きのこエスポアール病院「認知症ケアのあゆみ」。
僕がきのこエスポアールの取り組みについて初めて知ったのは、認知症実践者研修を受講した際の動画教材の中で紹介された時でした。
それなりに認知症ケアの歴史や、認知症ケア自体の発展の経過はしっていたつもりですが、それを映像で見た時の衝撃は今でも忘れられませんし、何より、佐々木院長が認知症ケアをどのように考え工夫してきたか、というロジック(考え方や理論・論拠)も紹介されていて、非常に感動したからです。
ですので、講義が終わったあとに、この教材は購入できないのかと問い合わせましたが購入できず、貸出のみ、との事でした。
興味のある方は、福祉ビデオライブラリーのホームページから予約すると借りれます。
僕自身は、何度か着任したデイサービスで職員向けの研修で活用しました。
結構なボリュームなので、何回かに分けて視聴しました。
僕が実践者研修で視聴したのが、1巻の認知症ケアの30年の取り組みでした。貴重な映像が見れるのでお勧めです。
今日は、そのきのこエスポアール病院のホームページから、1巻の内容が紹介されているページがありますので、そちらの内容を紹介していきたいと思います。こちらのページも、いろんな事業所の研修資料として活用させてもらいました。
1984年からの取り組みの歴史です。今から38年前の話ですね。
当時は認知症自体が認知されておらず、専門の病院もない中で佐々木医院長が何とかしたいと立ち上げたのが日本で初めての痴呆症専門病院のきのこエスポアールでした。
この失敗したロジックを学べる事が非常に大きな学びであると考えていますし、佐々木院長は、そういう仕掛けでDVDやこういうページを作成されているのだと思います。
さすがに医師の視点ですよね、しっかりと研究できるように記録を残しておくという点では、介護職に足りない視点なのかもしれません。
また、ケアの記録を映像で残しておくというのも、文字での記録には限界があると考えておられたのかもしれません。実際、文章と映像では見え方が全く違いますので、そういう意味では、介護記録で質と効率化を考えると、映像での記録がベストではないかとずっと考えていました。
たとえば映像記録が可能になれば、ヘルパーは一対一でのケアになりますが、その映像記録で情報を共有できますし、ケアの質や接遇の向上にかなり効果があると思いますし、さまざまなトラブルを未然に防ぐ事ができます。
デイサービスでも同様ですが、プライバシー保護の問題もあるので、なにをどこまで、という線引きは同時に必要です。
そういう工夫もしていかないと、頭であれこれ考えているだけでは進みませんし、実際、さまざまな虐待が明るみになるのは、家族や本人が設置した隠しカメラという悲しい事実もありますので、こういう事は介護事業側からいろんな工夫を提案するべきだと思っています。
機能訓練の場では、動画でビフォーアフターをわかりやすく評価する取り組みはすでに進んでいますので、早くそういうシステムは導入したいです。
僕自身、この言葉に影響されて成長してきたと思います。
認知症を個性と捉える。
認知症だから・・・、という先入観を捨て、そういう個性の人にとって何が必要なのかを追求する、そういう視点に変わったと思っています。
何十年もの経験から語られる言葉ですので説得力があります。
本人と一緒に考える。
これって今の僕らでもなかなかできてないかもしれません。
やりきった先で、そこにたどり着くのかと思っています。
ここまでは『はじめに』の紹介部分でした。
これからは『創設期』という事で、最初の認知症ケアの取り組みの紹介です。
信念があって新しい病院づくりに挑戦されています。
困っている人をなんとかしたい、という思いが伝わってきます。
特に制度がなにも無い状態で新しい事を始めるのは相当な勇気が必要だったと思いますので、どれだけ大変だったかと思うと想像ができません。
テレビのインタビューの紹介ですが、これは僕も介護福祉士の資格を取る動機になった理由です。
好き勝手大学まで行かせてもらえるような世の中を作ってくれたお年寄りに、何か恩返しがしたいと思って資格を取りましたので、非常に共感できるし、どうしても納得できない、という思いも同じように持っています。
今は、その団塊の世代がサービスを受ける立場になっています。
僕としては、これからが本番だと思っています。
僕はデイサービスの研修では、お年寄りにとってのディズニーランドにしろ、と言ってきました。
