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7/15 史上最強で最少の小さきものから小さきものへの手紙

この連休中、テーブルの上を片してと何度も言っていたけど聞いてもらえず、我が家の食卓には文具とかなんかちいちゃいおもちゃが置かれたままになっていた。
今日も朝ごはんを食べ終え、テーブルを拭きたかったときに、流石にテーブルの上のものたちを片してくれと伝える。
娘が動き始め、それを見かねて息子も動き始めた。
色鉛筆のふたがないと言う。
それ見たことか!
色鉛筆は付属の縦長のつつのかんかんに入れているのだが、そのふたがなくなった。
別にふたがなくても描くことじたいにはなんの影響もないが、片づけるということに関してはあってほしい部分、それがふた。
もう~と言いながら、結局わたしが探した。もう!

子どもたちは遊び、わたしは本を読み各々過ごす。
娘が磁石でくっつくブロックで何かを組み立てていた。
「できた!お母さん手かして」と言われるので、手を差し出し、「入れて」と言われるのでその組み立てたブロックの何かのなかに、適当に人差し指と中指と薬指を入れた。
娘が作ったものは、ジェルネイルをするときのあのライトの装置であった。
笑った。なんで娘があの装置のことを知っているのか。
わたしは職業柄、ネイルサロンに行ったことも、ジェルネイルをしたこともない。
だから、わたしもあの装置のことはふんわりとしか知らない。
「え?だってチョコザップのCMで見たから知ってる」と言っていた。

昼になり麺をすすり、スーパーへ出かけた。
今日も時々な雨な曇り空であったけど、子らを一度は外に連れていかないと「今日はどこも行かないの?」とアピールされて面倒だし、わたしとしても気持ちが落ち着かない。
外に出ると、涼しくて驚き、涼しくてこわくなった。
身体がおかしくなっている。
帰ってきて、妹家族におめでとうのカードを作って送ろうと提案して、用意しておいたカードに好きに書いてもらった。
息子は文を書き、娘は絵を描いてシールを貼った。
息子が『○○くん、まだ11日しかくらしていないけど、げんきにくらしていますか?』と新生児に対して手紙を書いていた。
史上最強で最少の小さきものから小さきものへの手紙かもしれない、これは。
なぜかいつもさん付けで呼んでいる義弟のことだけは呼び捨てで名前が書いてあり、笑ってしまった。
ボールペンで書かれていたし、そのままにしておいた。きっと届け先でも笑ってもらえるだろう。
すぐに宛名を書いて切手を貼り、ポストに投函した。

またゲームをしたり、漫画を読んだりして過ごし、夜はお好み焼き。
連休の最後の最後まで休み感を演出したつもりです!
学校からケチャップやマヨネーズの容器を、あれば持ってきてくだいと言われているのだが、昨日のとんてき、今日のお好み焼きでケチャップもマヨネーズもちょうどなくなった。
いや、ちょっとは意識して、ケチャップもマヨネーズもいつもより多めに使用した。本当にあとちょっとだったから。
食べ終えて、娘の口の横っちょにソースがついていたのでティッシュで拭いてやると「あ~かわいいわたしになったわ~」と言って軽やかに去っていった。
いつまでもそのままでいてほしい。

子どもたちはテレビでやっていたミニオンの映画を観て寝て、わたしは本の続きを読んだ。
凪良ゆうさんの「わたしの美しい庭」。
凪良ゆうさんとの出会いは「流浪の月」であり、そこから何冊も凪良さんの本を読んだのだが、一番好きなのは「わたしの美しい庭」である。
もう何度か読み返している。
読んでいて思わず「あっ…」と声が出た。
「なにも持っていないのは哀れかもしれないけど、気楽でいい場合もあるのよ」
「失うことや持ってないことで得られるものもあるんだ」
数日前、ないないないとくよくよしていたタイミングでこれ。
本には出会うべきタイミングとか、再会するべきタイミングってやつがきっとある。
以前、益田ミリさんのエッセイに「映画や音楽や芝居や、そして本を読むことは自分の世界に手すりをつけている」と書かれていて、わたしはこの文も気に入っているのだが、今日、まさしく、わたしの世界に新しい手すりが装着された。確実に。

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