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優れるな、異なれ。
これから紹介する記事を読んでいたら面白いワードが目に飛び込んできたので、記事のタイトルにしました。
「優れるな、異なれ」ということをいつもよく会社のメンバーには話しています。もちろんその裏側にあるのは「優れるのは当たり前」という感覚なので、実はこれは言外に「今自分が最大限やれる範囲では優れろ」とも言っている
ここが非常に共感できた部分でした。単に異なる事をするのではなく、自分なりにやりきった上で、というのが良いですね。
「エアーバンド」を特徴としているユニークなバンドで。当然ながら、人気が出てくると、コンサートの観客動員数も増えていったそうです。そうなるにつれて、メンバーが実際に楽器を弾きたがるようになっていくと。
「それは違う。ほんの少しでもギターを弾いたり、ドラムを叩いたりし始めたら、俺らは普通のバンドの『優れるレース』に参戦することになる。あのバンドのギターは上手いよね、あのドラムはいいね、そんな評価をされるようになる。でも、そっちに足を踏み入れたら、絶対に勝てない」と。
これは凄い視点だなぁと思いました。人気が出たり評価されたりすると、このバンドのメンバーが実際に楽器を弾きたくなるような感覚に陥るってのはすごく理解できますし、そっちで頑張ろう!ってなってしまいがちですよね。冷静に自分たちの力量や立ち位置を客観視できてるリーダーの判断はとてもよいと思いました。
中国の常勝の将軍と言われた韓信も、項羽の居ない所で勝っていたという話もありますので、やはりそういう事なんじゃないかと思いました。
次郎さんにも生まれた日があって、生まれた日はお父さんと一郎くんが二郎くんの生まれる瞬間をソワソワしながら待合室で待っている。その瞬間、オギャーと生まれた二郎くん。喜ぶお父さんと一郎くん。そんな優しい人たちに誕生を喜ばれた二郎さんが今、僕を運んでくれている。そう思うと、さすがに嫌いになれないんですよ。
これ、介護の現場ではとても大切な感覚だと思います。僕自身は目の前の利用者さんのこういうバックストーリーみたいなものは生活史など得られる情報や会話の中から引き出して勝手に想像してその人の人生の流れをイメージしています。単に目の前の利用者さん、という感じで対応している介護職の多くの対応を見ていると、なんでしょううまくいえませんが、利用者さんがさも生まれた時からお年寄り、みたいな感じがして残念な気持ちになってしまう事が多いのです。
70年80年という時間は、本当に相当な時間だし人生経験ですから、それだけの経験を積んだ上で、僕らの目の前で自立した生活を送るために必要な介護サービスを利用されているんです。
そういう重みを大切にした上でケアを提供すべきと思いましたし、こういうイメージやその人に対して想いを馳せる行程の有無が、対応の良し悪しにつながっていると思いました。
利用者さんに受け入れてもらえない職員の多くが、やはりこういうその人の人生をまるっとイメージできてない対応だなぁ、と思います。
そうであれば、こういうトレーニング自体も職員育成には必要なんだろうな、と思いました。
そのタクシーの運転手も、降りるときに飴をくれましたから(笑)。別れるときも、感慨深くなりました、だって、もう一生会わないんですよ。そう考えると悲しくなってきて、だからこそ限られた時間を大事に過ごそうという気持ちになります。
この気持ちも大切ですよね。
介護の現場では特にです。本当に今日が最後だったケースは多いです。
だけど、やはり多くの職員が明日も会えると無条件に考えているように感じてしまいます。そんな保障なんてないのに。
そして、亡くなって悲しむ。
悲しむ事自体を否定する気はありませんが、だったらもっと目の前にその人が生きているその時に全身全霊で対応してほしかったなぁ、と思う事が本当に多いです。
後悔しない仕事をやはりしていきたいな、と記事を読んで改めて思いました。