これからは超高齢社会ですので、高齢者が楽しく過ごせる社会を作ることが、日本の発展に必ず直結すると思います。
1983年にすでにこういう連携を想定されていたのはすごいですね。
実際は、より分業が進んでしまっているように感じます。
全員一丸となって、というのは本当に難しいのかもしれませんが、そこを一致させるには、やはり理念の共有が欠かせない要素だと思います。
佐々木院長が折れなかったのは、この”なんとかなるさ”精神があったからだと思います。
僕もなんとでもなる、と思っているので、介護現場のみなさんも気軽な気持ちで頑張ってほしいと思います。
こういう振り返りが重要だと思いますし、この事を知れてより確信を持ちました。
ここで諦めずに認知症にしっかりと向き合って対応を繰り返していった事自体が本当にすごいと思います。なんの制度の保証もない中での運営ですから相当な胆力と信念がないと無理だと思います。
気づいてあげれなかった、という事に気づけた事がすごいと思います。
自分たちが未熟だった事をちゃんと消化しているから言える言葉だと思います。
1年の取り組みの中で、大変な事も多かったでしょうがある程度の改善ができる実感も得られたという事です。
うまくいっている、という実感が次の問題を用意してくれたともいえると思います。
家族や本人の役に立つと思って1年の取り組みを総動員して作成したビデオですが、佐々木院長はこう振り返っています。
ここに気付けるという事は、日々の取り組みの中で”本当にこれが正解か”という視点が常にあったからだと思います。
結果として、これまでケアだと思っていた事はケアではなかった。
気付いて認める事でさらに前進できるのだと思います。
次は『停滞期』という事で様々な取り組みが紹介されています。
回廊型の施設はこの頃(1986年)からあったんですね。
いつまでも目的地に着けないというのは本当にそうですが、設計の理念が思うだけ歩いてもらおう、という本人のための設計だった事も興味深いです。
徘徊という行動や認知症自体の研究がまだまだ進んでいない時期ですので、どうしようもなかったと思いますが、こういう取り組みがあり、そこからの分析や振り返りがあるから認知症や周辺症状の研究が進んだという面もあるはずです。
当時は、介護職なんていなかったのですべて看護師さんがこなしていたんですよね。看護師の取り組みが評価されていくのもこういう経験を看護師全体で頑張ってきた上で勝ち取ってきた成果だと思います。
集団的なケアではなく、個別に対応していく事にケアがシフトしていきます。
特別な事はしなくてよくて、当たり前のことをしていくことが大事。
今の認知症ケアの基本的な考え方ですよね。
認知症の方の行動にはすべて意味があり理由がある。
これは座学で必ず学びますが、それをちゃんと理解して現場で意識してケアを提供できている職員は、ちょっと少ないと思います。
その上で寄り添う、という事ができるんですけど、多くの職員が、その前提である理解するをすっ飛ばして寄り添おうとするのでうまくいかないんだと思います。
たとえば、本当に理解しようとしていればその人の隣に座っているだけで落ち着いてくれる人もいます。寄り添うというのは、本当にその人を理解しようとする気持ちや心が行動に現れた対応だと思っています。
1995年にスウェーデンの事を知った佐々木院長は、そこでびっくりする光景を目にしたそうです。
今でもスウェーデンのようにおしゃれをさせてもらえる認知症の方は少ないと思います。
佐々木院長の、隠しているのではないか??という疑問は、結構先進的な取り組みをしていて自立支援や認知症ケアで効果がある事業所に見学に行った人がよく言われる言葉ですよね。軽度の人しか受けてないんでしょ、とか。そして、だいたい帰ってくる返事は、どこも受けてくれないような認知症の症状の方でした、という感じです。
佐々木院長の病気しかみてなかった、という言葉は今の現場にも刺さると思います。本当にその人個人をちゃんと見れているか、という点は何度も何度も僕も現場職員に伝えましたが、これがなかなか伝わらない。難しいです。
求めていた事がそこにあった、とうのは結構いろんな経験で僕自身も思う事があります。
本当に必要な情報は、必要な時期に必要なタイミングで降ってくると思っています。それをちゃんとキャッチできるかどうかが重要だと思っています。
次は『改革期』という事で、スウェーデンんでの学びを現場で生かしていく取り組みの紹介です。
