろう、なんて思いました。
ですので、実践の記録や事例の共有など、ありとあらゆる対応と反応などの蓄積が必要だと思います。
難しく考えるとキリはありませんけど、それだけ難しい仕事と向き合っている、という事は、すべての介護職は自覚していいと思います。
正解を探して仕事をする人の多くがそうなのかもしれませんね。
失敗を恐れているのかな、と思っていましたが、こういう側面もありそうです。
自分で探す、見つける、試す、失敗する、そこから糸口を見つける・・・という事が、やはり直線的ではなくて、停滞している様に感じてしまうのかもしれません。僕のように今日ダメでも明日はなんとかなる、と思えるなら見え方も違ってくるのではないかとは思いますが、それも考え方なので、僕がいくらこう受け止めろ、こう考えろ、といったところで無駄なんですよね。
教育が変わったせいか?と思った事もありましたが、どうも僕と同年代の職員にも正解探ししかできない人がいるので、あまり若い頃の教育とは関係なさそうです、どちらかといえば経験かなぁ、と思います。
スポーツ経験の有無が大きな原因か?と思った事もありましたが、サッカーなどのスポーツを経験していても正解探ししかできない職員もいたので、やはり経験値かなぁ、そういう経験の中で、どういう指導を受けてきたか、にもよるなぁ、と思いました。
こんなのは全然知らなかったので非常に勉強になります。
幸福になろうと努力しないとなれない、というのは面白いというか、よく考えてみたら当たり前なんですけど、努力しないと幸せになれないんだなぁ・・・としみじみと思いました。
僕は自分を楽観主義だとは思っていますが、結構気分でやっていると思っていましたが、こういう風に書かれると、それも僕自身がその意思を維持するためにどこか努力しているのかなぁ、なんて思いました。
よくわらかんけど。
不安がいっぱいな状態だったので、この文章はほんとうに助けになりました。人間はそもそも不安になるものだ・・・というのは、知らなかったので、不安な状態はダメだと否定に走っていた自分を許せる免罪符になりそうです。
未来を考えるというのは、言葉が話せるから・・・。これって全然意識もしたことなかったのでびっくりなんですけど、すごく興味があるので今度調べてみたいな、とおもいました。
もう先の事は不安だから考えないでおこう・・・なんて思っても余計に考えてしまいますよね。
僕自身も、だから自分を納得させるだけの材料を集めようといろいろ調べたりして精神的に安定しようと行動してきたと思います。
安心したいから、と僕自身は思っていました。
これは介護の現場では強く感じる内容でした。
僕自身、あまり指導とか受けた経験はないのですが、たとえばいろいろ問題はあるにしても、熱い介護観を語る先輩はいました。
先日紹介したきのこエスポアールの佐々木先生の言葉も同じです。
そういう先人たちの自分で語る言葉を聞いて育ってきたとは思っています。
それが最近はどうだろう、と思います。
noteやツイッターを開くようになって、熱く語っている人を沢山知ることが出来ましたが、そうでない目の前の現場や近しい同僚のこういった熱くるしい介護観を聞いた事がありません。
もっとこんなケアがしたい!
と出来なくてもいいから昔は言っていた・言えていた気がします。
僕の場合は、そういう発言をして『だったら自分で会社をつくってやれ』と冷たく突き放されましたが・・・。
そんな事を言い合おうよ!と僕自身が提案してもなかなかそこまで言い合えるチームに育てる事はできませんでした。
介護観が一致する仲間とそういう話をしたことは何度もありますが。
この状況や環境の変化はなんだろう・・・と思っていましたが、自分で語らずともなんとかなってしまう現実がある、というのが一因というのは、なるほどなぁ、と思いました。
介護職の多くが本を読むのが苦手です。
本を読ませてトレーニングさせるのはいい方法かも、と思いました。
記事で紹介されている君主論は読んだことがないので、今度読んでみようと思います。
一冊読み終わるまで他の本は読んでならなない、という勝手な自分ルールを作ってた気がします。
そうであれば、興味ある本はその時にすぐに手に取って読むべきですよね。
これも育成に活用できそうですね。
努力はコツコツしたもんですよね。
こういう努力の仕方も教えていく必要があるのかもしれませんね。
早く図書館に行きたくなりました。