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『満州の記録』と、戦争の歴史を「伝える」ことについて。

『満州の記録』は、かつての満映(満州映画協会)が製作したフィルムを元に構成された本です。ロシア映像資料館から見つかったフィルム300巻・計38時間の映像資料群。この本はそのうち約600点の写真を収録しています。満州の豊富な写真と解説、当時そこで暮らしていた人々のインタビュー/対談なども掲載されています。

大型本ページの、印象的な写真。満映の製作なのでフィクションもありうるとは思いますが、当時の生業や民族、そして戦争の痕跡を知る手がかりになりそうです。

それにしても、民族が多種多様。漢族、満州族、朝鮮人、日本人はもちろん、モンゴル系、白系ロシアなどの人々とも接点がありました。皇帝溥儀は満州族です。ほぼ日本国内ならあり得ないだろう広大な農地、年中行事、霊廟、そして驚異的な近代設備を整えた首都・新京(現、長春)……。しかし、それらすべての「光」が、帝国日本の植民地支配に成り立っていたという「影」の事実も忘れてはなりません。

「8月9日、満州にソ連侵攻」。高校の歴史の授業ならさらっと流される可能性もあるこの記述ですが、このソ連侵攻によって数え切れないほどの生命が絶たれ、傷つき、日本へ引揚げてきた人々の歴史があります。

かくいう私だって、満州のことを素人なりに勉強するなんて数年前には想像していないことでした。とある御方の「引揚げの記録と記憶を後世に伝えたい」という熱意と行動力に引っ張られるように、なんとか私も喰らいついているような恰好です。

だからこそ「伝える」工夫や努力は必須であって、殊に「分かりやすさ」が求められる昨今においては、ヴィジュアル・イメージのもつ影響力は軽視できないものがあります。

もちろん伝える内容が大事なのは言うまでもありませんが、それと同じくらい視覚効果も大切だろう、ということです。

以前も書きましたが、私は歴史を学ぶ意味や意義を強調するよりも「個人の過去に対する感受性や問題意識、知的好奇心」をもっと大切にしてもいいのではないか、と考えている立場です。

深掘りしようと思えば幾らでもできちゃうのが歴史学です。しかし、ある時代の歴史に詳しくなるほど、さして興味のない人との間に意識の乖離が生じてしまう。スーパーで買い物に来ているお母さんに「かつて日本は満州を支配していてね……」なんて勧誘したらきっと逃げられてしまうでしょう(笑)。いまのは極端な例ですが、歴史を学ぶということは、それだけ個人の興味関心や社会の要請、TPOに左右される行為だと思うのです。

あまり戦時中の歴史に興味をもたない人にも、近づいて見てくれるような媒体。その意味で、豊富な写真から満州を俯瞰できるこの本は、良いものだと言えそうです。

私の方も伝えるための知識と媒体を準備しなくては。書籍、軍歴、ネットで公開されている公文書などが基本資料だとすれば、レジメやパワーポイント、語り、写真、映像、デジタルアーカイブスが方法に当たるでしょうか。やるべきことは多岐にわたりますが、焦らずやっていこうと思います。

それでは、今日はこのあたりで。最後までご覧くださって、ありがとうございます。

あなたにも、良い本との出会いがありますように。

では、また来週お会いしましょう。

小清水志織

鑑賞作品
『満州の記録 満映フィルムに映された満州』(集英社、1995年)


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