春なのか
春だからなのだろうか、うちの同居猫の甘噛くんが家の中を良く走る。
ご飯もよく食べる。
朝早くから大きな声で鳴き叫ぶ。
そしていつものように良く寝る。
彼にとって、春を迎えるシグナルは日の出の時間だと思う。
時計を判読出来ないにも関わらず彼の時間感覚はかなり正確で、ご飯の時間が近づくと人懐っこくなる。それはもう、しつこいくらいに。
それが春になるとご飯の時間でもないのに朝早くから「メシだ! メシをよこせ!」と叫ぶのは、その彼の腹時計が狂うからだろう。狂う理由として考えられるのは太陽の動きだと思う。
人間でも朝陽を浴びることによってバイオリズムが整えられると言われるくらいなのだから、猫にとっても朝陽は時間を計る基準になっていてもおかしくないだろう。
日の出とともに彼にとっての一日が始まるとしたら、だんだん陽が長くなって日の出が早まるにつれ、時計の針が何時を示していようとも「メシだ!」となる時間も早まる。私はそう理解している。
しかし、走るのは何故だろうか。
冬の間は寒くて強張っていた身体が暖かくなって緩み動かしやすくなるのだろうか。人間だって暖かい陽射しに誘われるように外に行ってみたくなるから、それと同じなのかもしれない。
身体を動かせる喜びが益々彼を駆り立てるのかもしれない。
人間の場合、春の訪れを知らせるのは春一番だと言われる。
春一番は2月4日ごろの立春から3月21日ごろの春分までの間に吹く強い南風のことを言うらしい。今年の関東での春一番は3月5日だったから早くも遅くもなかったと言って良いのだろう。
2月初めというとまだ冬の寒さが厳しい時というイメージがあるが、春一番が吹くことがあるということだ。昨年は関東では2月4日に吹いたというから、早い春も実際に有り得るということか。
春一番はあくまでも気象上の基準だから、人間が感じる春の訪れと一致するとは限らないだろう。
春一番が吹いたという報道を聞いたから春が来た気がするのだとすれば、あまりにも野生の感覚を失い過ぎている。そんなことを言われなくても季節の変化を感じられるようになりたいものだ。
私の場合、自慢ではないが季節の変わり目をいつも体感している。
新しい季節がやってきたことを感知するのは大概、朝家を出てバス停まで歩いている時だ。空と光と空気の香りで「あ、春だ」と感じる。
これは不思議だが、毎年必ずそう感じる。来たな、と感じる瞬間がある。昨日までとは明らかに違う何かがあって、少し嬉しい感じがする。
私が春の到来を感じる日は春一番の日とはズレている。春一番という、いわゆる騙しのシグナルには騙されない。記録していないので記憶がおぼろげだが、今年は2週間ほど前だった。春だな、と思った瞬間に遭遇したのは。
春に限らず春夏秋冬そういう瞬間がある。
「夏の空気だ」「これは秋だな」「冬がやってきた」
そう思う日が必ずある。
その度に私は、自分が野生の感覚をまだ持ち合わせていることに独り安心している。
ただ、家に帰って妻に「今日春が来たね」と言っても理解してもらえず、むしろ頭の中を疑われた経験から、季節が変わったことを私はひたすら内緒にしている。
おわり