売る気は全く無かった。軽貨が売れた。
4日前に遡る。
70代後半の藤荘平(ふじそうへい)さんは、奥さんと2人で米農家を営んでいる。
農協の月刊家庭雑誌、「家の光」を届けたタイミングで、丁度お茶の支度をしていた。
縁側の軒下で、ご夫婦と3人でお茶を飲みながら雑談。
「うちの近所は藤野って家が多いだろ?」
「そうですね、藤さんのお宅だけ1文字ですね」
「むかし、うちの親はな、
「うちの先代は耳が遠くって、ふ・じ・の、の最後の一文字を聞き取れなかったんだ」
って、良く、笑い話していたんだ」
「はははは・・・・」(愛想笑いしか反応の仕方が思いつかなかった)
「そうだ!農協さんは軽トラのチラシとか、置いてあるかい?」
笑い方が少し不自然だったのか、荘平さんは急に話題を変えた。
「あー・・・どうだったかな、支店に今、聞いてみましょうか」
スマホを出す。すると、
「いや、いや、急ぎじゃないんだ、農協さんで買うかもわからないし、今度あったら持ってきといてくれるかい」
「かしこまりました。あそこにある、軽トラックを買い替える予定なんですか?」
物置の屋根の下にある、白いダイハツの軽トラックを指差して話しながら、ご要望をメモに書き出す。
「うーん、まだ乗れんだけんどよ。もう10年になるんだよ」
「メーカーにご希望ありますか?」
「できれば同じところがいいなぁ」
その会話が4日前だった。
【1日目】支店に戻り、チラシ類を探すも支店には無く、営農部にTEL。
ダイハツの店舗に直接問い合わせるように言われ、番号を教わる。
ダイハツの営業担当が不在とのことで、伝言。
夕方、営業の中入誠治(なかいりせいじ)さんという、40代くらいの方から折り返し電話がかかってきた。
取り急ぎFAXで、カタログの写しを送ったので、お客様に届けて欲しいと言われる。
カラーの物は、郵送しますと言われた。
日が暮れる直前に、カタログの写しを荘平さんへ届けた。
【2日目午前】速達で支店にダイハツの軽トラのパンフレットが届いた。
メモが入っていて、価格の見積もりは、改めて送りますと書いてあった。
午後1番でカタログを荘平さんに届けた。
【3日目午前】手書きの太字「概算の見積もりです」で書かれた見積書が、FAXで支店に届いた。
別紙に、「オプションやサービス、値引きについて、正式なご案内を改めて送ります」と、書いてあった。
お昼に概算の見積書を荘平さんに届けた。
【4日目午後】速達で、3枚ほどのパターンの見積書が、きちんとハンコも押された正式な書式で届いた。
夕方、正式な見積書を荘平さんへ届けに伺った。 ←いまここ!!
荘平さんは、家の錠口に止めた軽トラックから、ブルーシートを下ろそうとしているところだった。
僕が営業車を降り、荘平さんに近づくいていくと、いきなり
「わかった、わかった。わかったよ、農協さんで買うよ!」
と、急に言い出した。
軽トラが売れた。
今のこの瞬間まで、僕は一度もセールスをしていない。
「届いたんで、お持ちしました」
と、同じセリフを毎日繰り返しただけだ。
荘平さんも農協で買うかどうか決めてないと言っていたので、売る気も無かった。
1度に1時間の会話をするよりも、5分の会話を10回した方が効果は大きいと、何かの本で読んだことがある。
知らずに体現してしまった。
いや、もしかしたらダイハツの営業の中入さんに、上手にコントロールされていたのかもしれない。
後日、中入さんと同行して契約をすることに。
こんなにも売る気がないのに売れた。
まだ、キツネにつままれたような感覚になっている。
共済も、これくらい楽だったらいいのに。