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実体なき、予感の連続

映画『chime』の感想(ネタバレあり)

当日に思い立って見に行こうとしても満席で見られないなんてこと、ほとんどないが、どうしたことか、この映画は連日満席のようで、少し前もってチケットを取って見てきた。

「40分間」という映画の短さ。手軽に見れる時間設定だから人気なのかな?と、はじめは思ったが、そんなことではない。内容的に40分が適切、いや限界なのだ。

何が怖いか。それは、怖さの実体が把握しきれないことだ。
映画のタイトルからも分かるように、実体は音である。音であるが故に、視覚的に現れる恐怖は音に促された結果で、その原因というか、オチみたいなものが、無いわけではないが、ハッキリわからない。それが怖い。最後まで。

不可解な現象が数多く配置されていた。
終わった後に振り返るとそれは不可解としか言いようがないが、それが起こっている時点では何かを予感させるものだった。シンクに並べられている包丁ほど分かりやすいものではなく、奇妙さと予感、そのバランスが絶妙だった。

引用元: https://hitocinema.mainichi.jp/films-info/kurosawa-chime

印象的だったのは、刑事の元に向かうこのシーン。
タイヤ痕と、ペットボトル。何か、導かれているような感じがする。何か起こるのかと思えば、何も起こらない。気持ちの悪さ(いい意味で)が蓄積していく。

映画を観たあと、ラーメンを食べた。
オーダーして待っているあいだ大将を眺める。表情を変えずに、汗が額から流れ落ちていく。無駄な動きなく、黙々と餃子を焼き上げる。厨房は錆びて油だらけだ。
それに比して、料理教室というのは何か、歪んだところがある。楽しそうな女性たちの声と、ひんやりした新品同様のシンクや刃物。ある程度、お金と時間に余裕がある、裕福なイメージ。

そんなイメージを起点に、その歪みを膨らませたような作品だった。


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