認知症ケアの基本の考え方です。
こういう先進的な取り組みの中の試行錯誤や失敗例が、こういう到達につながっているのがよくわかる内容だと思います。
重要なのが、思考の転換ですよね。
間違っていたのなら考え方を変える。これが成功の条件だと思います。
今までの生活の延長ですよね。
食事を楽しむ、これは本当に大切です。
昔は、気持ち悪いだろうと考えてすぐにどこでもオムツを変えていたそうです。失禁したままにしておくのはよくないから、という善意ですよね。
でも、本人の恥ずかしい気持ちはそっちのけだった、という部分がすごく刺さりました。
やっていた側も善意なんですよ、だけど至らなかった。
今では当たり前に思う事でも、こういう経過があって気付けた事でもあるのか、と思うと、本当に前例がない中での取り組みに頭が下がります。
2時間で20~30人って、どんな状況ですか。と思いましたが、そりゃ焦りますよね。患者さんも何もわからないまま脱がされて洗われて・・・という感じだったのでしょう。
記事には紹介されていませんが、たしかマンツーマン対応に変えても効率はほとんど同じだったという事で、マンツーマン対応の入浴にした、という話が紹介されていたと思います。
お風呂って日本人は特にゆったりリラックスできる大切な時間ですよね。
生活を大切にする視点では、やはり入浴での満足度は大きなポイントになると思います。
食べられてもいいから花を飾る。
僕はいいと思います。
ただ、異食での行政報告が必要だよなぁ・・・なんて考えてしまいます。
個人的には、利用者さんの為なら何枚でも書いてやると思うのですが、同じ内容の報告が多いといろいろ言われるので難しい所です。
今では花くらい飾るのは当たり前ですもんね。
たぶん、昔のケアの現場では看護師さんは本当に少数で多くの患者さんを見ていたはずなので(制度化されていないので人員基準もないはず)、そりゃ見守りしきれないだろうな、とは思います。
ケアが変わる事で認知症の方も変わる。
ケア=環境ですから、周囲が変わる事で認知症の症状も落ち着いていったのでしょうね。
自分たちのやっている事は変えられるという良い事例だと思います。
認知症の人の行動を変える事なんて不可能ですから、それは誰か他人を変えようと努力するのと同じ事です。無理な事は無理なんです。
これは好循環のよい例ですよね。
ケアが変わる事で、ケアを提供している職員もいい事をしたという体験をするので意識もそういう良い方向へ向いたんだと思います。
そうなれば、もっとよりよい生活のお手伝いをしたい、というような方向につながっていくのだと思いました。
抑圧されればされるほど・・・という部分は本当にそうですよね。
介護の現場では、なんでも制限です。
いろんな法制度が足かせになっているケースも多いです。
認知症ケアをよりよくしようと考えれば、さまざまな制限は取っ払っていくべきです。
特に、これからの地域包括ケアシステムの中で、地域で認知症の方を支える、という方向で本気で考えるのであれば、ヘルパーはあれはできないとか、デイは施設内でしかサービスを提供できない、とか、そういう制限がある時点で多くの可能性をつぶしていると思います。
制度自体をしっかりと見直す時期にきていると思います。
グループホームについてのインタビューです。
スウェーデンでも1970年代に同じような経験をしてグループホームという方法を編み出したようですね。
やはり、つきつめていくとたどり着く先は同じなのかもしれません。
だって人生を支える仕事ですから、国籍や人種が違えど、やる事は同じはずです。
認知症の方が互いに協力して助け合いながら、それぞれが出来ない事を補いながら生活をしていく。職員は、そこでちょっと支える。そういうのがグループホームの良い所ですよね。
なので、本来なら地域では生活が困難だった重度の認知症の方でも、そういう環境下ではちゃんと自立した日常生活を送る事ができるはずなんですが、たとえば当法人のグループホームも複数あるのですが、会議のたびに重度化が進んで介護が大変だ、という報告です。
外出したり日常生活の中で利用者さんの役割というか何か取り組みはしてるんですか?と質問すると、全くそういう事をしていないようでした。
そりゃそうなるわ・・・。としか思えませんでした。
形だけ真似ても成果は出ません。
何のための仕組みなのかを理解しないとダメでしょう。
実地指導(現在は運営指導)でも、書類の中身や書類があるかばかり重箱の隅をつつくような事をしていますが、実際の取り組みが自立支援やユニットケアを提供できてないなら指定取り消しとかしてほしいです。
せっかく良い制度なのに活用しきれていないのは歯がゆいです。
しかし、グループホームの管理者は認知症実践者研修や管理者研修は受講が必須だったはずですが、なんで理解してないんだろう・・・、と残念無念な気分になってしまいます。やはり途中から起動修正は難しいのでしょうね。
僕も常に仕事しなくていい、利用者さんとしゃべってて、という感じで指導します。
職員が逃げ場にしているような場所があれば、そこをつぶします。
それでも、なかなか意識が変わる職員は増えませんでした。
特に経験を積んでいて、あまり見守りやコミュニケーションが得意でないベテランさんに多いです。変にいろんな仕事がある事が分かっているからなのかもしれませんが、現場の職員は時間があれば利用者さんと一緒に過ごしてほしいというのが僕の考えですし、それはこの教材の影響も大きなものだったと思っています。
最後は『新時代』という項目です。
これまでの話は、介護保険が始まる前の話でした。
これからは介護保険が始まってからの話です。
まだまだケアの質の向上を課題に取り組まれていて、大規模入所施設でのユニットケアの導入の紹介です。
ケアの質の向上を目指したユニットケアの導入です。
10人の入居者に対して5人の配置なので、現在の基準の3:1に満たないですが、当時は先進的な配置だった事がうかがえます。
個別ケアの提供で認知症の方も落ち着いて過ごせている様子がわかります。
ただ、職員の休憩も同じ場所で過ごします、というのは労働基準法的にはダメなのですが、それも昔は一緒にご飯食べたりして休憩時間なのか仕事なのかよくわからない現場でしたよね。
重要な視点ですよね、ハード面よりもスタッフの意識を変える事が重要という事です。
そして、その人を知る事が何よりも大切だ、という事です。
そうすれば問題行動は起きなくなる、と断言されています。これは、これだけの実践を積み重ねてきたから言える言葉だと思います。
また、コミュニケーションが非常に重要だとも示されています。
言い換えれば、認知症ケアにおける認知症の方の行動の原因は、介護者側にあるという事です。
この言葉は、とことんやりきった人しか言えない言葉だと思います。
現場職員でうまく対応できない職員の多くが、この域までコミュニケーションはとれていません。
僕なんかが実感として思うのは、これ以上は無理だ、と思う限界のレベルが3段階くらいあって、何度もその限界を乗り越えた先でしか、寄り添うケアはできないと考えています。
本当にそうだと思います。
ただ、ちゃんとやってる所は本当に良いケアを提供しているので、行政はそういう所をちゃんと評価してほしい。
書類しか見てないから周辺業務に専門職が関わる時間が減らないんです。
どうすればよいケアと周辺業務が両立するかをちゃんと考えて仕組みを作ってほしいです。
そのためには、本当に現場の介護職の動きや業務量をちゃんと知ってもらわらないとダメです。
ケアに重点を置かない限り、要介護認定の重度化は防げませんよ。
介護予防を本気でするのであれば、ケアを評価するシステムにしないとダメです。それは書類の中からは見えてきません。現場を見るしかありません。
ユニットケアをしていればいい、という思考停止ができる時期ではまだない、という事ですよね。
まだまだ発展途上で、もっと良いケアがあるはずだ、という事だと思います。
僕がこの話を研修資料にして伝える時に、一番大事なこととして伝えるのがこの部分です。
特にデイサービスでは、本当によく言われるんです。
帰宅した後に、家族さんから電話で、『おばあちゃんがデイに行ってない』『何もしてない』と言っている、ちゃんとサービスを提供してくれてるんですか!?、という話は本当に結構あるんです。
多くの職員は、あんなに頑張って対応したのに甲斐がない、なんて言うんですけど、僕はそんなのどうでもよくて、ちゃんとやりきってるならそれでいいし、もっと自分のやったことに自信を持て、と伝えています。
家族さんにはちゃんと説明しますよ、こんな事をしていました、とか、こんなことをおっしゃってました、とか。
そもそも、そういう家族さんともコミュニケーション不足が生む課題なんですよね。
そして、最後に佐々木院長の言葉で、僕もすごく気に入っている言葉です。
人間らしい生活って、こういう事だと思います。